『その灯を点けるな(4)』

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 雇ったリンクスと今作戦に協力してくれているユナイテッド・ステイツ艦隊に若干変更したミッションプランを送信し終えたことを確認してから、オーエンはふぅと大きな溜息を吐いてノートパソコンを閉じた。

 これで当面、やるべきことは全て終えたことになる。機体の整備は選りすぐりの整備員達がやってくれている、リンクスなら整備員がいようとせいぜい彼らの手を借りる程度で自分の手で整備しているようだが、オーエンは違った。

 リンクス達が自分の手で整備しようとするのは自分自身の目で状態を確認したいというのと、自己保身であるところが大きい。もちろんオーエンも一応はリンクスなのだから自分で整備してみたい、というところはあった。

 だが、整備が苦手というわけでは無いのだが自分の手で行おうとは思わない。それらは整備員に任せている。オーエンのやることといえばチェック前に自機の状態を確認するだけ。それ以外は一任している、これは社員に対する信頼の証でもあった。だから今回も、きっと上手くやってくれているだろう、そう思いながら煙草を加えライター片手に窓へと歩み寄る。

 窓外の景色を眺めてみるが、何も見えない。もう既に日は沈んでいて、あるのは星明りだけ。空母も可能な限り灯りを灯さないようにしているので外の景色が見えることはない。それでも、海と空の境目ぐらいはなんとか見えた。

 今いるところは太平洋、光があったとしてもせいぜい見えるのはさざ波が立つ広大な海原ぐらいしか無いのだが、煙草のお供程度にはなってくれただろう。仕方なく椅子に座りなおして煙草に火を吐け、溜息混じりに煙を吐き出した。狭い室内が一気にあっという間に真っ白な煙に埋め尽くされていく。

 一本吸い終わる頃には部屋は煙で充満しており、息苦しきはないが煙草臭くなっていた。換気扇が付いているはずなのだが、ちゃんと作動しているのだろうか。天井に一本だけある蛍光灯も切れ掛かっているのか虫の羽音に近い音を立てていた。こういった庶務的なところにももう少し多く予算を回しておくべきだったかと思ったが、かといって財政状況を考えるとまわす予算はない。

 そんな金があるのなら生産施設を増やすべきだろう。ブラックゴートの弱点は生産設備が無いことにある。技術力だけならば今台頭している企業とさして変わらないだろうとオーエンは自負していた。

 その理由はブラックゴートの歴史にある。ブラックゴートは現在の企業が台頭してくる以前、国家解体戦争よりも前に存在したミラージュ、クレスト、キサラギという三つの巨大企業が母体となっているのだ。

 これらの企業は国家解体戦争と同時に現在の企業により壊滅させられてしまったが、完全に壊滅したわけではない。三社は敵対しあっていたが、新たな敵が出てきた以上は協力しようということになり生まれたのがブラックゴート社である。

 ミラージュは光学分野に、クレストは実弾と装甲、キサラギは電装部品や生物兵器といったものを得意としていた企業だ。壊滅し、それらのデータは今の企業たちに奪われたといってもブラックゴート社に残ったものもある。

 それらブラックゴートの技術の粋を集めて作ったのが現在のUSA−01デュラハンであり、USA−02ファントムなのだ。これら二機は現行のノーマルACよりもスペックは高く、それなりの数さえ揃えば容易にネクストとて撃破が可能となる。それは既にこれらの機体を運用しているユナイテッド・ステイツが証明した。

 だが、とオーエンは思う。

 いかに技術力が高く、いかに強力な兵器を作れたところで数がなければ意味は無いのだ。これからブラックゴートが身を投じようとしているのは今まで企業同士が行っていた闘争とはまた趣が異なる。今までは制限戦争だった、戦いは戦術規模が多かった。故に個体では最強に近いネクストACが猛威を振るっていたのだ。

 しかし、これからは違う。タクティクスが雌雄を決する時代は終わり、ストラテジーが全てを決めるのだ。となれば、質よりも数が重要となる。一つ質の高い兵器よりも、質の悪い兵器が多くあるほうがいい。

