『サンディエゴ侵攻戦前編』

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 GA本社の社屋内のとある休憩室にはオーエンとセレの二人しかいなかった。オーエンはGAとの取引が終わった直後であり、全身には疲労が感じられる。重役たちとの無意味に近いやり取りはオーエンにストレスと疲労以外の何ものも与えることなく、煙草を吸う行為ですら億劫に感じられた。

「ひどくお疲れですね」

 セレの言葉にオーエンはいつの間にか自分が俯いていた事に気づく。顔を上げればそこにあるのはいつもと変わらぬ無機質なセレの表情だ。いつになれば彼女の表情が変わる時が来るのだろうか。

「そりゃ疲れもするさ。ここまで来た時点で取引は既に成立している、彼らとのやり取りも形式に過ぎない。無意味なただの時間の浪費さ。だが、これで私の計画はまた一歩進んだということにもなる。今回売り込んだ製品がGAの軍に配備されれば……サイレントラインと同じことが出来るようになる」

「あの時と同じこと、ですか」

 彼女の言葉には抑揚というものが無い、だがこの発言には今までと違う何かを感じた。その何かをオーエンは突き止めることが出来なかった。それ故に確かめたいとも思う。

 かつて管理者であったセレが、今、何を思考しているのかそれを知りたい。

「何か思うところがあるのか? 以前はIBISとして機能していた君だ、私は君がこの私の計画に対して何を感じているのか、それを非常に知りたい」

「何も感じることはありません」

 即答だった。返答のあまりの早さにオーエンは咥えていた煙草を落としそうになる。

「ですが……未だ人類はあの時と変わっていないように思えます、それが本当なのか。管理者としてではなく、一人の、セレ・クロワールとして感じることが出来ればと思います」

「セレ・クロワールとして? 管理者ではなく?」

 オーエンが尋ねるとセレは首を縦に振った。セレが何を思考しているのかオーエンにはますます分からなくなりはじめる。セレ・クロワールとして感じる、とは何を意味しているのだろうか。そのままの意味で受け取れば良いのだろうか。

 それとも一人の人間として感じたい、そういう意味で受け取れば良いのだろうか。セレの機械で構成された瞳を覗き込むが、瞳の奥にあるレンズがオーエンの姿を映しているだけでそこからは何も読み取れない。

 しかし、少なくともこれは変化である。IBISは管理者であることを既に放棄した、IBISであることも否定しようとしているのだ。彼女は人間になろうとしているのか、オーエンは自分の希望もあり、ついそう捉えそうになってしまう。

 問いさえすればきっとセレは答えてくれる。だが問うことはきっと間違いだ、少なくとも今は。

 オーエンの目的が達成する頃になれば分かるときが来るだろうか、今はそう願うしかない。


/2


 イレクスがスター・アンド・ストライプスの作戦に参加するために真珠湾に訪れたとき、基地としての機能はある程度整えられているようだった。壊滅的な打撃をスター・アンド・ストライプスは与えているという情報を得ていたのだが、それは間違いだったのか。

 しかし滑走路は相変わらず穴ぼこだらけであり、至る所に残骸が散らばっている。目を凝らしてみれば地面の至る所に血痕が見受けられた。だがよく見てみれば、破壊されているのは格納庫や通信施設だけであり兵舎や司令部には損害が少ない。

 攻撃するときにそこまで見越して行っていたというのだろうか。こうなってくるとスター・アンド・ストライプスという組織を恐れざるを得ない。イレクスも小規模ながら組織を率いている身である、スター・アンド・ストライプスの組織力には目を見張るものがあった。

 推測するに組織の長であるルーズベルトに一種のカリスマ性があるのだろう。それに加えて自由かつ公正な経済を行える世界を作るという大義名分があるのだ、人が集まらないわけが無い。それにしてもこの結束力は異常といえる。一介のテロ組織にここまでの組織力があるとは思えない。

