『リヴァイアサン』

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「まったく、有澤ってのはこの程度なんですか!?」

 ブリーフィングを終え、リンクス専用控え室に戻ってきた時に放ったピジョンの第一声がそれだった。続いて行ったことといえば、与えられた資料の束――と言っても一〇枚ほどだが――を机の上に叩きつけることだ。

 いらだたしげにピジョンはソファーに座るやいなやシガレットケースから愛飲している煙草を取り出して火を点ける。僅かに遅れて入ってきた今回の相方、ジャンにはなんの断りもしていない。

 彼が嫌煙家である可能性は充分にあるわけだが、ピジョンにとって彼が嫌煙家であろうがどうかなどは瑣末ごとだった。彼にとっては依頼主である有澤重工からもたらされた情報が自身で集めたものよりも少なく、そして正確性に欠けることが問題なのである。

 企業からの情報だけに頼るリンクスならばそれできっと満足していただろう。だがピジョンはそうではないのだ。確実性を帰すために企業からの情報に頼らないことにしている、なぜならば彼らは自分たちにとって都合の良いことだけを出す悪癖がある。

「そう怒ることでもないだろう」

 ソファーに身を沈めながらジャンが言った。彼の表情を窺ってみたがこれといったものは感じられない。少々呆れているように見えたが、少なくとも煙草の煙を気にしている様子は無いようだ。

「そうですか? これは充分に憤慨するに値すべき出来事だと私は思いますがね。情報は命です」

「事前に得た情報ばかりが全てではないだろう」

 ジャンの言うことはもっともなことではあるが、ピジョンは賛同しかねる。

「それはそうです、情報が全てではない。ですが事前に霧は可能な限り晴らしておきたい」

「霧?」

 この問いにピジョンは嘆きの声を漏らしながら顔を手で覆った。今回の相方は戦場の霧について何も知らないらしい。こんなリンクスと一緒に仕事をしなければならないのかと考えるとピジョンは頭が痛くなった。

「戦場の霧です、常識でしょうこれぐらい」

「常識か。それならばぜひともご教授願いたいものだ」

 ジャンの言葉には棘がある。このようなことを言われて頭にこない人間はいない、ピジョンがジャンと同じ立場だったとしても同じことをしていただろう。ジャンを怒らせているのは理解できているが、ピジョンも彼に呆れを感じているのだ。

 だからといって説明しないというつもりにはならない。彼と行動を共にする以上、彼とは共有しなければならないものが多々存在する。情報はもちろんそうだし、知識も可能な限りは共有すべきだろう。そうでなければ彼の行動がピジョンの行動を阻害し、その果てには死を招くことだってありえる。

「ようは不確定要素のことですよ。それを昔存在した国家、プロイセンの軍人であるカール・フォン・クラウゼヴィッツは霧に例えたんです」

「なるほどね」

「私は出来る限りその霧を晴らしたい。つまり、可能な限りの情報が欲しいんです。それが間違いであったとしても構わない。多ければ多いほど良い、そこに真実が隠されているのならば必ず共通点が見つかりますからね」

「君、歳は幾つだ?」

「歳ですか?」

 いきなり奇異な質問をしてくるものだと思いつつも、答えない必要性はどこにもない。隠す必要もまた無いので「二七です」と正直に答える。するとジャンは感慨深げに「そうか」と一言呟いた。

「私とちょうど一〇離れていることになるな」

 それがどうした、とピジョンは言いたいところだったがジャンにとってはそうでもないようで何かを考えている様子だった。一〇も歳が違えば一世代は離れていることになる。ジャンにとってそれは何かを意味しているのかもしれないが、ピジョンにとってはどうでも良いことだろう。

 彼が何を思い考えているのか、それは興味深いことではあったがもうすぐ戦場に赴くというのにそんなことに貴重な時間を割いてはいられなかった。そうでなければ話の一つや二つぐらいは聞いてみたいところではある。そこには自分の思いもしなかったものが隠されているかもしれないし、新たな発見がある可能性があるのだ。

 それがこの後の戦闘に役立つ可能性はもちろんあるのだが、役に立たない可能性のほうが高い。話を聞きだしたところで彼の個人的な述懐に終わる可能性のほうが高いだろう。

 煙草はまだ吸える部分が残っていたが、小さいことを気にしても仕方が無い。資料を読み解くことに集中したかったので煙草を灰皿に押し付けた。そして自身の携帯端末を取り出し、自分の収拾した情報を表示させる。