 物量に勝る戦術・戦略は無いのだ。だがブラックゴートには生産設備が無い、まったくの皆無というわけでは無いのだが現在の企業たちを相手取って戦争を行える力などない。今まではGAの勢力圏内にいたためGAだけを気にしていればよかった、しかし本社がラインアークに移ったとなればGA以外の企業との関係も気にしなければならないのだ。

 幸いにしてインテリオルとは良好な関係を築きつつあるが、GAグループとは完全に敵対状態であり、オーメルグループはなにを考えているかわからないところがある。彼らのことだ、ブラックゴートが分不相応な技術力を有していることぐらい突き止めていることに違いない。となれば彼らとも戦闘状態に入ることは覚悟しなければならなかった。

 思わず溜息が出る。

 ラインアークから最も近いGAグループ企業といえば有澤重工になるが、あそこはオーエンの記憶が正しければだが、MSACやクーガーと違い完全に傘下にあるわけではなかったと思う。

 要は提携しているだけであり、それなりの見返りさえ与えてやれば手心を加えてくれる可能性もあるのだ。有澤が得意とするのは実体弾、もちろんそれに関する技術もブラックゴートは持っている。

 ただ有澤がそれを良しとするかだ。曲がりなりにもGAグループ、表立ってブラックゴート社と提携などするはずが無い。必ず戦闘状態に陥ることは確実で、それを提携というよりも談合によって膠着させることは出来ても争いを避けることはまず不可能なのだ。

 考えすぎで頭が痛くなってくる。オーエンがラインアーク本社に戻ってからのことも考えておかねばならないし、目先の作戦のことも考えねばならない。GAが核など持ち出そうとしなければ楽だったのだが、核兵器を持ち出されてしまった以上は黙っているわけにはいかなかった。

 結局、どうすれば良かったのだろうか。今更考えても後の祭りだということは重々承知している、それでも考えてしまうのだ。何をどうすれば最善の結果が残せたのだろう、と。

 知らずの内に煙草の箱に手が伸びており、そこから一本取り出して口に加えていた。その動作にオーエン自身が気付いたのは火を吐けた時のこと。依存症にはなるべくなりたくないので一日に吸う本数は決めているのだが、この一本で決めた本数を超えてしまう。

 とはいえもう既に火を点けてしまった以上はもったいないのでこのまま吸うことにしよう、そう思いながら煙を吸い込みまた窓の外の何も見えない暗闇へと目を移す。

 この一本を吸い終わったらパイロットスーツに着替えて寝ようと決め、煙草を加えたまま大きく両腕を伸ばす。背後から扉を叩く音が聞こえた。デスクに置いているデジタル式の置時計を見れば時刻は既に深夜といって良い時間である、リンクスだったら既に仮眠を取っているはずだろうし、社の人間ならば別の手段で連絡を取るだろう。

 誰か疑問に思いながらも扉を開けると、そこにいたのはパイロットスーツを着たアリオーシュだった。扉を開けた瞬間に白い煙が廊下へとあふれ出し、彼女は僅かに顔をしかめる。

「あぁ、悪いねミス・アリオーシュ。どうも私の部屋は換気扇の調子が悪いようでね。ところで何か用事かい? 私としては出来ればこのまま廊下で済ませたい、なにせ部屋が煙たいものだからね」

「廊下で済むかわからないのでお部屋に入らせてもらってもよろしいですか?」

「私は構わないが、見ての通り煙で充満しているよ?」

「構いません、主人も吸ってましたので煙草には慣れてます」

「そうでしたか、それではどうぞ」

 アリオーシュを部屋の中に通し、一つしかない椅子に座らせる。部屋の主であるオーエンはベッドに腰を掛けた。先ほど扉を開けたせいなのか、先ほどよりも煙は少なくなっているとはいえ相変わらず煙草臭い。