 基地内をせわしなく動き回る構成員たちを見ると、皆一様に同じ服を着ていた。テロ組織に制服があるというのもおかしな話だが、これを徹底させているということは制服にある効果を知っているということにもなる。この結束力を維持している原因の一つには制服の存在が間違いなく含まれているのだろう。

 ブリーフィングルームに指定されたB−25棟を探している間、イレクスは基地内をくまなく観察し可能な限りスター・アンド・ストライプスに関する情報を集めていた。探せば探すほどスター・アンド・ストライプスが他の組織と違うということが明らかになる。

 明らかになっていくのだが……B−25棟という建物が見つからない。見取り図のようなものを探そうにも基地は残骸だらけでそれらしきものがあろうはずもなかった。やむを得ず忙しなさそうに動いていた構成員を呼び止めて聞いてみると、彼はある方向を指差す。

 その先にあったのは濃い緑色をしたテントだ。その屋根の部分に白い字体でB−25と書かれている。

「あれか?」

「はい、そうです。今はまだ基地の復元が完了していないので、一部はああやってテントを部屋として使っているんですよ」

「そうかい、ありがとよ」

 礼を述べてからテントに向かい、中に入る。ちゃんと中は簡素ながら空調設備も置かれており、スクリーンとイスが入り口に背を向けて三脚置かれていた。そのうち二脚には既に座っている者がいる。後姿で顔までは分からないが妙齢の女性と、まだ年端もいかぬ少女だった。その少女の横に腕を組んだ若そうな男が一人立っている。

 女性と青年はここにいる以上はリンクスなのだろうが、少女は一体何なのだろうか。見たところ本当に年相応の少女らしく、暇そうに足をぶらぶらとさせていた。なぜ青年が空いている椅子に座っていないのかいささか不明瞭な所だが、案外気が付くタイプの人間だとも取れる。そうだとしたら彼はあなどれない、今回は味方なのだろうから安心しても構わないだろう。

 空いていた最後の一脚に座ると女性と青年から鋭い視線が送られる。値踏みされているような気持ちになるが、実際に値踏みされているのだろう。何せ共に任務を遂行することになるわけだ、誰だって協力する人間が足手まといになるような人間だと嫌な気持ちになるものだ。

 相手方が値踏みをしてくるのならばこちらが仕返したとしても文句はあるまい、イレクスの座っている席に一番近い青年の顔を見上げた。クセなのかそういうヘアースタイルなのか、ところどころ髪の毛が跳ねている。目はといえば恐ろしいほどの眼光を放っていた、刃物を連想させてしまうほどの鋭さだった。これほどの眼を持っているということはそれだけの修羅場を潜り抜けてきたという証だろう。様々な人間を見てきたつもりのイレクスだったが、これまでの眼光を持っている人間を見たことは数少ない。しかも見た目はかなり若かった。彼の身に一体どのようなことがあったのか詮索したくなるがそれはまたの機会とし、少女の隣に座る女性へと目をやる。

 こちらはイレクスが視線を向けると同時に人当たりのよさそうな柔和な笑みを浮かべた。男ならば誰でも好意を持ってしまいそうな笑顔を難なく作ることが出来るというのも凄い話だ。それでも彼女の眼の奥は笑ってなどいなかった。イレクスの反応を明らかに窺っている。

 どうやら共に作戦を行う二人は相当に出来る人間らしい。イレクスが思わず口元に笑みを浮かべると視線の端で青年が組んでいた腕を解いた。

「あんた……No.43の割にはデキるみたいじゃないか。ちなみに俺はNo.15のマッハだ、そっちの女はNo.4のダンテ。そこの椅子に座ってる子供は星鈴って名前だ。先に言っておくが俺のでもなければダンテの子でもない、知り合いに預かってくれと言われて面倒を見てるだけだ」

「自己紹介ありがとよ、俺はイレクス。簡単な略歴ぐらい述べておきたいところだが……言ったところで意味なさそうだな。そっちの兄ちゃん、マッハって言ったよな? お前、俺に関する情報漁っただろ?」

