『エーヴィヒ・レーヴェ』

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 ブラックゴートの本社は奇妙なところに建てられていた。いや、何も無いところに建てられているからこそブラックゴートの社屋が奇妙さを引き立てているのだろう。

 旧アメリカ合衆国ロードアイランド州、プロヴィデンスと呼ばれる地域にブラックゴート社の本社はある。昔、このプロヴィデンスで何があったのかリディルは知らないがネクストを乗せた輸送機の窓から見る風景は一面の荒野だった。

 彩というものが全く見られない。昔は湖や川だったのかもしれない溝や穴を幾つか発見したが、どれも涸れてしまっている。精彩というものが全く存在しない上に生命の息吹すら感じられない。昔のSF小説で描かれていた終末世界を彷彿とさせた。

 そんな所にブラックゴート社の本社屋が存在している。無機質な三角柱の形をしたビルがタワーのように天を貫かんばかりにそびえ立ち、その周囲に大小様々なビル群があった。それらを見ていると益々ブラックゴートという組織が奇異なものに思えてくる。

 リンクスという仕事の都合上、どうしても様々な企業の施設を見て回ることになるのだがこれほどまでに奇異なものを見るのは初めてのことだった。持参してきている鞄の中からファイルを取り出す。中に入っているのは独自に集めたブラックゴート社に関する資料だ。

 調べてみるとこの企業の意外性が良く分かる。国家解体戦争以前から存在していた企業であり、最初は企業向けのプログラムを製作するソフトウェア製作会社であったらしい。だがその後からが分からない、どうにも府に落ちない点が多すぎるのだ。

 まず国家解体戦争以前は普通のソフトウェア製作会社であったものが、今こうして急進してきているのかが困る。また公表こそされていないものの独自にノーマルACを開発し保有しているともいう。ソフトウェアの製作を専門にしているのならば、ハードウェアに関するノウハウは無いはずだ。加えてノーマルACを独自開発するとなれば相当の技術力を要する。

 一体、それらのノウハウや技術をどこから手に入れたのかが分からない。加えて近年の噂の域を出ない情報が怪しさに拍車を掛けている。曰く、ブラックゴートはスター・アンド・ストライプスに手を貸しているということだ。だがブラックゴートはつい先日にGAグループに対してノーマルACを無人制御するAIを売り込み、それに成功したという。

 スター・アンド・ストライプスの当面の敵はGAであり、敵対しているもの同士に手を貸すというのは賢明なことではない。なぜならば両方からの怒りを買う可能性がある。スター・アンド・ストライプスならばまだしも、GAグループは世界最大の企業グループである。

 GAグループの怒りを買えばブラックゴートは簡単に潰されてしまうであろう。そして現に、GAグループ内の企業であるBFFから怪しまれて威力偵察を行われそうになっている。しかし不思議なのは何故、威力偵察があるとブラックゴートは察したのだろうか。

 GA本社と親密になっていたとしてもBFFは独自に動いているはずだ、GA本社が察知しているはずがない。ブラックゴートがどこからBFFの作戦情報を手に入れたのかが不明なのだ。最も、それらに興味を引かれたからこそリディルはこのブラックゴートに手を貸すことに決めたのだが。

 虎穴に入らずんば虎児を得ず。諺にもあるように危険なくして成功は有り得ず、中に入ってみなければ真相はいつまでたっても闇の中だ。だからこそリディルはこの依頼を受けた。ファイルを鞄の中に直して座席のベルトがしっかりと固定されているか再度確認する。輸送機は高度を下げて着陸態勢に入ろうとしていた。

 だが輸送機の進路の先に滑走路は無い。代わりに地面に四角形の穴が開いており、輸送機はそこへ飛び込んだ。どうやらブラックゴートは何を考えているのか知らないが地上に滑走路や格納庫の類を置いていないらしい。軍事力を保有していると思われたくないため、地下に基地施設を埋設しているとも考えられる。

 輸送機が着陸すると入ってきたハッチは閉じられた。地上にいたのならばどこに滑走路があるのか分からないだろう。この辺りからもブラックゴートの用意周到さが窺える。リディルが輸送機から降りて最初に見た光景は、見たことの無いACの群れだった。今まで見てきたノーマルよりも一回り大きく、背部にはミサイルランチャーとキャノン砲を搭載しており右腕部にはキャノンのような物を持っている。形から察するに、手に持っているキャノンはエネルギー弾を発射するタイプのものだろう。