「すみませんね煙草臭くて」

 苦笑いしながら煙を天井に向けて吐き出し、瞳だけでアリオーシュの様子を見てみれば彼女は口元に手を当てて微笑している。

「何かおかしなことでもありました?」

 顔をアリオーシュに向けてから尋ねてみると、オーエンが予期していなかった答えが返ってきた。

「いえ、ただ主人を思い出しただけです。あの人も同じ銘柄を吸っていましたし、私の前で吸う時はいつも天井に向けて煙を吐き出していたもので、つい」

「あぁ、なるほどそうでしたか。それよりもデスクの上にある灰皿とってもらって良いですか? 灰が落ちそうだ」

「これは気付きませんでした、申し訳ありません」

 相変わらず微笑を隠さないアリオーシュの手から灰皿を受け取りながらオーエンは思う、彼女の夫であった人物は一体どんな人間だったのだろうかと。少なくとも彼女から相当愛されていたには違いない。

 と、なぜこんなことを一瞬とはいえ考えたのだろうかと灰皿に灰を落としながらオーエンは思った。普段はどんな魅力的な女性を前にしても仕事のことしか考えない、というよりも考えられないオーエンである。この事態は少し異常であるように思えたのだ。

「それで、なにをしにここに来られたんです?」

 彼女の表情から笑みが消えた。代わりに浮かんできたのは少しの殺意を抱いたリンクスの表情である。

「えぇ、それなんですけど先ほどのミッションプランを見て少し思ったんですよ。全体の中での私の役割はわかりましたが、私たちのチームで私は何をすれば良いのか分からなくて。それを尋ねに来たんです」

「私たちのチーム、ですか。なるほど、確かに私も全体にばかり目が行っていてそこを考えるのを忘れていました。戦略は大事ですが、それを支える戦術も重要ですからね。私としたことが情けない」

 疲れているのだろうか、自分の参加する戦闘において戦術のことがまったく抜けていたなどとオーエンは信じたくなかった。煙草を吸って灰を落としても、妙な悔しさは抜け落ちない。

「私が前衛、あなたが後衛。これだけじゃだめですか?」

「それはおかしいと思いますオーエンさん。私の機体は両腕がショットガン、対してあなたの機体は近中距離戦に特化しているように思います。だったら前衛と後衛は逆の方がよろしいのでは?」

「通常ではそうでしょうね。ですが、我々の目標となっているのはアームズフォートです。それは先ほどのミッションプランで送ったのであなたも知っていると思いますが」

 アリオーシュはこくりと頷く、その動作を見てオーエンは煙草を咥えてからまた紫煙を吐き出した。
「そして我々の撃破目標はグラウンドハウル、GAと有沢が共同開発した新型のアームズフォート。有沢が絡んでいるところから見て、間違いなく装甲は硬く厚いでしょう。私が後衛というのは通常においてはセオリーですが、ミス・アリオーシュ。あなたの機体にはアサルトキャノンが搭載されている、それは我々にとっては虎の子。故に、私が前に立ちノーマルや敵の火線を受け付けて、あなたはアサルトキャノンをアームズフォートにぶち込む。それで終わるでしょう、対コジマキャノン用の装甲が開発されたなんて話は聞きませんしね、それにグラウンドハウルにプライマルアーマーが搭載されているなんて話も聞いてない。念のために言っておきますがグラウンドハウルは以前、戦場に一度投入されて撃破されています。その時のデータを元に私はこうやって言っているのです、ですから間違いは無いでしょう」

「改良されているという可能性は?」

「ありえない」

 オーエンは即座に断言する。改良が成されている可能性はもちろん存分に有り得るのだが、前回投入された時期と今回投入された時期を考えると同時期に生産されたものが導入されていることは確実なのだ。

 よって、改良が加えられたとしてもグラウンドハウルの弱点である近接戦闘能力を少しでも向上させるためにCIWSを機体各所に追加するぐらいしか出来ていないはずである。

「オーエンさんは、凄いですね」

 溜息交じりのアリオーシュの言葉。何かを含んでいるのはわかるのだが、なにが含まれているのかそこまではわからなかった。

「凄くないですよ、私とてただのしがない一リンクスですよ。あなたと違う所といえば私は社長であるということ、それ以外はあなた達と何も変わりはない。AMS適正も平凡、戦闘能力もそれほど高くは無いです。あぁ、これ謙遜じゃないですから」