「見ますか?」

 未だ何か考え事をしているようなジャンに対し、情報の共有を持ちかけてみたのだが彼はあっさりとそれを断った。だがピジョンは驚かない。当然、予想していた反応だったからである。プライドか、それとも多すぎる情報は負担にしかならないと考えているのか。ピジョンはおそらく後者だろうと考えた。

 情報革新により手に入れることのできる情報は格段に増えたが、それは受け取り手にも多大な負担を強いることになる。情報の取捨選択ができなければどれだけ情報を手に入れたところでそれは無意味だ。

 取捨選択ができたとしても、膨大な情報の波に飲み込まれる可能性がある。自分のところに仕入れる情報は可能な限り的を絞っておく必要があるのだ。そういう意味ではピジョンにとって今回はやりやすかった。なにせ相手となるのはブラックゴート社である。

 腐れ縁と言うべきなのだろうか、ピジョンは一〇代の頃からリンクスをしているが何故かブラックゴート社と戦うことが多かった。その多くの戦いの中で幾度となく現社長であるU・N・オーエンとも戦っている。

 その甲斐あってというべきか、ピジョンは知られていないブラックゴート社の真の顔を知っている。U・N・オーエンの名が公表されている、ウルリッヒ・ニコラウス・オーエンでないことも知っていた。

 だがそれを周囲に晒そうとは思わない。彼らがユナイテッド・ステイツに協力しているという確たる証拠も手にしているが、それを企業に売る気もなかった。というよりブラックゴート社がユナイテッド・ステイツに協力しているのはおそらくどの企業も知っていることだろうとピジョンは推察している。

 知らないのはきっとGAグループだけだ。オーメルグループもインテリオルユニオンも知っているだろう。それでも尚、彼らに対して手出しをしないのはブラックゴート社とユナイテッド・ステイツがGAグループの戦力を削いでくれることを期待しているからに過ぎない。

 しかし、それも長くは続かないだろう。この世界はもう国家を認めない。人類は国家と言う単位を捨てたのだ。でなければ企業によるこの支配体制はもう覆されていたとしてもおかしくないだろう。一種の封建政治が世界を支配しているが、人々はそれを享受している。

 封建政治では少数の人間が政治を行い、多数の人間はそれらの人間のために働くだけだ。だがそれまでの世界、民主主義の世界には無いメリットがそこにはある。己の頭で考えなくても生活できる、上の指示にだけ従っていれば良い人はそれを受け入れたのだ。

 でなければ数の力によって世界の支配体制は覆されていたとしてもおかしくない。だというのに、ユナイテッド・ステイツは人々が拒否した世界を作り出そうとしている。いずれ人は民主主義を求める日が来るかもしれない、しかし少なくとも今は違う。

 そんな中にユナイテッド・ステイツの存在は世界に混乱を呼ぶ邪魔者でしかない。ピジョンはそう考えていた。それに手を貸すブラックゴート社も実に許しがたいものがある。実を言えばU・N・オーエンが社長に就任した時、ピジョンにはブラックゴート社専属リンクスにならないかという話があったが、彼らはユナイテッド・ステイツの前身であるスター・アンド・ストライプスに協力していた。その事実を知っていたからこそピジョンはその話を蹴っている。

「何かブラックゴートに対して恨みでもあるのか?」

 唐突にジャンに話しかけられ、携帯端末の画面から目を上げる。彼は文庫本を開いたまま視線だけをピジョンに向けていた。

「いえ、恨みなんかはありませんが……どうしてまた?」

「君の目に鬼気迫るものがあったような気がしたからだよ、だからてっきり恨みでもあるものかと思ってね」

 ピジョンは溜息を一つ吐き「恨みは無いですが嫌悪してはいますよ」と続けた。

「それはまた何故?」

「彼らがこの世界にとっての不純物だからです、あってはならないとまでは思いませんが、彼らはすべきことでないことをしている。私はそう思うからこそ彼らを嫌悪するのですよ」

