『ブラックゴート社創立記念パーティ』

/ リンクス入場


 壁には幾つものモニターが並んでいる。それらに表示されているのは各所に設置された監視カメラであり、本来映し出される映像をチェックするのは警備担当の人間なのだが、どういうわけかブラックゴート社社長であるU・N・オーエン自身が椅子に座ってチェックしていた。

 口に咥えていたタバコを指でつまみあげながら紫煙を吐き出し、タバコで一つのモニタを指差す。

「なぁ、マリア。あの格好どう思う?」

 オーエンの右隣に立っている黒髪の似合う妖艶な美女は首を傾げて「良いんじゃありません」とだけ言った。

「いいのかなぁ……一応、GAグループの重役来てるんだしコンパニオンでも無いのにチャイナドレスは無いだろチャイナは」

「リンクス。いえ、傭兵に一級の夜会だからそれなりの格好をしろ、という方が無理でしょう」

 そう言ったのはオーエンの左隣に立つブロンドの髪を腰まで伸ばした女性である。こちらも黒髪の方と同じく美女であり、立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花、といった言葉がよく似合う。名はローズといい、黒い髪の方はマリアといった。

「まぁチャイナドレスを着てるのはベアトリーチェだし、彼女なら華になるから良いだろう。タスクのは彼の生まれではあれが正装なんだろうし、特に問題になるようなリンクスはいないな」

 一つ安堵の溜息を吐いてオーエンは煙草を咥える。リンクスをこの創立記念パーティへと呼ぶに当たって危惧していることの一つに服装のことがあった。彼らのことだからこのような一級の会合に出席する際のマナーを持っているかどうか、という懸念があったのだがどうやらそれは杞憂に終わりそうだ。

 多くのリンクスはタキシードやフォーマルなスーツ姿、女性であればパーティドレスなどオーエンの予想に反して場に合わせた服装で着ていた。GAグループに対するコネクションを作りたいという思いがそうさせるのだろう。と、オーエンが考えていたとき信じられないものが目に入った。

 オーエンにとってそれはあまりにも非常識すぎて、目をこすって正門カメラから送られてくる映像を見直し、両隣に立っているローズとマリアにも確認を求めさせる。そしてオーエンの見ているものが真実であることが証明された時、オーエンの発した第一声が「今すぐアイツをここに連れて来い!」だった。

 ローズは呆れ、マリアは笑っていたがオーエンは意に介さない。彼女ら二人にとっては予想の範疇でありそしてまた愉快な事態であるかもしれないが、この会合の主催者であるオーエンにとっては見過ごせない事態だったのだ。

 数分もしないうちに警備室にハーケン・ヴィットマンが警備員二人に、捕らえられた宇宙人のような格好で連れてこられる。連れてこられたのがよっぽど不服なのか、ハーケンはオーエンと目をあわそうともしない。

「なんだその格好は?」

 怒気混じりの声をオーエンが発したにも関わらずハーケンは「カッコイイだろ?」とのたまってみせた。確かにハーケンのファッションセンスは良い部類に入るだろう。右前髪を紫に染めて、黒のジャケットにブルーのTシャツ。ここまではオーエンも許せた。

 しかし、ジーパンにシルバーチェーンをジャラジャラと付けてこれもまた銀で出来た蠍のネックレスを首から下げている。ここまで来たらさすがに許すわけにはいかない。

「あぁ、ハーケン・ヴィットマン。君はここがどこだか分かっているのかな?」

「ブラックゴートの本社だろ? で、今日は創立記念パーティ」

「ようく分かっているじゃないかヴィットマン君。このような場ではどのような格好が相応しいのかな?」

「まぁスーツってのが妥当なところだろう」

 思いのほか普通の返事が返ってきたことにオーエンは内心驚いたが、それで彼を許すわけにはいかなかった。何せ今日のパーティは内輪だけで行うものではないのだ、GAグループ各社の重役達が集まる。

 オーエンはまた溜息を吐いた。但し今度は安堵のソレではなく、呆れからくるものだ。

「退場、二度と来んな」

 社長のこの言葉に二人の警備員は従った。ハーケンの両脇を抱えたまま、外へと連れ出す。さすがにあのような格好の人間を中に入れるわけにはいかない、オーエンの品性が疑われてしまう。

「ったくエイヴの野郎はドタキャンだ、そしてハーケンは退場……」

 そう呟くとマリアから「射撃大会はどうするんですか?」という質問が浴びせかけられた。そこでオーエンは頭を抱える。余興として行う予定のリンクスによる射撃大会には四名の参加枠を設けていたのだが、名乗りを上げたのは三名だけ。グラム、ハーケン、Σの三人である。そしてハーケンはたった今、脱落した。

「そういえば、ユウのオペレーターのラビスとかいうのが射撃大会に参加したがってると聞いたが」

 呟くようなローズの声をオーエンは聞き逃さなかった。「それだ!」と言いながらローズに向かって指を差し「もうオペレーターだってなんだっていい、参加させてやれ!」

 オーエンはそう言いながらも胸中は不安で満ち溢れていた。こんな状況で本当に創立記念パーティを無事に始め、そして終わらせることが出来るのかと。


/キャンディスのライヴ


『Raise your hats and your glasses too
We will dance the Whole night through
We‘re going back to a time we knew
Under a Violet Moon』

 カラードのNo.1に登録されているリンクス、キャンディス・ナイトの歌声がパーティホールに響く。夫とユニットを組んで歌手活動をしているというのは噂に聞いていたが、どうやらそれは本当のことらしく、彼女の歌声は体の中に染み渡ってくるようだとユウは思った。

 ただし、同伴しているラビスに至ってはそう感じていないようでテーブルに並べられ始めた料理の方へと既に視線が向いている。彼女に注意を促すために軽く肘で小突いてみたのだがラビスは気付かない。

 仕方なくもう一度小突いてみたのだがやはり気付く様子はなかった。仕方なく耳元に口を近づけてそっと「ラビ」と小声で囁くと彼女はぶるりと肩を震わせる。声を上げそうになったようだが、ライヴ中ということもありそこは何とか堪えたようだ。

「もう何よユウ?」

「せっかくのライヴなんだからもうちょっと聞いたらどう? キャンディスさんの歌、結構良いよ」

「そうかなぁ? 私は普通の歌に聞こえるんだけど、やっぱり料理が気になっちゃう。あ、ほら見てユウ! 北京ダックだよ北京ダック!」

 ラビスが指を差したテーブルの先にはちょうど北京ダックが運ばれてきたところだった。それがよっぽど嬉しいのかラビスは小さく飛び跳ねている。

「ちょっと落ち着きなよラビ」

「でも北京ダックだよ北京ダック!?」

 ラビスはよほど嬉しいのかユウの言うことに耳を貸そうとしない。ただ幸いなのはライヴ中であるという自覚だけはあるらしく、あまり大声を出さないことだ。

 半ば呆れながらもユウはパーティ会場を見渡してブラックゴート社社長、U・N・オーエンの姿を探す。ユウの恩人でありカラードランクNo.12のサリア曰く、U・N・オーエンはどこかきな臭い、とのことだがユウにはそう思えなかった。

