『風花舞し湯煙の夜』


/桜楼閣前 石段 


 長い長い石段を登りきった事で頬も赤く染まり、口からもれる吐息も白い。目的の旅館も目の前だというのにリラの表情は上機嫌と言うよりも少しばかり残念そうなものだ。別段温泉が嫌いな訳でもなく、むしろ大好きだと行って差し支えないし、任務の報酬に温泉宿の宿泊券…しかも今まで一般には開かれなかった最高級の旅館となればその喜びも一際大きなものだろう。なら、何故そんな風にさびしげなのだろうか。


「久しぶりに水入らずでノンビリと出来ると思ったのに、部屋も行動も別々ですか…ガッカリですよ。って、嬉しそうですね…リディル」

「い?! い、いやそんなことは無いっ。折角誘ってくれたリラと一緒に入れないのは残念だよ、うん!」

「…英語で今の気持ちを言ってみてください」

「Happy!」

「……………」

「だっ、痛っ!リラ…、こんなところで暴れると危な ―― うわっ!」

「あっ…!」


 リラに叩かれ、バランスを崩したリディルは石段の下方へと姿を消した…




/湯所 飛島


 一歩一歩踏み出すたびによく手入れされた廊下から伝わる木材特有の感触に新鮮な感覚を覚えつつも、湯所に近づくにつれて比例するかのように気分が高揚としていくのが自分の事ながらよく判る。

 最も、先程リラに突き落とされ石段脇の雪山へと頭から倒れこんだ為に濡鼠となっており不快感も相応のはずだが、背骨を折ったり頭が割れる事に比べれば些細な物なのだろうが…


 トントンと小気味良い音と共に店舗よく歩みを進めていたリディルの足が不意に止まる。いや、不測の事に凍りついたと言っても差し支えないかも知れない。

 視界の先に居るのは二人の男。一人は黒い浴衣に銀の帯を蒔き、艶やかな髪はオールバックにされており凛々しいのだが目元のサングラスと手に持つ小型液晶デバイスのせいでどうにも不審な印象が拭う事が出来ない。もう一人は紫のメッシュを入れた男性なのだがソファーに座りデバイスを弄っている黒浴衣の男 ―オーエンと違い何やら女湯の扉に張り付いており、何をするつもりなのかは考えずとも答えが出てくるというもの…

 彼が行おうとしている事の為なのか、はたまた濡れた衣服のせいか、背筋に走る悪寒に体を震わせると止まっていた歩みを再開して男湯に続く扉を潜る。


「………」

「さて…ロマンの為、作戦開始といきますか」


 途中、にやけながら扉を開こうとしているハーケンや、不穏な台詞を発したオーエンが気にならなかった訳ではないが、敢て無視して更衣室へ入ると音を立てぬよう扉を閉めた。


「ふっふっふ…あたいらにセクハラたぁ、いい度胸じゃないか…」

「ち、ちがっ…!」

「アネモイ、待…」

「 問答無用!! 」


 脱衣所で着替えている時に怒気をはらんだ女性の声や、彼等の悲鳴が聞こえて来た気がするが恐らく空耳だろう。いや、空耳だと思いたかった…



* * * * * * * * * * * * * * * * * * * *



 爪先からゆっくりと湯船の中へと浸かると熱すぎる温度に冷えた末端神経がピリピリと痺れるが、馴染んでしまえば冷たい夜風と相俟って心地よく体を温めてくれる。

 そして深々と降る雪が辺りを白く埋め、雪化粧を施してゆくのをみて明日の朝には積もるだろうかと独り感傷に浸っていると横合いから声を掛けられる。


「いやいや、良いお湯ですねぇ。そう思いませんか?」


 振り返れば痣やら擦り傷、内出血の痕に顔中を彩られた男性… もとい、ボロボロになったオーエンが浸かっていた。声を掛けられて黙りこくっている訳にも居るわけにもいかず、簡単な返事を返すがオーエンはそれに満足そうに頷くと何も言わずに岩にもたれ掛り空を仰ぐ。