「なるほど、しかし君の言葉を聞いていると私は不思議に思うよ」

 そう言ってジャンは読んでいた本を閉じた。ピジョンは首を傾げる。

「何がです? それほど変わったことを言いましたかね?」

「いや、変わったことを言ったとは思わない。世の中には色んな考え方が存在するし、そのどれもが言ってしまえば変わったもの、だろうと私は思う。けれどね、不思議なんだよ。そんな風に考えることのできる頭を持っている君がどうしてリンクス、いや、傭兵家業なんかをやっているのかとね。君にはもっと相応しい場所があるんじゃないのかい?」

 ジャンのその言葉をピジョンは鼻で笑った。自分にもっと相応しい場所、ジャンはピジョンにとって傭兵家業は相応しいものではないと思ったのだ。しかしピジョンは今の世界で自分にもっとも相応しいものは傭兵家業だと思っている。

「君のその頭脳があれば企業で充分通用するだろう、なぜそうしなかったのか聞かせてもらってもいいかね?」

 ピジョンは壁に掛けられている時計を見た。時間はまだ余裕がある、そして情報の取捨選択も整理も既に終えている。多少、話をしたところで問題はないだろう。戦場における摩擦が気になるところではあったが、それは今考えるべきことではない。

「あなたがそう言うのでしたら企業でも私は通用したんでしょう。けれど、それじゃあ私はただの歯車に過ぎなくなってしまう。私はそれが嫌なんです、自分の力でこの世界に私が生きたことを刻み付けてやりたい。そのためにリンクスになった」

「そうか」

 と、ジャンは呟くように言ったあとにまた読書へと戻った。てっきりジャンがリンクスになった理由も聞かせてくれるのではないかと思っていたのだが、違ったらしい。どこか不公平な気もしたが、それがどうした。

 時間はまだたっぷりある。考えようによってはどうでも良い話を聴かずに済んだとも取れるのだし、時間いっぱいまで可能な限りの情報を頭に詰め込んでおこう。ブラックゴート社がパレンバンで何をしようとしているのかは判っている。そこで新型ノーマルACと大型機動兵器の演習を行うのだ。

 情報を扱うブラックゴート社とはいえ、さすがに全てを機密とし漏洩を防ぐことは出来なかったようでノーマルACについては少しばかりの情報が入っていた。

 新型ノーマルACの名称はクルセイダー、今は崩壊したレイレナード社のノーマルAC002−B等を元にして開発したものらしい。となるとおおよその武装は察しが付く。元となったACはコジマ兵器を搭載していたが、ブラックゴート社はそこまでのコジマ技術を持っていない。となると通常武装だけとなるだろうが、これがまた厄介だ。

 通常兵器及び装甲等の基本的なACに必要な技術力だけで言えばブラックゴートは恐ろしいまでに高いものを持っている。元々が旧三大企業なのだから当然といえば当然だ、彼らの持っている生産設備の規模の小ささがせめてもの救いといったところだろう。でなければネクストの優位性は彼らによって奪われていたかもしれない。

 だがノーマルACはさして脅威にならないだろうとピジョンは考えている。ブラックゴートの生産能力は低い、ノーマルとネクストではやはり基本的なスペックが桁違いに違う。数があれば問題となるが、ブラックゴートはその数を調達することが出来ないからだ。

 問題となるのは、もう一つの大型機動兵器に関するものである。これに関してはピジョンの情報網を駆使しても写真一枚しか手に入れることが出来なかった。

 その写真に写されているのは一隻の戦艦だ。ただし、普通の戦艦とは違う。空を飛ぶ戦艦なのだ。インテリオルのフェルミと同じようなものと考えられるが、フェルミとは違い流線型をしておりより飛行に適した形をしている。

 幾つかの砲塔、それにミサイル発射口が見えるところから主武装は大体想像が付いた。おそらく砲塔から放たれるのは実弾ではなく高出力のレーザー、ミサイルは様々な種類を搭載しているに違いない。ただ、コジマミサイルだけは搭載していないだろう。

 それらは大型機動兵器なら当然あってもおかしくない装備ではあるのだが、ピジョンを悩ますのは艦首に取り付けられている衝角としか思えない部分にあった。これが何かまったく想像が付かない。まさか大昔の船に取り付けられていた衝角と同じものとは思えなかったし、用途は一体なんだろうか。そう見えるだけであってただの飾りという可能性もある。