 リディルがそれらを眺めていると、口ひげを生やした病的なまでに青白い顔をした男が近づいてくる。

「はじめましてリンクス、リディルさんですね? 私はブラックゴート社のエドガー・アラン・ポオと申します。今回の作戦行動において社長から全権を任されています、よろしく」

 ポオが握手を求めて手を差し出してきたのでリディルはそれに応えた。

「カラードNo.14リディルです。よろしくミスター・ポオ」

 簡単な自己紹介を済ませてから握手をしていた手を離す。ポオの手は冷たかった。

「あなたと協同することになるマクネアー氏は既に到着しています。ですので早速ブリーフィングを行うのが通例なのでしょうが、今回の作戦はブリーフィングを行うほどでもないという社長の判断ですので、作戦概要書だけを渡すことになります。あなた方はそれに書かれていることを実行してもらうだけで充分です」

「ブリーフィングを行わないのですか?」

「えぇ、社長に言わせるとあなたとマクネアー氏ならばそんなことをせずとも任務を遂行するだろうからブリーフィングを行うだけ時間の無駄だ、ということでして」
 この言葉にリディルは思わず顔をしかめてしまった。だがポオはそんなことを気にした風も無く話を続ける。

「作戦概要書はあなた方リンクスのために用意した部屋に準備させていただいてますので、私の後に付いて来て下さい」

 ポオが歩き出しリディルもそれに続く。格納庫の扉を出てしまえばそこはなんてことは無い、基地というよりも普通の社屋に近い風景が広がっていた。所々の壁には社員達の士気を上げるための啓発用のポスターが張られており、掲示板には各種連絡事項を記したプリントが張り出されている。

 今までこんなちぐはぐな基地というか社屋というかはよく分からないが、とにかくこういった建物を見たことは無い。加えて廊下は細く作られており、幅は大人が三人横になって歩けるぐらいといったところだろうか。扉をあまり見ないところから一部屋あたりのスペースを多く取っているのだろうということが窺える。

 格納庫からそう遠くないところに部屋が用意されているのだろう、そうリディルは考えていた。どこの企業もネクストがすぐ出撃できるようにとの理由でリンクスは格納庫近くで待機させられる。それが慣習だ。

 だというのにポオは廊下を歩き続けてどんどん格納庫から遠ざかっていく、しかも途中で幾つもの角を曲がり格納庫へ続く道を覚える自信が無かった。何とか目印になるものを見つけようとしながら歩いているのだが、どこも似たような光景があるばかりで目印になりそうなものは何も無い。このままでは一人で格納庫に向かうことが出来なくなるのでは、リディルがそう危惧し始めたときにポオがあるドアの前で立ち止まりドアノブに手をかけた。

「こちらの部屋です。作戦開始時間までは自由に行動していただいて結構ですので」

 ポオに促されて部屋に入る。部屋の中はリンクスの待機室としては破格と言っていいほど豪華だった。一人用のソファーが二脚用意されており、それに挟まれるようにして天板がガラスで出来ている。壁には巨大なテレビモニタが設置されており今はニュース番組が流れていた。テレビモニタから伸びている配線が気になりコードを辿っていけば、何故か最新型ゲーム機と専用のゲームソフトが何故か置かれている。しかもご丁寧なことにコントローラーはちゃんと二人分用意されていた。

 ここまで来ると馬鹿にされているのではないだろうかと考えてしまう、しかしここまで良い待遇を受けたことは無くブラックゴート也の誠意の証ととるべきなのだろうか。悩んでいるうちにポオは「失礼します」との言葉だけを残してドアを閉めて去ってしまう。

「あんたがリディルか?」

 ソファーに座っていた金髪の青年が声を掛けてくる。彼の髪はところどころで跳ねており、その跳ね具合がどこかライオンのたてがみを連想させた。

「あぁそうだ。ということはあんたがレオン・マクネアー?」

「そうだ、おれがNo.25のレオンだ。一つヨロシク」

 そう言いながらレオンはテーブルの上に置いてあったジュース缶を手に取り蓋を開けようとした。ジュースを飲むのは彼の勝手である、リディルにそれを制止する権利は無いしそんな気も無い。だがリディルの手はジュースの蓋を開けようとしているレオンの右手をがっしりと掴んでいた。

 自分でも理解できない行為に驚きつつも、何故そんなことをしてしまったのかすぐに理由が分かった。レオンが握っているジュース缶にはこう書かれている、「ハワイアンおでん(パパイア風味)」と。