「何で分かった?」

「あんたの目だよ、そんな鋭い眼をしてるんだったら掴めるだけの情報は掴んでいる。そう思っただけさ、そっちのダンテとかいう姉ちゃんも俺のこと調べてるんだろ? まぁ、言う必要もないがこっちもあんた等の情報は事前に調べさせてもらってるさ。ただ、その星鈴ってガキに関しちゃ知らんかったがね。でも、俺の記憶が正しけりゃそのガキはタスクってやつの娘じゃなかったか?」

「よく、知ってるな」

 マッハがイレクスと星鈴の座る椅子の間に割って入ってくる。マッハの向こう側からはダンテの柔らかな声と、子供らしい独特の高さを持った声が聞こえ始めた。

「言っちゃまずかったか?」

 マッハはイレクスに囁く。

「あの娘……この間のハワイ襲撃の時に左腕の肘から先がやられたんだよ、親父のほうは娘が死んだと思って撤退しちまった。そこでスター・アンド・ストライプス側で参戦していた俺が保護してる、この組織に協力していたら向こうの方からやってくるかもしれないしな」

「見かけによらず優しい性格してるじゃねぇか、俺ならほったらかしにしてるぜ」

「別に優しくねぇよ。ただ顔見知りだったってのと……子供だったから、かな。なんとなく分かるだろ」

 恥ずかしさからかマッハはイレクスからスクリーンの方へと視線を移した。彼の言いたいことは分からないでもない、同じ人間でも子供が怪我をして泣いていれば関係が無いはずなのに不思議と助けたくなったりするものだ。イレクスが彼と同じ状況下に置かれたのなら、同じこととまでは行かなくとも似たような行動は取っていただろうと思う。

 ダンテの方は星鈴とすっかり仲良くなったのか、イレクスからはマッハが壁になって見えないが明るい笑い声が聞こえてくる。これから戦地に赴くというのに、星鈴の笑い声を聞いているとなぜかイレクスは癒されるような気分になった。


/3


 ハワイでスター・アンド・ストライプスがブリーフィングしている頃、GAでもブリーフィングが行われようとしていた。場所はアームズフォート、グレート・ウォールの中である。全長七kmを誇り、一〇〇を超えるノーマルACを搭載可能な正に動く要塞といったグレート・ウォールではあるが居住環境はというとあまりよろしくなかった。

 どうにも部屋の中が蒸し暑く、オーエンはブリーフィングルームでシャツの胸元を開けて手をせわしなく動かして風を送る。しかしこの程度では涼しくなろうはずも無い。にじみ出る汗を拭き取っているとブリーフィングルームの扉が横に開く。今回の作戦における司令官が現れたのかと思ったが、違った。

 入ってきたのは髪を短く刈り揃えた肩幅の広い男だ、顔つきも軍人らしくいかめしい。だが彼はGA軍の制服を着ていなかった、代わりに革のジャケットにジーンズという出で立ちである。今回、雇われたリンクスであるグローリィであることに間違いは無いだろう。

 礼儀も必要だろうと考え、オーエンは立ち上がりグローリィと思しき男に一礼した。すると向こうも返礼しオーエンの横まで来ると名刺を差し出す、予想外の行動に驚きながらも体は反射的に自分の名刺を差し出している。オーエンは今までに何人かのリンクスと直接会ったことがある、しかしこうやって名刺を交換したのは今回が初めてだった。

 期待と共にグローリィの名刺を見てみるが非常にそっけないものだ。所属先がカラードとなっているが、連絡先は書かれていないし本名も書かれていない。名前はリンクスネームであるグローリィと書かれていた。所属と名前、それだけが書かれた名刺を見たのは初めてのことだ。というよりもこれは名刺と呼んでいいのかどうか迷ってしまう。

 名刺の交換を終えた後、グローリィはすぐに着席したがオーエンはというと予想外かつ初めての出来事に困惑してしまっていた。グローリィの名刺はちゃんと名刺入れに収めたのだが、座っていいものかどうか迷ってしまう。グローリィが座っているのだから自分も座って良いのだろうと思うのだが、いささか躊躇われるところがあるのだ。