 北アメリカ大陸に本社を置いておきながらGAグループに入らないのは奇異に思えるが、それはこの企業の持つ特異性がなせる業であると判断できる。開幕時、オーエンは演壇に立ってスピーチを行っていたがそれもありきたりなものであり、何かを臭わせるようなものはない。

 社内に入るときにタグの付いたリストバンドを付けるように強制されはしたが、これもセキュリティのことを考えれば当然の措置だろう。ではなぜサリアがブラックゴートを危険視しているのか、全ての鍵はオーエンにある。

 ラビスに視線を映せば相変わらずステージには目もくれず料理の方ばかり見ていた。

「ねぇ、ラビ。ちょっと場所を移動したいんだけど良いかな?」

「え? 動くの? でも料理は……」

「立食パーティなんだから別に決まった席で食べなくてもいいじゃない」

「うん、それもそうだよね」

 ラビスの頭は料理でいっぱいになってしまっているようだが、ユウはオーエンの姿を探していた。曲りなりも企業を率いる社長である、ライヴ中だからといってじっと音楽に聞き入っている暇などないだろう。

 予想ではGAグループの高官たちが集まっている辺りで挨拶回りや談笑をしているものと思われる。そこで、そちらの方面へ向かおうとすると髪の長いウェイトレスがグラスを載せたトレイを片手にもって立ちはだかった。邪険に扱うわけにもいかずユウとラビスは立ちとまらざるを得ない。

「お客様、お飲み物はいかがですか?」

 そう言ってウェイトレスは何故か妖艶な笑みを浮かべながら、恐らくは赤ワインの入ったワイングラスをユウへと差し出した。その時、胸の社員証らしきプレートに目をやるとマリアと書かれている。

「すみませんが、実は僕と彼女はまだ未成年なのでお酒はちょっと……」

「そうでしたか実に申し訳ありませんでした、ではお飲み物は何にいたしましょう?」

「僕は出来ればコーラで。ラビは何にする?」

「じゃあ私もコーラ」

「申し訳ありません、今手元に無いもので。ドリンクカウンターまで着ていただければご用意いただけるのでご足労願いますか?」

 ユウとしては早くオーエンの顔を見たかったのだが、こういった話になってしまってはウェイトレスの方に申し訳が無い。仕方なく「お願いします」と言うとウェイトレスは歩き出し、二人はその後に続いた。

 パーティホールの壁際のライトのあまり当たらないところにドリンクカウンターが用意されている。背もたれの無い椅子が数脚用意されていたが、今のところは誰も座っているものはいない。キャンディスの歌声に聞きほれているのだろう。

「よろしければこちらの椅子にお座りください」

 ウェイトレスに促されてユウとラビは椅子に座った。二人を連れてきたウェイトレスはトレイに幾つかのドリンクを載せると会場へと戻っていく。どうしたものかと思っていると座っているカウンターの向こう側にブロンドの女性が現れた。ネームプレートにはローズと書かれている。

「お客様何にいたしましょうか?」

 バーテンの女性も先ほどのウェイトレスに負けず劣らず美しいと思えるところがあったが、その声は無機質でどこか機械的でありそれが人間味を感じさせなくしている。

「コーラで」

「私も」

 ユウとラビ、二人が注文するとバーテンは恭しく頭を下げ「かしこまりました」と言って一旦、奥に引いた。そして一〇秒経ったかどうかというところだろうか。ユウが予想していた以上にロンググラスに入ったコーラが二人に前に置かれた。

「それじゃあとりあえず乾杯しようか」

 ユウがラビスに向かってそう言うと「私も混ぜてもらっていいかな?」という男の声が右隣から聞こえてきた。誰だろうと思いながら振り返ってみるとそこにはブラックゴート社のトップであるU・N・オーエンが琥珀色の液体が入ったロックグラスをかざしながら微笑んでいる。

 驚きのあまり椅子から転げ落ちそうになったが、よくよく考えてみればオーエンはホストであり客に挨拶をして回らねばならない立場にあるのだ。ユウとラビスの前に向こうからやってきたとしても何の不思議もなかった。

 どうして良いか分からずに戸惑っているとオーエンの方から「乾杯しないの? じゃあ私が音頭を取っていいのかな」などと言いつつグラスを持ち上げる。

「それでは今日という日に乾杯」

「かんぱーい!」

 グラス同士のぶつかる音が気持ちよく響いた。ユウはなし崩し的だが、ラビスの方はといえばノリノリとまでは行かないが結構楽しんでいるようだ。今のところではあるがオーエンという人間がサリアが危険視するほどの人間のようには見えない。

 もっとも企業の社長なのだから食えないところはあって当然なのだろうが。

「いやぁユウ君にラビスちゃんだったっけ? 会えて嬉しいよ」

「僕もお会いできて光栄ですオーエン社長」

「前々から君たちには会って話してみたかったんだよ、特にサリアさんには一度会っておきたかったんだけど……今日は来て無いのかい?」

 そう言ってオーエンは視線をユウに向けたままでウイスキーの入ったグラスを傾けた。

「サリアさんは用事が会って来れないといっていました。言伝があるのならば伝えておきましょうか?」

「あぁ、いいよいいよ。サリアさんの連絡先なら全部把握してるから。後、君たちにちょっとクイズ。三回、これが何の回数か分かるかい?」

「さぁ? ラビ、わかるかい?」

「わかんない?」

 と、ラビも首を傾げる。その様子を見てオーエンは微笑を浮かべていた。

「なんなんです、その三回っていうのは?」

「君達を殺せた回数だよ、マリアが接触したときに一回。私が座ったときに一回、君たちがドリンクに口を付けたときに一回、それで計三回。まぁ本当は他にもチャンスはあったんだけどね、君たちを手にかけたところでどうにでもなるわけじゃないから」

「ラビ、下がって」

「う、うん……」

 コーラの入ったロンググラスを持って椅子から立ち、ユウもラビスを守るようにして椅子から立ち上がる。武器は何も持っていないがサリアが地獄のような修行をさせてくれたおかげで、素手でも人を殺せる自信がユウにはあった。

 オーエンはそんなユウの様子を見ながら酒を飲み、そして笑顔を浮かべている。

「君達リンクスにつけてもらっているタグ付のリストバンド、その中には少量の爆薬が入っていてね。もちろん殺せる量じゃないけれど手首を傷つけるには充分だ、そうなれば連れて行く先は我が社の医務室。まぁ何を言わんとしているかは分かるね? 別に君じゃなくても良いんだよ? 君が大切に守ろうとしているオペレーターの娘だって構わない、ただ君達に頼みたいことがあってね」

「頼みたいことって何ですか? こんな脅迫行為までしておいて!」

 自然とユウの声には怒気が混じっていた。しかしオーエンはたじろぐ様子がまったく無い。

「まぁとりあえず座りなよ、話はそれからだ。それに君たちは頼みを受けるか断るか、いずれせよ私が何を頼みたいのかということだけは聞かなければいけない」

 仕方なくユウは椅子に座り、ラビスも同じようにして座った。オーエンはシガレットケースから紙巻煙草を一本取り出したが、すぐに「おっとここは禁煙だった」と言って煙草をしまいなおす。