「それだけは止めておけ」

「そこの自販機で名前が面白いから買ったんだが……もしかして、そうとうヤバイのか?」

 リディルは無言で頷く。あの味は経験したものでないと分からない、おそらくは通常の味覚を持っている彼の口に合うとは限らないのだ。そしてリディルはよほど険しい表情をしていたのか、レオンの額に妙な汗が浮かんでいる。おそらく彼は好奇心だけで買ったのだろうが、名前からある程度味は推測しているらしい。

「そ、そうか……じゃあ止めておこう」

 レオンはハワイアンおでん(パパイア風味)の缶を静かにテーブルの上に置いた。無言の、妙に重たくなんとも形容しがたい空気が二人の間に流れる。


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「リディルとレオン、二人とも到着したか。それで、うちの女神様と天女様のご機嫌はどうだい?」

「はい、調子は上々と言ったところですか。お二人の専用アイビスも準備は出来ています、後は慣熟飛行を残すのみですね。ただ光学迷彩の完成度が気になるところですが」

「その点はどうでもいい、視界から完全に消える必要はないさ。レーダーにさえ映らなければ彼女らはどうとでもしてくれるよ。なんてたってインディペンデンス紛争以前から傭兵を続けている、ベテラン中のベテラン。彼女達以上のキャリアを持っているとしたら、マッハぐらいなものだよ。でだ、ポオ。私がいつ本社に帰還するか、ワザとBFFに教えてやれ」

「良いのですか社長? BFFは我々を確実に敵対視しています、GAグループ企業とはいえ大胆な行動に及ぶ可能性がありますが」

「その大胆な行動をして欲しいんだよBFFに。企業ごときが我々の目的に気づくはずも無いとはいえ、ちょろちょろされるのは目障りだ。BFFには警告をしてやらんとな、今回の作戦もそうだがこの程度でBFFが動じるとは思えんしな。動かしてやれ」

「了解しました」

「あぁ、それじゃあ頼んだぞエドガー」

 そう言ってオーエンは受話器を置いた。椅子から立ち上がり煙草に火を吐けた。吐き出した紫煙は窓ガラスにぶつかり拡散する。眼下に広がるのはオレンジ色の街頭に照らされた大都市、ラスベガスだ。

 現在、オーエンはラスベガス内のホテルの一室、もちろんスイートルームを借りてである。この部屋から見える景色は人工のものではあるがそれはそれで趣のある美しさがあった。しかしオーエンはこのラスベガスという都市がどうしても好きになれない。

 国家解体戦争以前からこの都市は観光収入を主として発展してきた。観光収入といえば聞こえは良いが、要はギャンブルで出来上がった都市である。どうにもそれが気に入らない、そして人工美と来た。

 地上から二〇〇メートルの高さにあるこのスイートルームから眼下へと広がる都市に唾を吐き掛けたいほどだ。

「マスター」

 背後から声を掛けられ振り返ると、シャワーを浴びたばかりでバスタオル一枚を身に纏った状態のセレがいた。オーエンはまだ半分以上残っている煙草を灰皿に押し付けて、セレに近寄る。

「前にも言ったはずだが、君は女性だ。男性の前にそのような布切れ一枚で現れてはいけない」

 セレはオーエンを見上げる。機械の瞳はオーエンの表情を映し、それをどのように処理しているのだろうか。機械の瞳は表情を表さない、故にオーエンはセレが何をどのように捉え、考えているのかが分からない。

 それでも、きっとこう思っているのだろうという自分勝手な推測にしたがって彼女に接してきた。間違っているか、間違っていないか。それはそう遠くない未来にハッキリとすることだ。明日のことを何も今日悩む必要は無い。

 セレの肩を抱き、ベッドルームへと入り彼女が身に纏っていたバスタオルを剥いだ。少女と女性の中間というべき肉体が露になった。機械で作られているといっても彼女には皮膚があり触られると人間と同じように感じ、同じように反応するように出来ている。

 彼女と人間の違いは、有機物で出来ているか無機物で出来ているかの違いしかないのかもしれない。だが今、この瞬間にそのようなことは関係が無かった。セレとオーエン、双方が望んでいるのか望んでいないか、ただそれだけである。