 ピジョンはその写真をジャンの前に差し出し「どう思いますか?」と尋ねた。ジャンの答えは非常に素っ気無い。

「実際に見れば判るだろう」

 やれやれ、とピジョンは胸中で溜息を吐いた。


/2


 双胴型空母メガリスの艦橋、館長席の後ろにオーエンはセレとローズを連れて立っていた。通信モニタにはGスーツを着込み、ヘルメットを被った中年男性の姿が映されており、オーエンの視線はそこに向けられている。

「ライバー少佐、レビヤタンの調子はどうだ?」

「上々、といったところですね。この分ならいきなりの実戦でも大丈夫だと思いますが、本当にいきなり実戦投入するんですか?」

 オーエンはライバーの質問に頷いた。メガリスが護衛の巡洋艦数隻を引き連れて待機しているところは、パレンバンから数十キロ離れた沖合いにありライバー少佐の乗る新型の大型機動兵器レビヤタンUは新型ノーマルACクルセイダーを引き連れてパレンバンで待機している。

 パレンバンはアルゼブラの勢力範囲内にあるが、ブラックゴートは事前にアルゼブラと話を付けておりパレンバンを演習地として使用できるようにしていたのだ。おそらくアルゼブラは各種探査装置や諜報員をパレンバンに配置しているだろうが、それは全くと言って良いほどに問題にはならなかった。

 近いうちにレビヤタンUもクルセイダーも本格的な戦闘に投入されるのだ。その時になればレビヤタンUの性能もクルセイダーの性能も明らかになるのだから、それが遅くなるか早くなるかの違いでしかない。

「ですが、私は気になって仕方がないんですよ。本当に有澤がこのパレンバンまでやってくるのか」

 ライバー少佐の言葉に対してオーエンは「必ず来るさ」と言ってみせた。

「GAグループは我々を目の敵にしているし、その仇敵が新型機動兵器とノーマルの演習を行おうとしているんだ。少なくとも偵察はやってくる」

「本当に偵察としてネクストを送り込んでくるんですかね?」

「同胞の優秀な情報収集力を信じたまえライバー少佐。有澤はリンクスを雇ったことは確実だ、それがどこに向けられるかの確固たる裏づけは無いにせよこちらに向けられるのは確実だろう。有澤はレビヤタンUとクルセイダーの情報が欲しいし、可能なことならば完膚なきまでに破壊しておきたいだろうからな。それにはネクストがうってつけだ」

「確かにそうですね。しかし、このパレンバンに五人しかいないっていうのはちと寂しいです」

 そう言ってライバーは笑ってみせる。五人というのはレビヤタンUの搭乗員の数だった。パレンバンにはクルセイダーももちろん配備してあるが、クルセイダーにパイロットはいない。全てAI制御の無人機なのである。

 スーツの袖をまくって腕時計の時間を確認し、水平線へと視線を向けた。太陽はまだ水平線に触れてはいなかったが、日が落ちるのも時間の問題だろう。もしネクストを差し向けるのならばまだ日のあるうちにやってくるはずだ。夜間ではネクストの光学カメラだけでは充分な情報は得られない。

「日没は近いですな」

 初老に近いメガリス艦長の言葉にオーエンは頷いた。オーエンの予想が正しければ有澤が雇ったリンクスは必ず向かってくるはずだ。もし、そうでなければ撤退も念頭にいれて考えていた。

 わざわざパレンバンで新型機の演習を行うという情報を流したのだ、来てくれなければ困る。そしてやって来たネクストにレビヤタンUとクルセイダーの性能を見せつけ、ブラックゴートの力を示すのが目的の一つなのだ。実際のところでいえば、レビヤタンUとクルセイダーの実戦演習は既にオーストラリア大陸で済ましている。

 やって来てくれるだろうか、とオーエンが不安に思い始めたときレビヤタンUの指揮系統を取り扱っているライバーからの通信が入った。

「ネクストの接近を確認、プライマルアーマーを展開します。画像をそちらに送りますので解析を頼みます」

 通信モニタからライバーの姿が消え、代わりに海上を疾走する二体のネクストACの画像が映し出された。まだ姿は小さかったが、即座に画像は拡大解析されネクストACの姿が鮮明なものとなる。

 その瞬間、オーエンは思わず唇を噛んだ。一機はジャンのオレルボス、一機はピジョンのスカイブルー。オーエンは二機の姿が明らかになった時に脅威を感じた。聞いたところによればジャンは経験則によって行動するリンクスだという、そういう人間をオーエンは脅威と感じない。