 言いながら吸っていた煙草を灰皿に押し付けて火を消した。換気扇の調子は相変わらずよくならないようで、部屋の中はうっすらとした霧に包まれたようになっている。

「ところで、お話というのはそれだけなんですか? これだけなら廊下や、休憩室でも事足りたと思うんですが? わざわざ私の部屋でするような話じゃない、それにこっちは右舷だ。あなたの部屋は左舷でしょう?」

 僅かながら上目遣いでアリオーシュを見てみると、彼女は即座に視線をずらした。頭の中に疑問符が浮かんでくる。彼女がなぜそんなことをするのか皆目見当がつかないのだ。

「どうかされましたか? 何かご機嫌に触るようなことをしてしまったのなら詫びます」

「いえ、そういうことじゃないんです。ただ……なんていうんでしょうか、その。ただ、お話がしたくて来たんですよ」

「お話ですか、なんの?」

 天井を見上げていたアリオーシュの視線がオーエンへと向いた。心なしか彼女は怒っているように見えないことも無かったが、彼女が怒るような理由はどこにもない。はずである。

「オーエンさん、女性と付き合ったことってあります?」

「女性とのお付き合いですか、それは恋愛という意味で受け取って良いんですか?」

「それ以外の意味があると思いますか?」

「人によってはあるんじゃないですか?」

 変なことを尋ねてくるものだ、と思いながらもここは正直に答えようと思う。よくよく考えてみれば生まれてこの方恋愛などということはしたことがなかった。女性に対し好意を抱くようなことがあっても、それを表に出したことは無い。

 というよりもそのような暇が無かったというほうが正しいのだろう。幼い頃から軍事学の教練に明け暮れていたのだ、それが一通り終われば今度は経済・経営の勉学を始め、あれよあれよという間に社長の地位を手に入れていた。

 社長となってからは当然、女性と付き合うような暇は無く特定の異性と付き合った経験は無い。もちろん、女性との経験が無いというのは社長としての立場としてどうか、という考えがあるので一時期周囲に女性をはべらしていた時期もあるのだが、金が掛かるだけで楽しくも無くそれも短い期間のことだった。

「そういえば、無いですね」

 アリオーシュが目を丸くする。オーエンには彼女が目を丸くする理由が分からない。オーエンの年齢は二七であるが、この歳になっても女性と付き合わない人間だっているだろうし、選んでそういう生き方をしている人間もいるはずだ。世の中は広い。

「失礼ですけれど、その年齢で女性と付き合ったことはないんですか?」

「えぇ、まぁ。そんな暇ありませんでしたからね。ちょっと私は生まれが特殊でしてね、ずっと勉強勉強、それが終われば今度は戦争。その次は社長になって、そうして今に至ってます。女性とお付き合いをする余地なんて無かったんですよ」

「その、失礼だとは思いますが変じゃないですかそれって?」

「そうですかね? 私にとってはこれが普通ですよ、特定の女性とお付き合いをしたことはありませんが……女性の前で言うようなことではありませんが、一時期周囲に女性をはべらしていたこともあります。どうも性に合わなかったのですぐに辞めました、疲れますし」

「変わった方ですね、あなたは」

 クスクスと彼女は笑ってみせる。先ほどまで驚いていたと思えば今度はこれだ。オーエンにはアリオーシュが何を考えているかわからない。話をしに来たと彼女は言った、だとしたら重要なことなのだろう。

 合理的に考えればそうなる。でもなければ睡眠時間を削るような真似をしてまで彼女がここに来る必要は無いのだ、まさか雑談をしに来たわけでもあるまい。

「そんなことよりもお話ってなんなんですか? もし何も何というのなら……私は可能な限り作戦のために睡眠を取っておきたいんですが」

「これがお話ですよ」

 笑いながらアリオーシュは即答する。オーエンは絶句するしかなかった、そんなオーエンの姿を見て彼女は首を傾げるが、やはりその理由は分からない。オーエンとアリオーシュでは根本的なところから価値観が違っているのだろう。