「話って何ですか?」

「いや、サリアさんの話なんだけどね。あの人にうちへのハッキングやめてもらうように頼んでもらっていいかな? あの人のおかげでうちのセキュリティ対策にかかわる費用がかさんじゃってさぁ、欲しい情報があるのなら見せてあげるし……見せられないのも、もちろんあるけどね」

 そう言ってオーエンは肩をすくめてみせる。悪意や敵意といったものは感じられないのだが、底が知れない。

「つまりそれを伝えろ、というわけですか?」

「そうそう話が早くて助かるね。いやこっちから連絡したらさぁ、なんていうか嫌らしいじゃない? だから君にお願いしてるの」

「分かりました、それではそのようにお伝えしておきます」

 ユウは席を立ってラビスを連れ、その場を後にした。サリアが言っていたようにU・N・オーエンという人物には注意を払っておかなければならないようだ。しかし、「社長ここは禁煙ですよ」「あぁ、そうだった忘れてた」なんていう会話が後ろから聞こえてくると一体彼は何もなのか、ますます分からなくなってくる。


◇◇◇


『Wild wer the winds that came
 In the thunder and the rain
 Nothing ever could contain
 The rising of the storm...』

 キャンディス・ナイトの静かながらも力強さを感じさせる歌声を聴きながらリディルはソフトドリンクを探していた。アルコールが嫌いなわけではないが、さすがに酒ばかり呑んでいては辛かったし、何よりも酩酊して醜態を晒すわけにはいかない。

 しかし歩き回っているウェイター達はトレイにドリンクを載せて歩き回っているのだが、それらはどれもワインだったりウィスキーだったりでアルコールの入っていない飲料は持っていなかった。

 どこかにドリンクカウンターのような場所は無いだろうかと、GAグループの重役達に失態を見せてしまわないよう気をつけて歩いているとどうも見張られているらしいことに気が付く。さっと、ほんの一瞬だけ周囲を見渡したが誰がリディルを見張っているのかが分からない。

 以前受けた依頼の時もそうだったがこのブラックゴートという企業はどうにも違和感を感じさせる。他の企業とやっていることは変わりが無い、それにも関わらずどこかが違う。その違いを見定めることが出来ない。

 少し苛立ちながら歩いているとリディルの進路を塞ぐようにして長い金髪のウェイトレスが急に現れた。彼女の手にはスパークリングワインを注がれたワイングラスが載っており、リディルが手に何も持っていないことを見るやいなや「どうぞ」と静かな声とともに差し出してくる。

 だがそれをリディルはやんわりと断った。今欲しいのはソフトドリンクであってアルコールではない。すぐにウェイトレスは去ろうとするがリディルは彼女を呼び止めた。ウェイトレスに聞けばソフトドリンクの在り処も分かるだろう。

「すまないけれど、ソフトドリンクは置いてませんか?」

「ソフトドリンクですか、では付いてきてください」

 ウェイトレスは歩き出し、リディルはそれに付いていく。ただ、彼女は客をエスコートしているという自覚があるのかないのか、そんなに早く歩かなくても良いじゃないか、と思ってしまうほどの速さで歩いていた。

 何とか置いていかれないようにして連れて行かれた先はといえば、壁際に設置されたドリンクカウンターだった。一部はバーのように椅子が数脚置かれており座って飲めるようになっている。既に先客が二名、グラスを傾けながら話し合っているようだ。

「こちらでしたらお客様のご要望に添えるかと思います」

 どこか機械的な声でウェイトレスは言うと、これまた機械を思わせるほどの正確さで一礼したかと思うと仕事のために再び人だかりの中に戻っていった。やっていることは適切なのだろうが、そういえば表情が無かったなとリディルは思う。

 椅子に座ると先ほどのウェイトレスと同じ格好をした女性が前に立った。だがこちらは同じ長髪ではあるが色は黒く、表情も豊かだ。思わずドキリとさせられる微笑を浮かべながら「何にいたしましょうか?」と尋ねてくる。

「あぁ、とりあえずジンジャーエールはあるかな?」

「はい、少々お待ちを」

 彼女はしゃがみこみ何か作業をしていると思ったら、ジンジャーエールの瓶を片手に立ち上がってきた。どうやら下は冷蔵庫になっているらしい、ちゃんと瓶の蓋も開けられている。

 バーテンに礼を言ってからジンジャーエールの瓶に口を付けた。飲み物を口にしたということで人心地ついたのか、不意に隣で行われている会話の内容が耳に入ってくる。盗み聞きは良くないとは思いつつも、聞こえてくるものはどうしようもなかった。

「では、あの場所。レイヤードで私を撃墜したのはあなただと、お認めになるのですね?」

「えぇ。そうですとも、あの時レイヤードにいたのは私です。あなたに隠し立てをしたところで意味がありませんからハッキリ言いましょう、レイヤードにはもう何も無い。あるのは旧世代の残骸だけですよ、利益を生みそうなものは全て我々が回収しました。今もレイヤード内及び周辺には部隊を展開させています」

「なるほど。銃火を交えているときから思っていましたが、あなたもこの企業も普通ではないようだ。理由を教えていただけると嬉しいのですが」

「そうですね。独立活動を行っているあなたにだったら話したところで害は無いかもしれません。ですがあなたは過去オーメル専属だった、今もそのパイプが生きているという可能性を私は否定できない。あなたとオーメルに繋がりがあるかもしれない以上、これより先のことは言えません。推測してください。答えを言えずに申し訳ありませんね、ミスター・グラム」

 聞き覚えのある声、そして名前が聞こえリディルは自然と会話をしている二人の男へと視線を向けた。グラムはこちらに背を向けていたためリディルに気付くことは無かったが、グラムと対話していた男、U・N・オーエンはリディルに気付き軽く手を振ってみせる。

 その動作を不思議に思ったのかグラムが振り返ると、二人の視線が合った。

「お久しぶりです、グラムさん」

「リディルか、調子は……まぁ、聞くまでもないか」

「はじめましてリディルさん。昨日は私どもの本社を防衛していただき誠にありがとうございました」

 座りながらではあったがオーエンはリディルに向かって軽く一礼をする。まさかこんなところにU・N・オーエン、そしてグラムの二人がいるとは思わなかった。予想外すぎる事態に混乱しそうになりながらリディルの言った一言は「お二人で何を話されていたんですか?」だった。

 二人の会話の中に入るならばこれが適切な切り出し方だろう。しかし今回は使ってはいけなかったらしい、二人の目つきが変わった。グラムは険しく、オーエンは嬉しそうに。

「リディルさんは興味ありますか? レイヤードに」

「それは……興味が無いといえば嘘になりますね」

 正直に答えると小さな声でグラムが「気をつけろ」と忠告してきた。何に対して気をつけねばいけないのかわからないが、オーエンが何かを仕掛けようとしてきているのだろうか。