 問題はピジョンの方である。彼は戦争を知っている、戦いというものを深く理解していた。オーエンはイレギュラーとして活動していた期間、幾度となくピジョンと交戦している。よって彼の腕がどれほどのものかは知っていた。

「まずいな……」

 知らずのうちに声に出してしまっていたが、幸いにして聞こえたものはいなかったらしい。そのことにほっと胸を撫で下ろしながらオーエンは「ローズ!」と一言だけ言った。

 ただそれだけでローズはオーエンの命令した内容を理解し、踵を返して艦橋から立ち去り、それに続いてセレもオペレートのために艦橋を後にする。

「ローズ大佐をお使いになられますか」

「相手が相手だ、本当なら私が出たいところだがな。なに、彼女ならきっとやってくれるさ」

 メガリス艦長の言葉にそう応えながら、オーエンは折れている肋骨の部分に手を触れていた。先のサンディエゴでの激戦の際、耐Gジェルとパイロットスーツで身を守られていたにも拘らず肋骨を一本折ってしまっている。

 その後、アリオーシュとウミナリでしばしの休養を取っている間に骨がくっ付いてくれれば良かったのだが、そうそう簡単に骨は治ってくれない。オーエンは通信士官にライバーを呼び出すように伝え、再びモニターにライバーの姿が映し出される。

「ライバー、そちらに向かっているネクストACはジャンのオレルボスとピジョンのスカイブルーだ。ジャンの実力は未知数、ピジョンについては知っているな」

「えぇ、知っていますとも。こいつは厄介なことになりましたね」

「よって今増援としてアイビス・Rをそちらに向かわせることにした。ローズがそちらに到着次第、彼女の指示に従え。決して無理はするな、いつでも撤退していい。良いな?」

「了解です社長。相手が相手だ、分がちょいと悪すぎますがね。では、通信終わります」

 ライバーは苦笑しながら通信を終えてモニターは何も映し出されなくなった。予想できない事態ではなかったが、ピジョンがでてくる可能性は低いだろうと考えていたのだ。彼は不思議なことにブラックゴートの赴く戦場によく現れた。

 今いるリンクスの中では彼がもっともブラックゴートに詳しいリンクスと言えるだろう。よって、こちらの手の内が読まれている可能性は高く、もしかするとレビヤタンUやクルセイダーのスペックについても知られているかもしれない。

 大きな不安を感じながらもオーエンはレビヤタンUとクルセイダー、そしてローズのアイビス・Rに賭けるしかなかった。


/3


 ジャンは夕日に照らされるオレルボスのコクピットの中で宙に浮かぶ戦艦を注視していた。その戦艦の下には約一〇機の黒いノーマルACが展開している。ノーマルACの装備は標準的なものだった、シルエットはどことなくレイレナードのノーマルに似ていた。

 さて、一体どのようなものをあの戦艦は持っているのだろうか。ノーマルACのスペックはいかほどのものなのだろうか。ピジョンに聞けば教えてくれるだろう、どうやら彼は事前にかなりの情報を集めているようだった。

 しかし、敵は新型。彼がどこから情報を集めたのかは知らないが、正確性に欠けるといわざるを得ない。だからジャンは情報収集をしなかったし、ピジョンに聞くこともしなかった。

 距離が近づくにつれて空中戦艦、そしてノーマルACの姿が鮮明なものになっていく。向こうもこちらに気付いているらしく、戦艦の艦首は二機のネクストに向けられていた。戦艦の艦首には衝角のようなものが付いているが、その用途は不明。本当に衝角という可能性も考えられなくはないが、あれほどの巨体を持った機動兵器が体当たりを行う理由が見出せないため、おそらくは威圧感を与えるための飾りだろう。

「どうですミスター? 落としますか?」

 スピーカーから聞こえるピジョンの声は淡々としたものではあったが、彼が敵を全滅させようとしているのは分かった。偵察するだけで終わらせたかったところだが、身を隠すところはどこにもないし敵は既にやる気満々だ。

 ただジャンとしては出来るだけ交戦は避けたい。敵を撃破すれば追加報酬が入るとはいえ、敵は両方とも新型兵器。聞くところによればブラックゴート社は生産能力が低いらしいが、技術力そのものは高いという。となればあのノーマルも空中戦艦もスペックそのものは非常に高いだろう。