「これがお話ですか? 私としてはてっきり、その作戦に関するものだとばかり。でなければあなたがここまで来る理由がない。雑談ならまた次の機会で良いじゃないですか」

「その次の機会っていつなんですか?」

 相変わらず微笑を浮かべながら彼女は言った。言われてみて初めて気付いたが、リンクスとこうやって直に会話する機会というのが中々無い。雇ったリンクスと言葉を交わす時といえばせいぜいブリーフィングの時ぐらいである。

 考えてもみればリンクスと雑談をする機会はめったに無い。

「そういえば、そうですね。私の立場からするとリンクスの方とこういった他愛も無い会話、雑談をする機会は非常に少ないですからねぇ。でも今それをするべきじゃないでしょう、今は睡眠をとるべきだ。そうじゃないと死ぬかもしれない」

 真剣に言ってみたつもりなのだがアリオーシュは軽く「そうですね」とだけ言って流した。彼女は一体何を考えているのだろうか、何をしにここに来たのだろうか。オーエンにはますます分けがわからない。

「遠まわしに私は帰ってくれ、と言ったつもりなんだが」

 嫌味を言ってみるがアリオーシュは微笑むだけで気にした風は無く、思わず頭を抱えたい衝動に駆られる。彼女は一体なんのためにここに来たのか、嫌味を言われたにも関わらずなぜ笑っていられるのか、オーエンにはまったく分からない。

 パーティではじめてであった時は普通の淑女だとばかり思っていたのだが、リンクスをやるだけあって考えていることは予想が付かなかった。

「オーエンさんは寝たいんですよね?」

「えぇ、今からパイロットスーツを寝巻き代わりにして寝るつもりでしたよ」

「じゃあ一緒に寝ません? そうすればお互いの利害は一致しますよ?」

「はぁ!?」

 知らずのうちに素っ頓狂な声を上げてしまっていた。彼女が何を考えているのか、こればっかりを考えてしまっている。このままでは混乱してしまい、ただでさえオーバーヒート気味の脳が本当にオーバーヒートを起してしまいそうだ。

「私はオーエンさんのことが知りたくて来たんです、でもオーエンさんは寝たいんですよね? じゃあ一緒に寝ましょう」

「ミス・アリオーシュ。寝る、という言葉には二つの意味合いがある。一つは言葉どおり睡眠をとることだ、もう一つは言いづらいことではあるが率直に言わせて貰おう。つまりは性行為だ。君が言っているのはどちらかな?」

 鼻梁を押さえながらオーエンが尋ねると「もちろん前者です」という答えが返ってきた。オーエンの予想ではてっきり後者なのだと思っていたのだが、彼女の表情を見る限りでは嘘を吐いている様子は無さそうだ。

 今、自分が腰を下ろしているベッドを確認してみればシングルではあるが少し大きめのもので、男女二人なら窮屈ではあるが眠れないこともないだろう。しかし、密着状態であることは避けられない。オーエンはこみ上げてくる情欲を抑えることは出来るが、アリオーシュの方はどうなのだろうか。

 女性にだってもちろん性欲はある。そして彼女がオーエンに対してそういった感情を抱いているという可能性は否定できないのだ。でなければ、一緒に寝ましょう、などという発言が出てくるとは思えない。

 もし、彼女が襲い掛かってくるようなことがあれば押しのけることは容易だろう。なにせ男と女だ、筋力の違いは大きい。しかし、そんなことをされれば睡眠時間を取れなくなるのは目に見えている。

 こうなったら銃で脅してでも帰ってもらおうかとも一瞬考えたが、そんなことをすれば信頼関係にひびが入りかねない。それにオーエンが愛用している拳銃はデスクの中に仕舞われており、アリオーシュに近づかねばならないのだ。

 さて、どうしたものかとオーエンは考え込んでしまう。いつの間にか右手の人差し指を軽く噛んでいると、隣にアリオーシュが座った。彼女に視線を移すと、ポンポンと布団を掌で叩く。