「なるほど、やはり興味がありますか。当然ですよね、しかしあそこにはもう何も無い。あるのはただの廃墟。あぁ、まだありましたね。企業の欲望が詰まってる」

 そう言ってオーエンはウィスキーの入ったロックグラスを傾けた。

「それはどういう――」

 リディルの言葉を遮るようにしてグラムが立ち上がり、リディルの視界を遮る。偶然ではなく、意図的にそうしたのであろう。

「リディル、ちょっと付き合え」

 睨み付けるようなグラムの視線に逆らえず、それにオーエンに対する不信感が募ってきていたということもあった。ジンジャーエールの瓶を持ったまま立ち上がり、グラムと肩を並べてカウンターから離れる。

「やれやれ、困った……というよりも釣れない人だなぁ」

 という呟きが背後から聞こえてきたがリディルは振り返ろうとは思わなかった。


/再会


 マッハは星鈴の右手を引いてパーティ会場を歩き回っていた。自身がブラックゴート社からの提供を受けているから礼儀としてこのパーティに来ただけであって、コネクション作りもあいさつ回りもマッハには必要がない。

 することと言えば食事ぐらいだ。だがその肝心の食事に今困っていた。公式のパーティで酒宴ではないといえ、やはり酒が振舞われている。そうなれば出される料理も酒に合うものが中心となっており、星鈴の食べれそうなものが中々見つからないのだ。

 デザートコーナーに行けばそれこそ子供好きそうなものが色々と用意されているのだが、さすがにそういったものばかり食べさせるわけには行かない。タスクに会うまで星鈴の面倒はマッハしっかりと見てやらなければならないのだ。

 そもそもこのパーティに参加したのだってタスクが来るかもしれないという希望があったからこそ来たところがある。でなければ星鈴を預かっている以上、こんなところへ顔を出すはずがない。オーエンがタスクにも招待状を送ったというから来たのだ。

 そして肝心の探し人も探し物も見つからない有様なのである。パーティホールは予想外に広く、大人であるマッハですらそう思うのだから未だ小さい星鈴の目からしてみればとてつもない広さに見えていることであろう。しかも周りはいかにも偉そうな人たちばかりで、そういった人間からは一種の威圧感めいたものが放たれている。

 慣れているマッハにとってはどうということはないものの、星鈴にとってそれはやはり不安なものとなっているらしい。繋いでいるマッハの手をぎゅっと握り締め、決して離すまいとしていた。

 フレンチ、イタリアンなど欧風の料理は数多く並んでいるのだが何故かアジア方面それも中華が見つからない。中華系の星鈴だったら大人向けのものであったとしても中華料理ならば食べられるのだろうとそう考えてのことだ。しかし、それが中々見つからない。

 そこから探し回り続けること数分、ようやく見つけはしたのだがよほど好評なのか人だかりが出来ている。

「どうする?」

 マッハは視線を落として星鈴の意見を聞いてみることにした。彼女がお腹を空かしているようならば多少の無理をしてでも突撃するべきだろうし、混んでいるのならばどうせ料理は補充されるのだから後にしたところで問題はない。

「う〜ん」

 と、可愛らしい声を上げながら星鈴は人だかりを眺めていた。彼女の目からしてみれば、大木が幾本も並んでいるように見えていることだろう。おそらく、「後にしておく」という返事が返ってくるものばかりだと思っていたのだが違った。

 何を見つけたのか知らないが彼女はマッハの手を振り解くようにして払うと人ごみの中へと走っていく。静止の声をかけたのがまるで聞こえていないらしい。まだ子供である星鈴の体は小さく、それを利用するようにして大人たちの足の隙間を見つけて人垣の中へと入り込んでしまった。

 こうなってはマッハに取れる手段は少ない。いるのはほとんどがGAグループの関係者、それも一定以上の身分のものであることは確実。となれば無理に押し通るわけにはいかない、マッハだけに責任が及ぶのならまだしも下手をすればスポンサーであるブラックゴート社にまで累が及ぶ可能性があるのだ。

「すみません、通してください」

 満員電車から降りるときのように、人々の会話を出来るだけ邪魔しないように何度も言いながら人垣を抜ける。その先はどの料理のテーブルからも適度な距離が置かれていたため、一種の空白地帯となっていたところだった。

 そこに星鈴はいたのだが、マッハは声をかけようとして思わず躊躇う。星鈴の視線の先には中華系の服装を着用した長身の男が立っていた。その男は黒髪を後ろで縛っており、普段は細めなのだろうが今はその眼を落ちそうなほどに見開いている。

「タスク?」

 男の名を呟きながらマッハは彼に近づく。しかし彼、タスクはといえば実の娘とこんなところで再会できるとは思っていなかったのか石像のように動きを止めていた。星鈴はそんな様子の父を見上げながら微笑んでいる。

「パパッ!」

 久しぶりに出会えた父に抱いてもらいたかったのか星鈴は両腕を掲げる、だがすぐに左腕の肘から先が無いことに気付き、さっと背中に隠した。タスクはそんな星鈴をじっとみていたかと思うと、静かに涙を流しながら「本当に……星、鈴なのか?」と尋ねる。

 星鈴は当然のように「うん!」と元気よく答えた。タスクはしゃがみこみ両腕を広げて娘を抱きしめようとしたが、すんでのところで何故か抱きしめるのを止めて首を横に振る。

 マッハはそんなタスクに近寄り「抱きしめてやれよ、せっかく会えたんだからさ」と言葉を書けると彼はマッハを見上げた。

「もしかして、君が娘を、星鈴を……?」

「あぁ。真珠湾の時に俺が取り残されてたその子を見つけた。左腕から先は爆撃に巻き込まれたらしくて、切除するしかなかったが……それ以外は、万事無事だ」

「そうか、そうだったのか……くっ、私が不甲斐ないばかりに。あの時、間違えていなければ」

 今にも泣きそうな嗚咽交じりのタスクの言葉には歓喜と悔恨の両方が混ざっていた。

「とりあえずせっかく会えたんだからさ、抱きしめてやれよ。星鈴のやつ待ってるじゃねぇか」

 星鈴はようやく出会えた父親に抱きしめてもらいたくてうずうずしている。だというのにタスクは首を振り「それは出来ない」と言った。

「何故?」

「私はこの子を仕方なかったとはいえ見捨ててしまったんだ……今更、父親面して抱きしめてやるなんて」

 マッハはタスクからわざと視線をそらし、遠くを見ながら口を開く。

「あんたは幸せもんだと思うけどな。このご時世、子供と生き別れて再会できたんだからさ。俺も星鈴みたいに紛争のせいで親と離れ離れになっちまって、同じようにリンクスに拾ってもらったんだが……結局、親と会うことは出来なかった。多分、この先も会うことは無いと思ってる。だから、抱きしめてやれよ」

 吐いた嘘が効果的に働いたのかどうかは知らないが、視界の隅でタスクが娘の名を何度も呼びながら抱きしめているのが見えた。そのことに一安心しながらマッハは早々にこの場を去ろうと決意を固めている。出来ることならタスクにも星鈴にも気付かれずに姿を消したかった。