「なぜ立っているのです?」

「あっといけない、そういえばそうですね」

 慌てたオーエンが椅子に座ると、その眼をグローリィは真っ直ぐと見てくる。

「名刺を拝見させてもらいましたが、ブラックゴート社の社長さんなんですよね。企業のトップの人間がなぜこのようなブリーフィングに?」

「あぁ、それはですね我が社の新製品が今作戦に投入されるノーマルACに搭載されることになっていますからね。それが関係しているのでしょう」

「ほぉ……GAがそこまで大規模に投資する製品とは何なのか、ぜひ知りたいものですね」

「なぁに大したものではありませんよ、ただパイロットを不要にするAI制御システムです」

「それは――」

 グローリィがおそらくは驚嘆と感嘆を織り交ぜた褒め言葉を言おうとしたその時、ブリーフィングルームの扉が静かに開いた。現れたのはGA軍の司令官だった、見たところまだ二○代後半か三〇代前半のようだが態度は年齢相応とは言えないほどに大きそうだ。

 オーエンとグローリィを姿勢を正して前に視線を移した。大した威厳も無いというのにまだ若き司令官は大層な咳払いをして見せる。心の中でオーエンは彼を笑っていた、グローリィもきっとそうだろう。

「私が今回の作戦司令官を務めるハリ・カーネル、階級は少佐である。今からリンクス、そして提携企業の社長殿に今作戦の説明を行う」

 そうしてハリ・カーネル少佐が説明した作戦はこうだ、沿岸部にギガベースそして二機のランドクラブと三〇のノーマルACを投入し敵の上陸を阻止し、もしそれが突破されたらこのグレート・ウォールと搭載されている一二〇のノーマルACが敵上陸部隊を迎撃するというものだった。そして雇われたリンクスであるグローリィはランドクラブ等に混じって迎撃に当たれというものだ。

 カーネル少佐が自身の立案であろうプランを熱弁している最中、グローリィはメモを取っているようだった。熱心なものだなと思いながらオーエンはカーネルを嘲笑したくてたまらない気持ちを堪えている。

 彼が行おうとしているのは消耗戦以外の何者でもない。グレート・ウォールと一二〇のノーマルACを最初から投入できるのならばすればいい、アメリカ大陸西岸部に存在する大きな敵といえばスター・アンド・ストライプスぐらいだ。インテリオルやアルゼブラ、テクノクラートは有澤重工が牽制する形となっている。サンディエゴに大陸西岸の戦力を過度に集中させたところで問題にはならない。そんなことも分からないのか、カーネル少佐は熱弁を振るい続ける。

 オーエンはいい加減に止めたい気持ちに襲われていたが、取引先の人間に対してそのような行為を行うわけには行かなかった。内心で勝手にグローリィがしてくれないかと期待していると、それに応えるかのようにグローリィは真っ直ぐに手を伸ばす。

「リンクスの身分で、と思われるのを承知で進言します。あなたの立てた作戦には意味が無い、それならば最初からグレート・ウォールも展開させておくべきでしょう。ハワイに侵攻してきた時と同様に敵勢力はネクストを使用してくるでしょうし、今回は本土ということもあり敵もアームズフォートが数機出てくることは容易に予想が付きます。ならば全戦力を水際迎撃に持っていったほうが賢明かと、ハワイのように分裂型対地巡航ミサイルを使用されたとしてもこれだけの戦力ならば容易に迎撃は可能でしょうし。私が言いたいのは以上です」

 言い終えた後、グローリィは静かに眼を閉じる。その様子は叱責が飛んでくるのを覚悟しているように見えた。事実、カーネル少佐は怒りを抑えるのに必死な様子で額には青筋が浮かんでいる。

「なるほど。リンクスとはいえそれなりの眼は持っているようだ、だがな我々がテロリスト如きに全力をだしたとしてみろ? 企業連は我らをどう見ると思う? 私たちには立場があるのだよ、立場が。故に全力は出せない。大体、このような状況下ならばあえて上陸させてシーレーンを分断させてから叩くのが常道だろう、それが許されればな。それが許されないからこうするしかなかった、意見はあるか?」