 早く寝ましょう、という意思表示なのだろうか。

「ミス・アリオーシュ、分かった。君の要望に応えよう、だがね勘違いされても知らないよ? 私は男で君は女だ、もし同じ部屋から出て行けばそりゃ噂になるだろう」

「英雄色を好む、という言葉を知っていますか? 多少は女っ気を見せていた方が士気も高まると思いますが?」

 そういうものだろうかと思いながらオーエンはベッドの上に置いていた灰皿をデスクの上に戻すために立ち上がった。その時、たまたま煙草の箱が目に入り新たに一本取り出し火を吐けてしまう。

 これで決めている量をかなり超えてしまうことになるのだが、もう構わないだろう。煙を吐き出して椅子に座りベッドを見れば、アリオーシュは既に布団の中に潜り込み、端の方に身を寄せて目蓋を閉じていた。

 こうなったら一緒に寝るしか他に無いだろう。デスクで座りながら寝るという方法もあるにはあるが、疲労を回復させるのならばベッドで眠るのが最適だ。しかし、そこには既にアリオーシュが眠っている。

 やれやれ、と心の中で呟きながらオーエンはスーツを脱いでパイロットスーツに着替えた。アリオーシュのことは置物か、抱き枕程度に考えることにしよう。


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 アイオロスのコクピットには既に耐Gジェルが充填されており、その中でアネモイは操縦桿を握り、ペダルに足をかけてモニタを凝視していた。映っているのはカタパルトと、その向こうに広がる大海原そして水平線だけである。

 だが彼女が見ていたのはそれらではない。水平線の向こうにある、サンディエゴだ。GAはきっとこの攻撃を察知しているのだろう、彼らが迎撃に出てこないのはこれまでの戦いで海軍戦力を失っているからだ。でなければ一大海戦がこの海域において繰り広げられていたに違いない。

 目を瞑り、深呼吸を行う。パイロットスーツの小物入れの中に入っているオイルライターがやけに重く感じられた。入っているのはたかだかライターである、それも使い古されメッキも剥げた価値の無さそうなもの。

 だがそれは、今回共にチームとして活動しているマッハのお守りでもある。彼は言っていた、このライターを持って戦っているとかつての戦友と戦っている気分になる、と。きっと彼にとってはただのお守りよりも大事なもののはず。

 それをアネモイに預けたということは、お互いに無事で帰ろう、という意思表示に他ならない。だからこそプレッシャーが掛かる。マッハきっとアネモイに期待しているのだろう。なにせアネモイはマッハを一度撃墜しているのだ。

 しかし、それは彼の買いかぶりだとアネモイは思う。ラインアークで交戦した際、確かにアネモイはマッハを撃墜することが出来た。だがそれはただの偶然であり、アネモイの実力ではない。

 きっとこの事を言ったとしてもマッハは信用しなかったろう。彼ならば「運も実力のうち」と言いそうな気がしたのだ。だからアネモイはこのライターを預かった。それにこのライターを持っていれば、どこか落ち着けるかもしれないという気がしたというのも事実である。

 もし、マッハが言っていたもう既に亡くなった戦友がこのライターに宿っているとしたのならば力を貸して欲しかった。

「どうされましたか? 脈拍が上がっているようですが?」

 オペレーターからの突然の通信にどきりとしながら「なんでもないさ」と笑って答える。そう、アネモイは緊張していた。マッハが言っていたことが真実だとするのなら、オーエンがブリーフィングで言っていたことが真実ならば、この戦いは世界全体に影響する可能性がある。

 重要な戦いなのだ、これは今までの戦いとはまた違うとマッハは言っていた。アネモイもこの段階に来てようやくそう思うようになり始めている。作戦開始時刻が近づくにつれて、明らかに艦内の空気の質が変わり始めていたのだ。

 今まで多くのミッションをこなしてきたアネモイである、軍艦内部の空気には慣れているつもりであった。しかし、この双胴型空母エクスキャリバー内の空気はそれまで乗ってきた軍艦とはどこか違うものがある。

 誰も彼もが死地に赴くような辛らつな顔をしていたのだ。遺書を書いている人間もいたぐらいだ、彼らはこの戦いが今までと違うことを知っている。ならばアネモイも覚悟しなければならないだろう。