 セレの両肩に手を置き唇を重ね合わせる。無機物で出来ているセレではあるが、全身から放熱しているために人と同じような温もりを感じる。肩に置いていた手を下に這わせ、左腕は彼女の腰を抱くようにし、右は丘を包み込むようにしてセレをベッドへと押し倒した。


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 ナンタケット島沖合いに停泊しているBBF籍の空母から二体のACが発進した。一つはΣの駆るプロミネンスとフェルの駆るカオス・ブルームである。この二機が目指してるのはブラックゴート社の本社があるプロヴィデンス。

 ナンタケット島からだと北上してナラガンセット湾に入ってしまえば作戦は成功するといえよう。もっともナンタケット島にBFF籍の空母が何の警告もされずに来れている時点でブラックゴートの出来ることは知れているかもしれなかった。

 ブラックゴート本社屋があるのはGAグループの親元であるGA社が管理している土地の一角である。ブラックゴート社はGAグループに属してはいないものの親GAの立場を取っている為、GAグループに属すBFFに対して何も出来ないのだろう。

 だからこの偵察は何事も無く成功すると、カオス・ブルームのコクピットでフェルはそんなことを思っていた。この依頼を受けたのはブラックゴート社に気になることがあったことと、同じリンクスであり恩人であるサリアの頼みがあったからだ。

 そうでなければ何が起こるかわからない危険なミッションに自ら足を踏み入れることなどしなかっただろう。ブラックゴートはあのサリアでさえ危険視している節のある企業である、ありとあらゆる事態を想定していなければならない。

 もしかするとナラガンセット湾に入ろうとした時に海面から敵が急に現れて突然包囲されるという事態も有り得る。サリアがくれた情報によればどうもブラックゴートは水中行動可能な人型機動兵器を所持しているともいう。通常では有り得ない方法で攻撃を仕掛けてくることは充分に有り得ることだった。

 ナラガンセット湾にはまだ距離があるというのにフェルの心臓は戦闘時と同じように高鳴っている。落ち着かせなければいけないのだが、胸の中にある不安の塊が決してそれを許そうとはしなかった。適度の緊張は有益だが、緊張のしすぎは判断を誤らせる危険性があり咄嗟の動きを阻害しかねない。

 だからこそ余計に落ち着かなければならないと自分に言い聞かせるのだが、心臓は言う事を聞いてくれなかった。それがさらに不安をあおる。落ちつかなければ、それだけが頭を駆け巡る。

「フェル……落ち着け、動きが乱れてる」

 通信機から聞こえたΣの声でフェルは我に返ることが出来た。そうだ、下手に落ち着こうとすれば余計な緊張を招くだけだ。そのことに思い至った瞬間にフェルの心から不安はなくなりはしなかったが、和らぎはした。

「ありがとう、Σ君」

 精一杯の感謝の気持ちを電波に乗せて、フェルは操縦桿を握り締める。いつでも戦闘に入れるよう体勢を整えると徐々にナラガンセット湾が見えてきた。湾内に侵入してしまえばプロヴィデンスはすぐそこだ、あそこに到着してしまえば威力偵察としての任務は終わったも同然。

 フェルは一種の安心感に包まれたが得体の知れない感触に襲われた。それはほとんど実感を伴っており、頭足類の触手に絡まれたような感触だ。それを振り払おうとすると、思わぬタイミングでペダルを踏み込んでしまいクイックブーストが発動する。

 その次の瞬間だ、カオス・ブルームの走っていた空間にレーザーが着弾し一瞬にして水を水蒸気に変化させたために爆発を起す。それにカオス・ブルームは巻き込まれ、片足が着水し速度が落ちバランスを崩す。

 レーダーには自機へと飛来してくるミサイルが映し出されている。回避行動は間に合わない、直撃すると思い目を瞑った。音は聞こえた、しかし衝撃は来ない。まさか、と思い振り返ればΣのプロミネンスがカオス・ブルームの盾となっている。

「Σ君!?」

「気にするな、行くぞ」

 プロミネンスがオーバードブーストを発動させて敵へと近づく。その間にフェルはオペレーターに敵のデータ照会を求める。そして予想外の早さでデータが送られてくる、全く時間が掛からなかったということは敵がリンクスである証拠だ。

 そして敵の正体はリディルのファグナーとレオン・マクネアーのエルダーサインであると判明する。二対二の戦闘、プロミネンスが既に自分の身代わりとなって被弾してしまっている状況を考えるとフェルの中に罪悪感と同時に闘志が芽生えた。