「あなたの実力を見誤ったことには謝罪をします、ならばせめて私の配置を変えてはいただくことは可能でしょうか?」

「そのぐらいなら何とかできる……貴様の言いたいことはもう既に分かった、可能な限り貴様の良いようにしてやろう。司令という地位を与えておきながら意見を言ってくる上層部にも腹が立つしな」



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「で、あの娘はどうなさるおつもりなんですの?」

 空母ケストレル艦内の一室がリンクス用の部屋として割り当てられ、そこでダンテはマッハに問うた。視線の先にあるのは今はイレクスに遊んでもらっている星鈴だ。ぺしゃんこになっている彼女の左袖を見ていると、ダンテの心は痛む。

「どうもこうも……タスクに会わないことにはどうにもならないな」

 マッハは背もたれに体を預けながら天井に向かって紫煙を吐き出す。事の重大さというものを彼は認識していないようだとダンテは思う。

「では、そのタスクさんに連絡はとろうと努力しているのですか?」

「してる……お前もリンクスなら分かるだろ? 俺たちは結構危うい立場にいるんだ、そうそう簡単に連絡先がバレるようなヘマは誰だってしない。それに俺の情報網は限られたところからしか拾って来れないんだよ、だからスター・アンド・ストライプスに協力している」

 紫煙を吐き出した後も天井を眺め続けているマッハを見ていると、ダンテの胸中に言いようの無い感情が湧いてくる。それは紛れも無い、怒りだ。

「あなた……親に会えない幼子の気持ちが理解できるというんですか? 見たところ彼女は人懐っこく振舞っているように見えても、本当はどうか分かりませんよ」

「まるで、経験したことがあるような言い草じゃないか」

 マッハは視線だけをダンテに向ける。

「私の話をしているのではありません。あの娘、星鈴の話です。戦場に連れて来るのはいくらなんでも非常識すぎませんか? 危険すぎます」

「タスクはいつもそうしていたらしい。でなきゃ俺が星鈴を保護することは無かったさ、それに今回の場合は艦隊に護衛されてるこの空母の中にいるのが最も安全かもしれないしな。俺だって知らない間に誰かの恨みを買ってるかも知れない、その娘だけを家に残していって帰ったら遺体になってる可能性だってある。タスクもそういう風に考えてたのかも知れないな、ある意味では前線が一番安全だ。自分で守れる」

「それは、そうかもしれませんが……」

「そんなことより今は目先の問題の方が大事なんじゃないのか? ギガベースとランドクラブが確認されててネクスト、グローリィのノーヴルマインドまで出てくるっていう状況だ。俺に言わせりゃネクスト三機でも正直、無理があるねこの作戦。ダンテ、あんたはどう思うんだ?」

「話をすり替えないでください!」

 テーブルの端を叩いてダンテは立ち上がった。室内の空気が一瞬にして凍りつき、その場にいる全員の視線がダンテに集中する。

「すり替えてるかもしれないけれど、間違ってはないだろう? 作戦開始まで一二時間切ってるんだ。窓がないから分からないけれど、もう外は真っ暗闇だ。これだから軍艦は好きになれねぇんだよなぁ、時代が変わっても変わらないものはあるんだねぇ」

 最後に妙に意味ありげな言葉を残してマッハは部屋の外に出て行った。きっと自分用にあてがわれた寝室に向かったに違いない。現在の保護者であるマッハに置いて行かれてしまった星鈴はどうして良いのか分からず呆然としていた。

 遊び相手を務めていたイレクスもこれには困った様子で顎に指を当てて何やら思案している。星鈴をマッハの部屋にまで連れて行こうかと考えたが、彼に宛がわれている寝室がどこにあるのかが分からない。かといって空母の中は迷路に等しい、星鈴一人を送り出すのにも不安があった。