 だが、ことはそうそう上手く運ばない。背後からタスクに呼び止められて仕方なく振り返る。

「マッハ……君にはなんて礼を言ったらいいかわからない。しかし、この借りは必ず返す」

「別に良いですよそんなの気にしなくても。俺は傭兵として当然のことをしただけだとおもってますから」

 それだけ言って歩き去ろうとすると今度は星鈴から呼び止められる。彼女の視線に合わせるためにかがみこむと、星鈴は髪飾りを外してマッハに渡す。

「これは?」

「お礼! マッハお兄ちゃん、今までありがとうございましたっ!」

 ぺこり、とお辞儀をする彼女の姿をみると思わず笑顔になってしまう。

「あ、そうだ! これお礼」

 星鈴は左手だけで器用に髪飾りの鈴を外すとマッハに差し出す。「いいのか?」と尋ねると彼女は笑顔で頷いた。マッハも笑顔で彼女から鈴を受け取る。これでお守りがまた一つ増えたなと思いながら。

「ありがとうな星鈴。それじゃあお父さんと元気で」

 立ち上がり彼らに背を向けてその場を立ち去る。今度は止められることは無かった。これでマッハは元の一人身に戻り、気楽になったはずなのだが心の中にある一種の虚無感はなんだろうか。

 その正体が何なのか考える前に一杯やりたかった。よくよく考えてみれば星鈴の面倒を見ている間は、あまり教育上良くないだろうということで飲酒を控えていたのだ。しかしその枷はもう無い。ウェイターが持ってくるドリンクを飲むのも良いが、どこかで腰を据えて呑みたかった。

 そんな時にちょうどドリンクカウンターが目に入る。椅子の数は少なく、すわり心地も悪そうなものではあるが立っているよりかはマシそうだ。あそこにいけば何か呑めるだろうと思い歩き始めたときに声をかけられる。

「意外とやさしい人だったんですね」

 どこか聞き覚えのある柔らかな女性の声。視線だけ動かしてみれば、そこにはワイングラスを持った美女と言って差し支えないだろう黒いチャイナドレスの女性がいた。彼女の顔もどこかで見たことがあるような気がするのだが今ひとつ思い出せない。

 GAグループの人間だったら失礼なことになると考え、マッハは女性に対して向き直る。

「申し訳ありません、どこかでお会いしたことだけは覚えているのですが……」

「あら、覚えてくれていなかったんですか。以前、ウミナリでお会いしましたが」

「ウミナリ……?」

 地名を聞いてようやく彼女が誰だか思い出す。神社でダンテそしてウェルギリウスと一緒にシュークリームを食べていた女だ、確か名前は――

「ベアトリーチェか?」

「ようやく思い出してくれましたか。どうせあなたにとって私はダンテの付き人みたいなものなんでしょうけれど」

「まさか、あんたの名前を忘れるわけが無い。前に見たときと大分と印象が違ったものでね」

「あら、そうですか。てっきり私のことなどダンテやウェルギリウスの陰に隠れているものとばかり思っていましたわ」

 微笑むダンテの背後をウェイトレスが通り過ぎる。そのウェイトレスはマッハと視線を合わせウインクして見せた。黒の長髪、妖艶な微笑。見覚えがある、彼女を忘れるわけが無い。

「ベアトリーチェ?」

「はい? どうしましたか」

「あぁ、いやなんでもないんだ」

 目の前にいる女もベアトリーチェなのだ、名前を口に出すべきではなかっかたと反省しながらも何故彼女がという思いのほうが強かった。どう考えてみても彼女が生きているはずが無い、普通ならば天寿を全うしているだろう。

 仮に生きていたとしても全身皺だらけのお婆ちゃんになっているだろうし、若い時の姿を留めていられるわけが無い。それにしてもよく似ていた。そう、似ているだけなら問題は何も無いのだ。

 何故、彼女はウインクをしてみせたのか。その答えを出すことが出来ない。


/射撃大会


 射撃大会はパーティホールの一階下のフロアにある特設射撃場で行われることになっていた。会場はもともと射撃場に使われていなかったことは明白で、おそらくは大勢収容するためにわざわざ部屋を改修したものだろう。

 使用される銃器はリボルバー式拳銃であるレイジングブル。使用弾は.454Casull弾、銃身は八インチあり装弾数は五発。その銃を渡されたΣがまず最初に抱いた感想は、重い、だった。
それも当然の成り行きである。.454Casullという強力な弾丸を使用するのだから反動も大きい、その反動を軽減するための重量であり、それ以外にもフルレングスアンダーラグが装備されていた。だというのにそれでも足りないというのかマズル付近にはコンペンセインターの役割を与えられたエクスションチャンパーが八つ空けられている。

「どうΣ? いけそう?」

 Σの隣でメグ・ウィゼスは尋ねてきた。

「問題ない」

 と、簡潔に答えながらΣは同じく射撃大会に参加者を見渡す。参加するのは全部で四名なのだが、Σ、グラム、ラビスの三名しかいない。これはどうしたことかとΣは疑問に思い、メグも首を傾げている。

 不思議に思っているのは二人だけではないようで、ラビスもパートナーであるユウと何やら話し合っているようでありグラムは訝しげな視線を周囲に配っていた。

「どうしたのかしらね?」

「トラブルでもあったんだろう」

 Σが完結に答えるとメグは何故か苦笑してみせる。Σとしては当然のことを言っただけであり、メグが苦笑する理由が分からなかった。それにしても解せない。参加するのは四名であると、パーティの招待状にも書かれていたことだ。

 それが三人しかいないとは。よくよく辺りを観察してみれば、パーティの主催者であるU・N・オーエンの姿も無かった。彼が何らかの事情で来れないために始まらないのだろう。そう思うと同時に謀を企んでいるのではないかとΣは思った。

「コラコラ、そんなに怖い顔をしないの」

「俺の顔……怖かったのか?」

「えぇ、そりゃもう」

 メグは大げさな身振り手振りも交えて見せたが、Σには自分がどんな表情をしていたのかわからない。鏡が無ければ自分の表情を見ることが出来ないのは当然のことだが、それでも普通は大体わかるものである。しかしΣはわからなかった。

「それにしても、始まらないわねぇ」

 メグの大きな溜息。時計を見れば予定時間から一〇分が既に経過しようとしていた。グラムは平然としているが、ラビスはといえば早く撃ちたいのか何かごねている。騒いでいる声は聞こえるのだが、詳細までは聞こえない。

 ラビスのように騒ぐ、とまではいかないにしてもギャラリーからざわめきだった。当然のことだ、時間は予定より遅れ始めており主催者の姿は無い。この後、一体どうなるものだろうかと思いながらΣは壁に背を持たれかける。

「いやぁ、みなさんお待たせしてしまいまして申し訳ありませんでした。さぁて射撃大会始めましょうか!」

 会場のざわめきが静まり返った。オーエンの手には何故かΣや他の参加者と同じ銃、レイジングブルが握られており、両脇に二人の秘書らしい女性を連れている。

「いや、こちらの手違いとはいえ申し訳ありませんでした。四人目の参加者はリンクスのハーケンさんの予定だったんですが、彼は急用で来れなくなったということで変わりに私が参加します」

 ギャラリーのほんの一部ではあるが拍手が起こる。

「ほぉ! 社長みずからその手腕を発揮されるというのですな? うむ、これは実に面白い。そう思いませんか皆様!?」

 発言をしたのは誰だったのだろうか、Σが名を知っている人物ではない。だが少なくともGAグループ内では有名で、かつ発言力のある人物であることだけは確かだ。その証拠に彼の言葉に賛同するものがすぐに表れた。