「絶対に、今日は勝つよ」

 自分に言い聞かせるように言ってからオーバードブーストを起動させる。海面を失踪している二機のACの姿がモニタにハッキリと映し出された。白を基調とした機体はリディルのファグナー、金色のACはレオンのエルダーサインである。

 ファグナーの方にはΣのプロミネンスが向かっていたため、フェルは機体をエルダーサインに向けた。エルダーサインは垂直ミサイルと肩の連動ミサイルを発射してくる。連動ミサイルはチェインガンで迎撃して、垂直ミサイルはクイックブーストを使用して避けた。

 エルダーサインの機体は見たところ万能型、秀でている点も無ければ欠点となるべきところも無さそうである。だが装備を鑑みると彼が得意とするのは中距離戦であるということが理解できた。そしてフェルのカオス・ブルームは近距離戦向けに組まれている。懐に飛び込んでしまえば勝機があるはず。

 そう信じてカオス・ブルームを接近させる。両肩の四連装チェインガンを放ち続けて敵の動きを防ぐ。急速に残弾が減っていくがフェルは気にしない。エルダーサインの動きは明らかに鈍っている。距離を引き離そうとしているが、撃ち続けているチェインガンがそれを遮っていた。

『えぇい! ちまちまと鬱陶しいんだよ!』

 エルダーサインがレーザーライフルを放つ、避けきれずに直撃を貰うが対した損傷ではない。自分の得意距離ではないと感じたのかエルダーサインは後退を止めて、前進を仕掛けてくる。二機の相対速度が突如として早くなった。

 そしてこれこそがフェルの望んでいたこと。拡散バズーカを放つと回避されそうになるも一発だけ当たってくれた、それがエルダーサインの動きを止める。フェルとカオス・ブルームは今、一体となり、前方へクイックブースト。ブレードを振り下ろす。

 切り裂かれたエルダーサインは機能を停止させてナラガンセット湾に沈んでいく。

「もう二度と……私の前に立たないで下さい」

 荒い呼吸でフェルはレオンに告げる。だがこの言葉はレオンに届いてはいない。


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 衝撃と閃光の後、視界が暗転し上下感覚が無くなった。最後にレオンが見ることの出来た光景はブレードを振り下ろすカオス・ブルームの姿である。その時、己は何を思ったのだろうか。

「あぁ、そうだ……俺はしくじったんだ、ちくしょう」

 一か八かの賭けで前進したことが敗北に繋がった、考え無しの突進は無謀だということを知っていたのにも関わらず行ってしまった。傭兵として、リンクスとして最低だなと思いながらレオンは上下の無い世界の中を漂う。

 水の中にいるような感覚、痛みも何も無い。このまま死んでしまうのだろうか、それならそれで良いとレオンは思った。この世界に残している者は無い、マクネアー家の誇りというべきものは失われてしまうが、最後の一人であるレオンが死ねばその誇りも意味を成さない。

 死ねばどこに行くのだろうか、あの世という場所をレオンは信じていないがあっては欲しいと思う。そうすれば大好きだった曾祖母に会えるかもしれないし、曾祖母の話に良く出てきたレイヴン、コル=レオニスに会えるかもしれない。

 だとすればこのまま死んでしまうのも悪くは無いと思う。自ら意識を閉じよう、そうすれば早く死ねるかもしれないとレオンは考え、眠りに落ちるときのように思考を放棄した。

 だがその時「起きろ」と、渇を入れるような声が頭に響く。思わぬことに驚愕したレオンが目を開けると、暗黒の中にAC用のパイロットスーツを着た男が立っている。しかし、そのパイロットスーツは最新のものではなく型が古い。

 男の瞳は青く、金色の髪はところどころ跳ねている。細部こそ違うが、レオンは鏡に映した自分と対峙している気分になった。何が起きているのか解からずにいると、その男の隣に同じAC用パイロットスーツを着た女性が現れる。

「誰だよあんた等?」

「誰でも良いだろうそんな事、んな事よりもお前今死のうと考えてるだろう」

「そんなの俺の勝手だろうが。死んだらレイラばあちゃんに会えるかも知れないんだし、俺が死んだって誰も困らない。何も残すものは無いんだからよ」

 レオンが答えると金髪の男は溜息を吐き、その隣の女性は何故か悲しそうな顔をする。彼らが誰でここがどこなのかをまず知りたかったが、そのようなことを質問しようとすると喉が動かなかった。