「勝手な男……」

 ダンテは小さく呟いてから、思いつく限りの罵声を胸中で吼えてから星鈴の前にかがんで笑顔を作った。

「ねぇ? 良かったらお姉さんと一緒の部屋で寝ない?」

「え? でも、マッハお兄ちゃんと一緒にいるように言われてるし……」

 星鈴は子供らしく俯いてしまう。ダンテはそんな星鈴をそっと抱き寄せる。

「良いのよ。それに私は星鈴ちゃんと一緒にお話してみたいしね、今晩だけならマッハお兄ちゃんも許してくれるはずよ」

 耳元で優しく囁くと星鈴は小さく「うん」と言った。「それじゃあ行きましょうか」と言って星鈴の手を取り、部屋を出ようとするとイレクスに呼び止められる。

「何か御用でしょうか?」

「いや、ちょっと聞きたいことがあるんだけど……失礼そうだからやめとくわ、早いとこその娘を寝かしつけてやりな」

「そうします」

 星鈴の手を引きながら宛がわれた寝室目指して歩く。星鈴は不安そうな顔をしている。彼女にどんな話をしてやれば笑顔を見せてくれるだろうか、と考えながら部屋を目指した。


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 ダンテと星鈴が出て行った後、一人になったイレクスは椅子に座り煙草に火を点けた。先ほどまでは酷く狭く感じられた部屋だが、今はとてつもなく広く感じられる。喧騒も無く、この場を支配するのは静寂のみ。よくよく考えてみれば組織の長であるという立場がそうさせるのだが、イレクスは寝るときを除けば一人でいるという時間が少ない。

 たまには何も考えず、時間を無作為に過ごすというのも悪くないのではないか。そう考えて何も考えず、煙草の香りだけに意識を集中させて紫煙を宙に吐き出した。こうやって過ごせる時間も長くはない、だからこそ大事にしたい。そう考えているときに限って邪魔が入ってくるのが世の常だった。

 音を立てて部屋の扉が開かれる、そこに立っているのは携帯端末を手に持ったマッハだ。寝室から走ってきたのか、服装は先ほどと変わらぬままだが肩で呼吸している。

「あれ? 俺の忘れ物はどっか行ったのか?」

 部屋を一瞥した後、彼が言った言葉がそれだった。

「おいおい、子供とはいえ物扱いは酷いだろ。それに今はあんたが保護者なんだからしっかりしろよ。ついでに教えてやるとダンテに付いて行ったよ」

「あぁ、それなら良かった。ダンテのヤツなら平気だしな」

 そう言ってマッハは携帯端末を机の上に置くとイレクスの真向かいに座る。そして煙草を取り出し火を点けようとするのだがライターが見つからないらしい、あちらこちらのポケットの中身を探り始めた。イレクスがライターを差し出すと何故かマッハは断る。

「気持ちは嬉しいけれど、俺は自分のライターしか使わない主義なんだ」

 言ってるうちに見つかったのか、マッハは内ポケットから銀色の四角いオイルライターを取り出し煙草に火を点けた。ライターはそれなりに年季が入っているようで、ところどころではあるがメッキが剥げている。

「かなり使い古されてるみたいだけど、何か思い入れがあるのか? 俺ならとうに買い換えてる」

「使い古されてるもなにも、こいつぁアンタが生まれる前から使ってるやつだからなぁ。数十年は前の代物だ、まぁ使い続けてる理由は別にあるんだけどな。裏を見てくれよ」

 マッハがライターを差し出してきたのでそれを手に取り、彼の言うとおり裏面を見るとそこには二人の名前が刻印されていた。ミカミとオレンジボーイという二つの名前が刻まれている。イレクスは過去にも存在していた知る限りのリンクスの名前を思い出すが、ミカミにもオレンジボーイという名前にも思い当たりは無かった。

 マッハはライターを早く返してくれという仕草を手でしていたので、頭の中で名前を検索しながら彼にライターを返す。しかしどちらの名前にも覚えは無かった。それに彼が言った、「アンタが生まれる前から使ってる」とはどういう意味だろうか。聞いてみたい所だが場の空気からして持ち出せそうに無かった。