 彼らの言葉をオーエンは嬉しそうに受け止めていたが、Σの目は彼の表情に嘲笑が隠れ潜んでいることを見逃さない。

「あいつ……笑ってやがる」

「そりゃ笑いもするでしょう。あれだけ賛辞の言葉を浴びればね」

「違う……そういう笑いじゃない」

「そうかなぁ、私にはそう見えないけれど……」

 と、言いながらもメグは真意を言葉に出していないことはΣにも容易に察することが出来た。なぜならメグはGA所属のリンクスである、親GA派であるブラックゴート社の社長に対して悪態を付くことは許されない。

 一体、彼は何を考え何を行おうとしているのだろうかΣは必死に考えを巡らせる。だが情報が少なすぎた。結局、何も答えも、仮説すらも出せずに射撃大会は始まる……


/テラスにて


 静かな場所を求めてオーエンはパーティホールから直結しているテラスへと出た。招待客たちは彼ら同士で談笑しており、リンクス達もそれなりに楽しんでいるようで何よりだと思いながらもオーエンの気分は沈んでいる。

 招待客への挨拶も大方終り、聞きたい話は全て聞いた。中には聞きたくない話もあり、それがオーエンにとっては早急に選択を迫っているような気持ちになるのだ。だからこそ、人がいないであろうこのテラスへと出てきた。

 柵に背を持たれかけてシガレットケースの中から愛飲している煙草を取り出そうとしたとき、先客がいることに気付く。嫌煙家の多いこのご時世だ、屋外とはいえ無闇に煙草は吸えないなと諦め、シガレットケースを懐にしまいなおす。

 先客は女性で黒のドレスを着て、空を仰いでいた。このパーティには招待客しか来ていないためオーエンの知らない人間はいないため、顔を見て名前が即座に出てこないということは基本的に有り得ないのだが、オーエンは彼女の名前を思い出せない。

 挨拶をしようにも名前が出てこないのでは仕方がない、疲れはするがパーティホールに戻ろうとすると彼女の方から呼び止められた。

「あの、あなたが社長のU・N・オーエンさんですか?」

 こう尋ねられては丁寧に応答するしかない。

「えぇ私がU・N・オーエンです、お初にお目にかかりますね。ミス・えーと……」

「アリオーシュと言います」

「ミス・アリオーシュ。アリオーシュ?」

 その名前は知っている。カラードに登録されているリンクスの名だ、確かNoは32。記憶が正しければアサルトキャノンを搭載した二脚型ACを使用していたはず。

「そうです。此度はお招きいただきありがとうございます」

「いえいえ、リンクスの方にはよくお世話になるので。ぜひ今夜は心行くまで楽しんでいってください」

「えぇ。そうさせていただきます、けれどホストのオーエンさんがこんなところにいらしてよろしいのですか? GAグループの偉い人たちが数多く見えられているようでしたが」

 と、ここでオーエンは返答に困ってしまう。少し休みに来た、と言えば良いだけだということに気付いたのだがそのタイミングは既に逸してしまった。ではどのように言えば良いだろうかと考えていると助け舟がやってくる。

「もしかして……お疲れになった、とかですか?」

「実はそうなんですよ、GAグループの挨拶周りが終わると急に疲れてしまいましてね。少しばかり静かなところで休もうと思ってここに来たんです」

 後頭部を掻きながらオーエンは苦笑を浮かべる。ホストとして相応しい返答でないことは自覚していたが、これ以外にどう答えていいのか分からなかった。アリオーシュはといえば口元に手を当ててクスクスと上品に笑っている。

「招待されている身で言うのもなんですが、実は私もなんですよ。少し、疲れてしまいまして」

「知り合いへの挨拶ですか? それともコネクション作り?」

 オーエンの質問にアリオーシュは首を横に振った。

「パーティの空気に、なんですよ。人が多いところは元からあまり好きじゃなかったんですが、このパーティはなんだか特別な気がして来てみたんです。けれど結局こうやって人のいないところに来ちゃいました」

 アリオーシュの言葉を聞きながらスーツに埃が付くことも構わずオーエンは柵に背を預けて天を仰いだ。空は晴れ渡っており、星空がよく見える。

「綺麗な空だ。そういえば……久しぶりだな、こうやって空を見るのは」

 オーエンは聞かれないように小さく呟いていたのだが、元々静かなこの場所だ、アリオーシュの耳にはちゃんと入っていたらしい。彼女は「そうですね」と言ってオーエンと同じように空を仰ぎ見る。

「本当にキレイな空。私も久しぶりです、こうやって空を見るのは。リンクスになってからは、空を見ることなんてしなくなってしまいましたからねぇ」

「何故リンクスになったんです?」

 オーエンとしてはただの場つなぎのための質問に過ぎなかったのだが、アリオーシュに対してこれは禁句だったようだ。彼女は急に俯き、その表情が翳り始める。

「復讐、ですよ。夫を殺されたんです……」

「そうですか――」

 本来ならばここで謝るか、このままにしておくべきだろう。だがオーエンは言葉を続けた。

「勿体無い」

「え!?」

 アリオーシュに視線を映せば口を呆けたようにして開けている。驚いているのだろうか、しかしオーエンは彼女を驚かせるようなことを言った覚えは無い。

「勿体無いって……復讐が、ですか?」

「もちろん。非生産的じゃないですか、復讐なんてのは自己満足ですよ。私もリンクスになった理由は復讐だったんですけどね、友人をテロリストに殺されたんでその復讐のために。けれど途中で止めちゃいました、復讐を果たしたところで何にもならないや、ってね。そんなことやる気力があるなら前向いて、新しいことやりたいなって。そういう風に思ったんで今こうやって社長なんてやってるわけですが」

「それで、あなたは満足してるんですか?」

「もちろんしてますよ。ただ友人を失ったのは残念でしたけどね、彼は唯一無二の親友でしたし。これからそんな友が出来ることは決して無いでしょうから。でもそれだけです、残念。それだけ。復讐したって誰が喜ぶのか、誰が利益を得るのか。ふと、そんなこと考えたんですよね。結論は、誰も喜ばない、誰も利益を得ない、でした。非生産的でしょ?」

「けれど、けれど……」

 正面、パーティホールに向けていた視線をアリオーシュに向けると彼女は瞳を潤ませて今にも泣きそうな表情をしていた。無理も無い、オーエンも友人をテロによって失ったときは喚くようにして泣いたものだ。

 その後は、AMS適正があると分かると同時にリンクスになり復讐のために戦い続けた。しかしそれは何も生まなかったのだ。オーエン自身を変化させることも無く、一言で言えば無駄な時間と資源を浪費してるに過ぎないと気付くのにそれほど時間はかからなかった。

「それでも……やっぱり復讐したいんでしょうねあなたは」

 オーエンはアリオーシュを見ていなかったが彼女が頷いたのは気配で分かった。

「だったら、気が向いたらでいいです。貴方の旦那さんの名前を教えてください、我が社は元々情報を売りにしている会社なんですから。それさえ分かればあなたが殺したいと願っている相手もすぐに分かるでしょう、分かり次第お伝えしますよ」