 戦うとなればそれだけの消耗は間違いなく避けられない。出来るなら消耗は避けられないが、ブラックゴートの持っている力が噂どおりなのか確かめたいところもある。撃破はせずとも、敵の力を確かめておくのも良いだろう。

「戦闘することには同意だが、撃墜には同意しかねる。まぁ、やってみなければわからんがな」

「では、撃墜できることを祈ってください。その十字架に」

 ピジョンの笑い声が聞こえる。はっきり言って不快なものだった。

「ならば祈ろう、我々の敵が沈むことをな」

「えぇぜひお願いします」

 気に入らない男だ、そう思いながら胸に下げている十字架に祈りを捧げる。但し、敵を倒せるよう祈りはしない。生き延びること、それだけをジャンは目を瞑って祈った。だが、それも一瞬のこと。

 ピジョンのスカイブルーはオーバードブーストを発動させて戦艦との距離を詰める。空中戦艦からは大量のミサイル、レーザーが発射されスカイブルーを撃墜しようとするがどれもスカイブルーには当たらなかった。

 放たれたミサイルは近接信管を搭載しているのか、それともスカイブルーが手にしているマシンガンで迎撃されたためなのか、スカイブルーの周囲でしきりに爆発が起きている。そのどちらかはっきりさせたいところだが、おそらく両方なのだろう。

 視線を上空から地上に写す。黒いノーマルACの群れはオレルボスへと向かってきていた。ノーマルACの背中にはキャノンとミサイルが装備されているようだ。左腕に付けられている分厚い鋼鉄の塊はシールドだろうか。

 となれば、機体そのものの装甲は薄いだろう。左手のライフルを牽制のために撃つとフォーメーションを組んでいたノーマルACは即座に散開する、その素早さは通常のノーマルACよりも速い。装甲を犠牲にする代わりにスピードを得ているようだ。

 機動性があるということは同時に武装も貧弱であることが考えられる。ブラックゴートのノーマルACはネクストすらも落とす火力を持つと聞いていたが、この黒いノーマルACにそれほどの火力は無いだろう。早いだけのただのノーマル。

 さしたる脅威ではない。

 そう考えて左腕のライフルを構えながら右背部のハイレーザーキャノンを展開、一機の孤立しているノーマルACに向けて前方へクイックブースト。ライフルを放つと避けられないと悟ったのかそのノーマルはシールドでライフルの弾丸を防御し、動きを止めた。そこへハイレーザーの一撃を叩き込む。

 流石にハイレーザーはシールドで防げないらしく、放ったレーザーはシールドを突き破りノーマルACを撃墜する。新型とはいえ所詮は早いだけのノーマルということか、ジャンはブラックゴートの新型にそういう評価を下した。

 新たな獲物を屠るためサイドのクイックブースターを使用し、方向を変えてまた一機のノーマルACを正面に捉える。そしてトリガーに指を掛けた瞬間、背後からの衝撃に襲われた。流石に機動性が高いだけあって後ろを取られたらしい、回避行動を取り反転しようとすると今度は左横からの衝撃に襲われる。

 まさかな、と思いつつレーダーを見ればいつの間にかオレルボスは半包囲の状況に陥れられていた。これには思わず目を見張らざるを得ない。このような状況にならないように注意しながら動いていたというのに、いつの間に。

 そう考えている間にもノーマルACから攻撃が加えられる。幸いにして今回は避けることに成功したが、回避した先に弾丸が飛来してきていた。プライマルアーマーのおかげもあり大したダメージを受けることはしなかったものの、この状況が続けばいずれは撃墜される。

 空中戦艦はピジョンが担当していることもあり、ジャンは己の任務は既に全うしたと考えた。ノーマルACを全て撃墜することは可能だろう。だがその分こちらも消耗する。追加報酬があるとはいえ、おそらく割に合わないだろう。

「ピジョン、撤退するぞ」

「撤退ですか? そうですね、充分偵察としての働きはしましたし……これ以上は増援の可能性もありますからね」

「それでは先に撤退させてもらうぞ」

 それだけ言ったあとでクイックブーストを駆使してか火線から逃れる。流石にクイックブースト連続時の速度に敵は追いついてこれないらしい、その間に包囲網から飛び出して作戦領域外を目指してオーバードブーストを発動させた。