 生きて帰る覚悟を。この空母を守る覚悟を。

 傭兵とは金に雇われて戦う人間だ、昨日の敵が今日の友なんていうことはざらであり、雇い主に対してそれほど情を抱くことは今まで無かった。だが今日ばかりは違う。必ず生きて帰ろうと思うのだ、マッハが渡したオイルライターがそうさせるのか、艦内に漂う空気がそうさせたのかアネモイには分からない。

 ただ、生きて帰る。この艦内の何らかの要素がアネモイにそう決断させたことは確かだ。

 耐Gジェルを通して、背後から僅かな衝撃が加わる。それと共にオペレーターからヴァンガードオーバードブーストが装着されたことを告げる通信が入った。

 出撃はもう間近に迫っている。額に汗が流れた。アネモイは間違いなく恐怖を感じている。この先に待っている戦場はどのようなものなのだろうか。それはいつも考えること、だというのに今日だけは妙なプレッシャーのようなものを与えてくる。

 ブラックゴートは本気で、そしてGAも本気だ。お互い本気でぶつかり合って、潰しあおうとしている。その戦いにアネモイは参戦した。成り行きで参戦したようなものだが、今はブラックゴート社のために核ミサイルサイロを潰そうと考え始めている。

 一体、何がそうさせるのか。ブリーフィングで見せられたあのビデオが影響しているのか、それともU・N・オーエンという人物の持つ人柄がそうさせるのか見当は付かなかったが、戦いに赴く覚悟をしつつあるのは確実だった。

「もうすぐカウントダウンが始まります」

「了解」

 オペレーターの言葉に返答しながら操縦桿を握りなおす。もうすぐこの機体は風となる、風神たちを僕とし戦場に赴くのだ。

――俺の代わりにサポート頼んだぜ、アネモイ――

 柔らかな男の声が聞こえた。通信機からではないし、マッハの声でもない。オペレーターは女性であるため男の声が聞こえるのは有り得ないことである。

――あいつはすぐ突っ込む癖があるからなぁ……いっつも苦労させられたわ、でもあんたはあいつが信用したんだ。それに俺が見ててやるから、あいつのサポートに徹しな。そうすれば、必ずこの作戦は成功する――

 再び男の声が聞こえた。一体誰のものだというのだろうか、変な周波数帯を受信してしまっていないか確認するが通信機に異常はない。オペレーターにも確認を取らせてみたが、どこにも異常は見当たらなかった。

 ではこの声はどこから聞こえてくるのか。アネモイはコクピット内を見渡すが当然ながら誰の姿もあるはずがない、未知なるものと遭遇しているはずだというのにアネモイは恐れをまったく感じることが無かった。

 むしろその逆で、男の声はアネモイに不思議な安心感を与えてくれる。

――後であいつに教えてやりな、そうすれば全部分かるさ。さっきも言ったが俺が見ててやる、そうすりゃお前とあいつの連携は完璧になる――

「あんたは一体誰さ?」

――質問するのは野暮っていうもんだ――

 男の声はどうやら頭の中に聞こえているようである。いわゆるテレパシーというものなのか、科学では解明されていない超常現象。何がこんな現象を引き起こしたのか、不思議と澄んだ頭でアネモイは考えていた。

「カウントダウン開始します」

 その声でアネモイは目先のことに集中しなおすことにした。

「三〇、二九、二八……」

 オペレーターがカウントを開始する。もう一度呼吸を整えて、操縦桿に手をかける。その手の上に半透明の手が覆いかぶさった。驚きながら背後を見ればそこには黒い服を着たオレンジ色の髪をした半透明の男が立っている。

 彼はアネモイの視線に気付くと柔和な笑みを浮かべて見せた。その笑みで全てを理解したアネモイはモニタに向き直り、カウントダウンに耳を傾ける。

 残り一〇秒を切った時、左舷からマッハのストレートウィンドが射出された。きっかりその一〇秒後、アイオロスのヴァンガードオーバードブーストに火が灯され、アネモイはマッハの亡き戦友と共に風となり、戦場へと向かう。

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