「でも、それはいけません。私が、自分で見つけないと」

「そんなルールはどこにもありませんよ。私はあなたを救いたい、そのための助け舟を出そうとしているんです。復讐がどれだけ無意味なことか、すぐに分かりますよ。何にもならない、ってね」
「何故、何故あなたは復讐をやめれたんですか!?」

「非生産的だと気付いたからですよ。けれどその時のエネルギーはまだ残ってる、復讐に向かっていた自分の中にあるエネルギーを別な方向に向けてやっただけですよ。新しい世界を作る、っていう目標を立ててね。そちらに向けた、ただそれだけ。復讐のエネルギーは凄まじい、止めようと思っても止まらない。だったら方向をずらしてやるしかないじゃないですか」
と、ここでオーエンは自分が口を滑らしていることに気付いたのだが、幸いにしてアリオーシュは気付いていない様子だった。たとえ気付かれていたとしても彼女にそれが何を意味しているのか分かるはずもないだろうが。

「あなたは強い人ですね……」

「強い? バカを言わないで下さい」

 失礼なことだとは知りつつもオーエンは自分を自嘲気味に鼻で笑ってみせる。オーエンは決して強い人間ではない。むしろ弱い、弱いからこそ今の生き方をしている。

 さて、次にどう続けたものだろうかと考えたときに視線に気付いた。方角はパーティホールから、誰か覗いているのだろうかと視線を向ければドレスを着た少女がさっと隠れる。それを見たオーエンは思わず溜息を吐いた。

「どうか、されましたか?」

「いやね。ちょっと知り合いの姿を見ましたもので。おい、勇いるんだろ? 出てこい」

 声をかけると有澤専属のリンクスである天恒勇が、壁からちょこっとだけ顔を出す。その仕草を見ているとまた溜息を吐いてしまいそうになる。ウミナリの時といいどうにもこの少女はオーエンの調子を狂わせるらしい。

「今そっち行って大丈夫なのオジサン?」

 額に青筋が浮かぶのを自覚したが必死になって笑顔を作った。「あぁ、別に大丈夫だよ」そう言って手招きすると無防備にも可愛らしいドレスの裾を踏まないように気を付けながら勇がこちらにやって来る。

 彼女がオーエンの前に立ったとき、即座に右手を突き出して彼女の額にデコピンを決めた。綺麗に当たったらしく「アイタ!」などと言いながら勇は額を押さえてうずくまる。

「前にも言ったが俺はまだ二七だ! せめて三〇越えてからにしろと前にも言っただろ! 財布忘れたからといって奢ってやった恩をお前は忘れたのか!?」

「うぅ……二七っていったらもうオジサンじゃんかぁ」

「二〇代はまだオジサンじゃねぇ!」

「四捨五入したら――」

「まだ言うかお前は!?」

 さらに勇は何か反論を行おうとしたようだが、すぐ隣で忍ぶような笑い声が聞こえたので二人して首を回してみればアリオーシュが笑っていた。二人の視線に気付くとアリオーシュは笑いを堪えようとするのだが、堪えきれず結局背中を向ける。

 オーエンは勇を睨み付けるが、勇はといえば「私のせいじゃないもの」と言いたげに顔をそらす。だがまぁ、暗くなっていた空気を吹き飛ばしてくれたことにだけは彼女に対して感謝しなければならないだろう。

「あぁ、勇……一つだけ良いこと教えてやる。デザートコーナーには行ったか?」

「まだだよ」

「お前が来るだろうと思ったから、日本から翠屋のパティシエ呼んでシュークリーム作ってもらったから」

「え、本当!?」

 翠屋のシュークリームと聞いた途端に勇の瞳がキラキラと輝きを放ちだし。「本当だからさっさと行って来い」というと、公式なパーティだというのにも関わらず彼女はドレスの裾を踏んでしまうことも気にせずに走り出して行ってしまう。

 誰かとぶつからなければ良いが、と思っていると早速「ごめんなさーい!」と謝る声が聞こえてきた。

 思わずまたまた溜息を吐きそうになるが、沈ませてしまったアリオーシュの気分を回復させてくれたことにだけは、やはり感謝すべきだろう。


/喫煙所


 パーティも終盤に差し掛かった頃、マッハは一服するためにパーティホールを出た。時代が変わったとしても嫌煙の運動は相変わらずあるようで、パーティホールでの喫煙は認められていない。他の企業なら社屋内禁煙ということもあるらしいのだが、ブラックゴートは社長自身が喫煙者ということもありその辺は配慮されているらしい。

 他の企業とは違い、ここには屋内に喫煙スペースがある。といってもそれはかなり小さかった。四畳半ほどの大きさで四面をアクリルで覆われ、中心には四角い空気清浄機らしき機械が設置されている。それを見てマッハは溜息を吐いた。

 予想していたことではあったが、やはりここの喫煙所もかなり狭い。せっかく星鈴を親元に帰すことが出来、一人身になれてやりたい放題になったというのにこれではせっかくの煙草も味気がなくなりそうだ。

 それでもそこ以外に煙草を据えそうな場所も無く、やむを得ず煙草を咥えながら喫煙所無いに入り火を点けた。煙を吐き出すが、その香りを嗅ぐ前に煙は清浄機へと吸い込まれてしまう。だから喫煙所は嫌いなんだよ、と思っているとアクリル製の扉が開きまた新たな喫煙者がやって来た。

 誰だろうと思い下に向いていた視線を上げると、そこには煙草を咥え目を丸くしているアネモイの姿がある。

「何驚いてんだよ?」

「いや、あんたが煙草を吸うなんて思ってなかったからさ」

 溜息を一つ吐いてからマッハは続けた。「何でそう思ったんだよ?」と。

「あぁ、簡単な話さ。名前は知らないけれど女の子連れてたじゃないか? その関係でてっきり煙草は吸わないと思い込んじまってさ」

 ガスライターで火を点けながらアネモイは答えた。彼女も吐き出された煙が機械に吸い込まれるのは不服そうである、どこかバニラビーンズの匂いを感じたのは彼女の煙草のせいだろうか。

「ところでマッハ、あんたもうパーティも終わりだっていうのにこんなところにいていいのかい?」

「それはそっちも同じだろう。どうせここに来てるリンクスなんざコネ作りたいか、ブラックゴートを調べに来てるかどっちかしかいないしな。ちなみに俺はどっちでもないぞ、来なきゃいけなかったから来ただけだ」

「あぁ……そんでリンクスが妙に多かったわけかい。コネが欲しければあたいだってそうしてたさ」

「ってことはコネ目的で来たわけじゃないのか?」

「当然さ。あたいはただ企業主催のパーティがどんなものか知りたくて来ただけ、他の連中とは違うのさ。にしてもブラックゴートって調べられるようなことでもしてるのかい?」