/4


 空母メガリスの艦橋でオーエンは腕組みしながら待っていた。通信モニタは何も映さず、ディスプレイにはじっと一人立っているオーエンの姿だけが鏡のように映しだされている。

「落ち着きませんか?」

 メガリス艦長が言った。

「あぁ、相手はピジョンだ。加えてジャンのオレルボス、最悪レビヤタンUが撃墜されている可能性もある」

「希望的観測ですが、おそらく私は大丈夫だと考えています。アイビス・Rの速度ならすぐパレンバンに到達しているでしょうし、ライバー少佐は優秀な人間です」

「艦長がそういうのならそうかもしれないな、だが私は不安でならない」

 溜息を一つ吐くと艦長がシガレットケースを取り出し、オーエンに差し出した。そこからは葉巻が一本姿を覗かせている。艦長なりの心遣いなのだろう。

「ありがたいね艦長、しかし私は葉巻はまだやらないと決めている。三〇になってからと決めているんだ、二〇後半の人間が葉巻を吸っても滑稽な気がしてしまってね」

「そうですか」

 笑いながら艦長はシガレットケースをポケットにしまいこんだ。オーエンは背後を振り向く、見ているのは通路へと続く扉である。早くそこが開いてセレが姿を現せばと思う、もしくは通信モニタが動き、ローズあるいはライバーからの通信が入ってくればと思うだが両方とも動きはない。

 不安と緊張で心臓の鼓動が早くなっている。自分が直接戦場に赴いてもいないのにこんな不安と緊張に襲われたのは初めてのことだ。おそらくは全てピジョンのせいだろう。情報とは流動的なものであり、事前に全ての情報を得ることなど神でなければできはしない。オーエンはそう考えている。

 とはいえ、頭では理解していたとしても自分を落ち着かせる理由にはならなかった。艦隊の位置を知られないために行っている無線封鎖がもどかしい。早く戦闘が終われば、だが戦闘が終わったからといって必ずしも良い結果が待っているとは限らないのだ。

 思わず唇を噛んでしまう、その時艦橋の扉が開きセレが入ってくる。相変わらずその表情には何も浮かんでいない。こういう時セレに感情があればと思う。

「結果は?」

「状況は全て終了しました、ローズ大佐のアイビス・Rが到着した時には既に戦闘は終了し敵は撤退していました」

「そうか」

 と言ってほっと胸を撫で下ろしそうになったがそれにはまだ早いとすぐに気付く。少なくともローズとアイビス・Rの無事は確認されたが、まだレビヤタンUとその乗組員、そして無人のクルセイダー部隊の損害状況を確認していない。

「レビヤタンUとクルセイダーは?」

「両方とも健在です。クルセイダーは一機が撃墜されましたが、それ以外は全て無事です。レビヤタンUは砲塔が一つと複数のCIWSが破壊されたとのことですが、それ以外に目立った損害はありません。ただライバー少佐いわく、少々ミサイルを撃ちすぎた、とのことでした」

「そうか、なら良かった。ミサイルは撃ちすぎて損になることはないからな、特に相手がネクストなら尚更だ」

「敵は偵察しかしなかった、そういうことですかな」

 メガリス艦長の言葉にオーエンは頷いた。損害がクルセイダー一機で済んだことは喜ばしいことではあるのだが、当初の目的を果たすには至っていない。本当ならばここで二体のネクストを返り討ちにしておきたかったのだが、それは出来なかった。

 手練はピジョンだけだろうと考えていたのだが、ジャンというリンクスも中々に出来るようだ。有澤が具体的にどのような依頼をリンクスに出していたのか知らないが、敵を撃破すれば追加報酬を用意していたことは確実だろう。それを考えれば今回の敵リンクスは中々に察しが良いとしか言わねばならない。もし撤退のタイミングを誤ればアイビス・Rが到着し、戦力比はブラックゴートに傾いていたことは確実だ。

「やれやれだな……艦長、さっきの言葉を撤回するよ。葉巻を一本くれないか?」

「えぇ、どうぞ」

 オーエンは艦長の差し出したシガレットケースから葉巻を取り出し、口に加えて火を点けた。ほのかに甘い葉巻の香りが艦橋に漂う。

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