「コル=レオニスってレイヴンがいたのを知ってるか?」

 もちろんレオンは頷く。そのレイヴンの話なら曾祖母から幾度と無く聞かされており、レオンがリンクスとなったのもそのレイヴンのようになりたかったからという部分もあった。

「何でレオニスは死んだと思う?」

「知らねぇよ、そんな事」

「まっ、知らなくても良いわな。だけどお前がそのレイヴンに憧れてるから教えてやるよ。レオニスは自分の大事なモノを守って死んだんだ。彼に悔いは無かった」

「俺にも悔いは無い」

 女のほうが何か言おうとしたが、男は何故かそれを止める。

「何のためにリンクスになった? 何のために戦っている? お前は、何を守りたい?」

 男の言っている事の意味は分からなかったが、レオンは何のために戦っているのかいつの間にか考えていた。曾祖母が話してくれたような傭兵になりたくて、自分の大事な物を守るために力が欲しかったのでは無かったか。

 そして自分の大事な物は何なのか、レオンにはわからない。

「お前の持ってる力は大切なモノを守るためのモノだ、戦うため生きるためにあるんじゃない。なりたいんだろう? レオニスに、だったら大事な物を見つけてやれ」

「でも、俺は――」

「気が付いていないだけでな、人間ってのは生きていればその内大事なものがあることに気づく。お前はまだその事に気付いていないだけだ。今は解からなくていい、でもそのために前へと進め。そのためには勝て。じゃあ行こうかトレイター」

 男は女の方に手を置いて背中を向け、歩き出した。暗闇の中、彼らの姿は遠くなっていく。

「待ってくれよ!」

 声を掛けると女のほうが振り返ってくれた。

「あなたはもう会ってるはずよ? だから進みなさいレオン、あなたにはそれだけの力がある。だってあなたの曽祖父はあの――」

 女が誰かの名前を言おうとしたとき、男は彼女の後頭部を軽く叩いて言うのを止めさせた。女は怒っているようだが、男はそれを流している。かなり仲が良さそうだ。

 暗闇の中、今はもう二人の姿は米粒ほどになっている。そこになってようやくレオンはトレイターとは何のことか思い出した。その名前は曾祖母がレイヴンであった時に使っていた名前では無かったか。つまり、彼らは。

 答えに行き着いたとき、レオンは涙を流していることに気が付いた。感謝の言葉がいくつも出てくるが言うことはしない。そんなことを彼らは望んでいないのだ。レオンには彼らの血が流れている、あの世があるならきっと彼らはそこでレオンを見ている。

 ならばレオンが彼らに対して出来ることは唯一つだけ。

「ありがとよ、レイラばあちゃん。それにじいさんよ、あんたが曽祖父だなんて光栄すぎるぜ」

 涙を拭いレオンは決意した。その瞬間、体の全感覚が戻ってくる、レオンがいるのは愛機エルダーサインのコクピットの中。機体は未だ海中に沈み続けている、機能は全て停止していたが痛む体を酷使して再起動を完了させ浮上。

 二体の敵はリディル一体に集中している、敵の注意をこちらに引き付けるためだけにアサルトアーマーを使用した。戦場にいる全てのネクストの動きが止まる。

『再起動したと言うの!? 有り得ない!』

 通信機からフェルの声が流れる。

「有り得なくはないさ、俺の名前はレオン・マクネアー。トレイターとコル=レオニスの血を引く男だからな!」

 カオス・ブルームがこちらに向かってくる。エルダーサインはプライマルアーマーの無い状態だった。だがレオンは何の不安も感じていない、カオス・ブルームを落とすための戦術も思いついてはいない。だが勝てる、その確信だけがあった。

 全身を包み込む柔らかな毛布のような感覚、それがどのように変化するかを見極めれば良い。こんなことが出来ることに何故、気付かなかったのか。それは自分の力が何のためのものかに気付いていなかったからに他ならない。

 だが気付いた今、レオンを阻める者はいないはず。そう信じて機体を前に進ませる。

『私の前に立たないでと言ったのに!』

 泣き喚くようなフェルの声。

「俺はそんなこと聞いた覚えは無いね!」

 そしてメインブースターをいっぱいに噴かして急速上昇を掛けた。足元をチェインガンの弾幕が通過していく。そしてカオス・ブルームへとミサイルを放つ。迎撃にチェインガンを使っては来ない、弾数が心許無いのだ。