「さぁ? ただオーエンの野郎がそう言ってただけだ」

 マッハの言葉のどこに驚いたのかはわからないが、アネモイは煙草を咥えたまま目を丸くして硬直していた。

「何を驚いてんだよ?」

「いやさ、ここの社長を呼び捨てにするって一体どういう関係なんだろうと思っただけさね」

「俺はここの提供を受けて活動してるからね、だから今回も言われるがままにしただけのことだよ。まぁ、ここは何かと俺の言いように取り計らってくれるからな」

「いやぁ、そのように思っていてくれていたとは嬉しい限りだね」

 突然の声にマッハとアネモイは同時に視線を動かした。二人の視線の先にいるのは、今回のパーティ主催者であるU・N・オーエンその人である。

「び、びっくりしたぁ……」

「あぁ、驚かしてすまないねマドモワゼル。いやぁ、中々煙草を吸える機会も無ければ場所も無くてね。さっきテラスに行ってたんだけども、あぁもちろん煙草を吸うためだよ。ところが先客がいたから吸えなくてね、仕方なくここに来たわけさ。しかしマッハがいたというなら僥倖僥倖」

 オーエンは笑って見せたが、どう考えたところでここに来たのにはわけがあるのに違いない。彼のことだ、パーティの最初から最後まで煙草を吸うぐらいのことは我慢できるだろう。それにパーティは今終盤に差し掛かっている、だというのに特に用事も無いのに主催者が席を外すとは考えづらい。

「何しに来たんだよ? お前のことだ、どうせそんな言い方をしておいて本当は俺を探しに来たんだろ?」

「さすがだなマッハ、ユナイテッド・ステイツのニミッツ提督が手許に欲しがるだけのことはある。まぁ君の言うとおり君にあることを伝えておきたかったからここに来たんだけど、さてどうしようか……」
 そう言ってオーエンはアネモイへと視線を向ける。アネモイの存在をどうするべきかで悩んでいるのだろうが、結局は邪魔にならないと判断したらしくまたマッハへと視線を戻した。

「あぁ、あたいが邪魔みたいなら席を外すさ――」

 言いながらアネモイはそそくさと煙草の火を消して外に出ようとしたのだが、オーエンはそれを許さず彼女の手を掴んだ。一瞬ではあるがアネモイの目が泳いだのをマッハは見逃さない。

「いやぁアネモイさん。今更席を外してももう遅いよ、だってウチとユナイテッド・ステイツの関係を知られちゃったからねぇ……」

 アネモイに対してオーエンは笑顔を浮かべて見せたが、果たしてそれは彼女にはどのように見えたのだろうか。少なくとも好意的なものとして捉えられていないことだけは確かだ。その証拠に彼女の表情は笑顔を形作ってはいるが、かなり引きつっている。

「まぁ運が悪かったと思ってくださいアネモイさん、悪いようにはしませんから、ね?」

「あ、あぁ……そういうことなら、残るさ」

 残念そうにアネモイは肩を落としながら二本目の煙草を取り出す。彼女に対して何か言葉をかけようかと思ったが、それでどうなるというわけでもないだろうからマッハは何も言わずオーエンに視線を戻した。

「で、用事って何だよ?」

「いやぁ、君のスケジュール空いてるのかなと思って。提供はしてるけど専属契約は結んでないからスケジュール把握できてないんだよね、だから空いてるんだったらしばらくミッション受けるの控えてもらいたいんだよ」

「何故?」

「オトラント紛争に参加してたんだったら知ってると思うけどさ、核兵器、それも水素爆弾ってあるだろ?」

「あぁ、プロフェット社の連中がミラージュに対して使ってたな」

「でさ、その水素爆弾をGAがハワイ諸島に対して使用するらしい。さっきGAの高官から聞いてきた、発射場所はサンディエゴのミサイルサイロだとさ。というわけでうちからもリンクス一人出すから君も参加してくれるのならリンクス二人を雇ってVOBで突撃させる。もちろんユナイテッド・ステイツとの協同作戦になるしステイツと我々との関係性がGAにバレる可能性も少なくは無いが……流石にCBAR兵器の使用を許すわけにはいかんしなぁ……大体アレの破壊力をGAは理解してるんだろうかねぇ?」

「してないだろ、じゃなかったらCBARなんて使うか? ましてや水素爆弾つったら爆弾の王様じゃねぇか。そんなもんをハワイ諸島にぶちこむなんて正気の沙汰じゃないね」

「まったく君の言うとおりだ、ヒロシマ・ナガサキ、ビキニ環礁それにツァーリ・ボンバ……賢者は歴史に学びといい愚者は経験に学ぶというが、その言葉どおりだとしたらGAの連中は間違いなく愚者だな。彼らに出す酒にだけ少量の自白剤を混ぜておいて正解だったよ」

「まったくだな……」

「えっと、お二人さん? ちょっといいかい?」

 いつの間にかアネモイは部屋の隅に寄っており、小さく手を上げていた。積極的に会話へと参加する気は無いようだが、今の会話に気になるところでもあったのだろうか。

「水素爆弾って何さ? そいつぁコジマよりヤバイのかい?」

 このアネモイの言葉にマッハとオーエンの二人は視線を交わして無言の相談を行った。確かにアネモイが水爆を知らないのも無理は無い。オーエンが知っているのはおそらく戦争に関する歴史を漁っているうち資料を見つけたからだと推測できる。

 ただよく考えてみればアネモイの年代になれば水爆などを使用したのは遥か昔のことであり、コジマ技術の発達した今ではあえて核などを使用する必要なども無かったのだ。なのにそれをGAが使用しようと考えているということは、コジマ以上の破壊力が欲しいに違いない。

「ミス・アネモイ。水素爆弾というのは一種の核弾頭のことだ、核兵器については知っているかい?」

 オーエンの言葉にアネモイは頷いた。水爆は知らなくとも核兵器という単語は知っているらしい。

「ではその水素爆弾の最大破壊力とでもいうべきものの値は幾らか知ってるか?」

「さぁ? でも使われてないんだったら、コジマより下回るんじゃないのかい?」

「残念ながら違う。核兵器の破壊力は理論上無限大だ、その気になれば星一個破壊するのは余裕だな。勘違いさせるかもしれないが、水素爆弾っていうのは一時的に太陽を発生させるのと同じようなものだしね」

「はぁ!?」

 素っ頓狂な声が狭い喫煙所に響き渡りアネモイの口から煙草がポロリと落ちた。

「そういうわけだ。そんなものを使用させるのは人道的に見て正しいことじゃない、ブラックゴートは親GA派を謳ってはいるがGAグループではない。敵対してしまう可能性があったとしても、我々はGAの暴挙を止めるべき義務がある。それを知ってしまった以上はね。というわけでミス・アネモイ、近々我が社もしくはユナイテッド・ステイツから依頼があると思う、その時に力を貸してくれるとぜひ嬉しい」

 言い終えてからオーエンはわざとらしく時計を見て「おっと時間だ、いけないけない」などとのたまいながら喫煙所を後にし、パーティ会場へと戻っていった。その後姿を見ているアネモイはまだ口を開けたままである。先ほどのオーエンの言葉が信じられないのだろう。

 やれやれ、また厄介なことになりそうだ。そう思いながらマッハは紫煙を空中に向かって吐き出した。

小説TOPへ