「その名前は?」

「俺と、多分死んだ友人の名前。オレンジボーイってのが戦友の名前だよ、ミカミってのは俺がリンクスに……というよりもオトラント紛争まで使ってた名前だな。オトラント紛争からはマッハと名乗ることにしたんだよ」

 煙を吐き出しながらマッハはどこか遠くを眺めている。イレクスの記憶が正しければ彼はまだ二〇代のはずだ。しかし今、遠くを眺めているマッハの眼はとてもではないが二〇代とは言い難い。少なく見積もっても六〇代と言ったところだろうか。

「マッハ、あんた一体――」

「辞めようぜイレクス、お互いを詮索するのは無しだ。それが俺らの業界のルールだろ? たとえ、詮索したとしてもそれを口には出さない。そうするのが暗黙の了解じゃないか? 確かに俺のことを調べたくなるのも分かるけれど、それは止めようぜ。まぁ、そんなことよりも朗報がある」

 煙草を加えたままマッハは口元をニヤリという擬音が相応しいほどに歪めて携帯端末の電源を入れる。そしてちょっと操作をした後、その画面をイレクスに向けた。画面に表示されているものを見て、イレクスは驚きのあまり煙草を落としそうになる。

「おい、こりゃ……」

「ご察しの通り、俺の情報網はこういう所に強いんだ」

 表示されているのはGAがサンディエゴに配備している戦力についてだった。それを見たイレクスは違約金を払ってこの作戦から降りようと思ったほどだ。配備されている戦力はギガベースが一、ランドクラブが二、そして大量のノーマルACにネクストが一機。

 だがこちらもネクスト三機、頑張れば何とかなるかもしれない。しかしそんな儚い希望すら打ち砕いてくれるのはGAが援軍を送れるよう準備しているということだ。

 その援軍自体も半端なものではない。グレート・ウォールが一機、そしてそれに搭載されている一〇〇を超えるノーマルAC。これだけで防衛に充分な戦力といえよう。これらを見たイレクスは何に対してどのような反応をすれば良いのかすら分からなかった。

 スター・アンド・ストライプスはおそらくこの情報を知らない。だが今更知ったところでどうにかなるものではない。既に艦隊は出向し攻撃準備を整えている、イレクスもこの情報を知った時点で逃げ出したくなっていた。

 幾らなんでもこれだけの戦力を相手にして適うはずが無い。ネクストが三機いたところでどうにかなるものではない、ネクストが戦力としてどれほど強大だとしても所詮は個でしかないのだ。物量に勝るものはこの世界には存在しない。マッハが持ってきた情報は情報ではない、絶望だった。

 だというのにそれを持ってきた当の本人は嬉しそうな笑みを浮かべながら紫煙を吐き出している。イレクスは本気でマッハの神経を疑った。生還すること事態が勝利を意味するようなこの作戦に参加するというのに何故、彼は笑っていられるのか。多くの傭兵を見てきたが、こんな人間は見たことが無い。

「何で笑ってる? 答えろ」

「あぁ笑ってたのか俺? 気づいてなかったわ……いやまぁ、だって楽しいじゃねぇか。戦うなら派手に行きたいしね、余計な茶々入れて欲しくねぇからスター・アンド・ストライプスにこの情報は伝えてねぇ。本当の意味でこっちの戦力は俺たち三人のネクストだけ、サイコーだろ?」

 イレクスは拳骨を作りテーブルを殴りつけた。灰皿が揺れて、煙草の灰が僅かながらテーブルの上に広がる。

「ふざけるな!」

「ふざけてるのはそっちだろう? どのみちこの作戦に勝利は無い、GAが大陸にテロリストの上陸を許すわけなんてないからな。傭兵組織の長ならそのぐらい考慮できてたはずだろ? なのにあんたはここに来たんだ。あんたの目的に俺は興味がない、しかしだお互いに生き残らないといけないんだったら……やることは一つだろ?」

「この戦闘狂が!」

 イレクスが言い放つとマッハは笑って受け流し、こう答えた。「俺は狂ってねぇよ、狂ってるのは他の連中さ」

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