 レオンを包む柔らかな感覚が徐々にとげとげしいものへと変わり始める。フェルが焦っているのだ。倒した敵が再び起き上がってきたのだ無理も無い。レオンとしてもカオス・ブルームを落としたくは無かったが、それが仕事であり自らが行かねばならない道である。

 カオス・ブルームがどのように回避行動を行うのか、全て手に取るように理解できていた。敵機の真上に到達した瞬間に降下し、カオス・ブルームの上にのしかかる。流石にネクストのブースターであっても二機分の重量は支えられないらしく、カオス・ブルームが沈み始めた。

「コクピットだけは勘弁しておいてやるよ、救助されるまで海底に沈んでやがれ!」

 ブレードをカオス・ブルームのコアに根元まで突き刺す。カオス・ブルームは速度を上げてナラガン・セット湾に沈んだ。


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「カオス・ブルーム撃墜」

 味方機からの報告にリディルは背筋が震えた。一度、落とされた機体がまた再起動して起き上がってくることなど有り得るというのだろうか。そして問題はその後の戦いだ。視界の端で捉え続けていたのだがあれは戦いと呼べるのか。

 エルダーサインはカオス・ブルームの動きを完全に読み切っていたとしか思えない動きだ。しかもコアパーツをブレードで突き刺しはしているものの、コクピットの部分を外すようにして貫いていた。とてもではないが、戦場で咄嗟に出来る行動ではない。

 レオンに何があったのか、解からないにせよ彼が味方で良かったとリディルは思う。

『フェル、フェル? フェル!?』

 敵機から何度も仲間を呼ぶ声が聞こえてくる。返事は無いというのに、よほど彼は混乱しているらしい。

「あんたの仲間はもう落ちたよ。返事が返ってくると思うな」

 事実を述べてやると、プレッシャーとでも呼ぼうか。敵機体から放たれる圧力が強くなる。そしてプロミネンスから放たれる計三二発の垂直ミサイルと三二発の連動ミサイル合わせて六四のミサイルがファグナーを狙う。

 それらミサイルの雨の中を掻い潜りながらプロミネンスとの距離を詰めていく。当たりそうなミサイルだけを迎撃し、着実に距離を詰めていかねばならなかった。プロミネンスに使用されているパーツはどれも装甲が厚い。

 その装甲をぶち抜いてやるには至近距離から撃ってやる必要がある。プライマルアーマーがあるとはいえ、至近距離から右背中に搭載しているハイレーザーキャノンを当ててやれば如何に重装甲を持っていようと関係あるまい。

『うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!』

 何がそんなにΣを混乱させているのか解からないが、リディルにとってはこれは好機以外の何ものでも無い。プロミネンスは動くのを止めてしまっており、接近を阻むためライフルとガトリングガンを連射しているが狙っているかどうかは怪しかった。

 順調に距離を詰めたリディルは一気にクイックブーストを活用しハイレーザーキャノンの砲口をプロミネンスのコアパーツと脚部との間に付き付け、トリガーを引く。

 零距離から放たれたハイレーザーはプライマルアーマーに阻まれることも無く、また距離による減衰を受けることも無くスペック通りの性能を発揮させてプロミネンスの巨体を二つに分けた。

 プロミネンスがカオス・ブルームと同じようにナラガンセット湾に沈んだのを確認してからリディルは味方機に「プロミネンス撃破」と伝える。

「お見事」

 と、短い返事が返ってきた。

「何がお見事だ……手伝いもしなかったくせに」

「勝つのが分かってたからな、あのリンクスよりもあんたのが強い。それが何故か分かった。それだけのことさ、それよりもだ。今日の勝利を祝って事後処理が終わったら一杯やらないか」

 レオンの言葉はどこか得意げであり、そして嬉しそうでもあった。彼は今日、死地を見たはずなのだがこれは一体どうしたことか。リディルはそれを少し知りたくなった。

「良いな、付き合おう。但しお前の奢りだ」

「おいおい、俺の財政状況は逼迫してるんだけど?」

 笑い交じりのレオンの返答。それに対してリディルも笑いながら「冗談だ」と返す。





あとがき

久しぶりにあとがきを書く気がします。というか後書きじゃなくてね、ちょっと伝えたいことがあったんでここに書いておきます。わかる人にはわかるんだけど、今回は話の舞台があの“プロヴィデンス”付近であり、そして“ナラガンセット湾”ということで遊んでみました。それだけ(笑)

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