 それからはお互いに口を開く事が無く心地よい静寂が辺りを包む… はずも無く、今度は塀の向こう側から声が声が響いてくる。


『へぇ、ここは結構いい発育してるじゃない、大きくてマシュマロみたいに柔らかいし』

『ひゃ、シアさっ…くすぐったぃ、フェルちゃんも見てないで止め、ひゃう』

『あはは…、さっきから物凄く注目されてるんだけどなぁ』

「…………」

「はは、微笑ましいですねぇ」


 年頃の青少年なら未だしも、オーエンもリディルもいい歳の大人であり微笑ましくは思ってもドギマギする事は無い。ただ、興を幾分殺がれた感が否めず湯船から立ち上がってしまう。


「おや、もう上がられるんですか?」

「えぇ。また頃合を見て入り直す事にしますよ」


 そうですか、と返すオーエンに背を向けて湯所を後にした…


― 入浴時間  およそ 7分 ―




/大広間


 リディルが飛島で入浴している頃、リラはと言うと大広間で瓶牛乳をコクコクと飲み干していた。そこへ銀灰色の髪を揺らして現れたのはカラードの No.5 、彼の相方であるリュカオンだ。


「久しぶりだな、リラ。今日は一人か?」

「お久しぶりです。 えぇっと、リディルも一緒なんですが… 訳有って今お風呂に行ってるんですよ。暫くすれば戻ってくるとは思いますけど」


 リラに『そうか』と返す彼女は照れと喜びが同居したような表情をしており、普段の稟とした彼女らしからぬ可愛らしさが見て取れる。


「今の顔、リディルにも見せてあげたかったですね」

「な…!? 何を言って…」

「良いじゃないですか、たまにはそういうのも」

「…もしかしてソコにあるの全部一人で飲んだのか?」


 リュカオンが言うソレとは綺麗に並べられた牛乳瓶の数々で、それも1本2本といった程度でなく十数本以上もあるのだから彼女が疑うのも無理は無い。 だが、リラは問いに答えずに視線をリュカオンのある部分へと向ける。 大量の牛乳を飲んでいる理由―― 自分のが丘だとすれば、リュカオンは山だと言えるモノに…

 当然彼女もリラの視線に気付くのだが、視線の行き先を今尚残る傷跡だと勘違いしたようで、『…まぁ、昔のことだ。』 と苦笑交じり呟くとまたな、と残すと人の合間へと紛れていった。




/雑貨屋 兎転舎


 桜楼閣の中央から外れた位置にある雑貨屋兎転舎。店舗の規模も大広間付近にあるものに比べれば小さく、陳列された商品も企業が出している規格品等ではない。だが、ハンドメイドらしき用途不明の機械類に怪しげな薬品、昔ながらの駄菓子や骨董品等、見るに飽きない程様々な物品が並べられている。そんな中でオーエンは囲まれるようにして店内を見て回っていた。

 初めこそ部下や社員への土産物探しが目的だったが、今となっては静で落ち着いた雰囲気や丹誠込めて作られた品々に惹かれて宿泊している間何度も足を運んでしまっており、店員の青年や年齢不詳の店長とも随分親しくなってしまっている。

 そして今日も気分転換を兼ねて訪れているのだが、厄日というのは本当にあるらしく商品棚の向こう側から賑やかな声が響いてきた…


『このお店、随分と代わった商品をうってるのね』

『わぁ、これが日本刀ってやつなんだね? 買っちゃおうっと』

『あはは…、さっきから店員さんに物凄く注目されてるんだけどなぁ』


 何故か聞き覚えがあると思えば先程温泉ではしゃいでいた少女達だ。どうやら彼女等も土産物を探しに来た様で色々物色している様子なのだが…


「騒がしいのはあまり好みじゃないんですけどねぇ…」


 ただ…ここで勘違いされがちなのが日本刀の重心と重量だ。平均的な重量こそ1kg前後とあるが、実際に持つと長い刀身故に実重量以上の負荷が使用者に掛かるのだ。それを知らずに油断していると…


『うわっ!?』


 漏れなく取り落とすのである。

 陳列された商品を巻き込んで落としたらしく、耳を塞いでるにも関わらず大きな騒音がオーエンに届いてくる。 そして、奥にいるだろう店長にも…

 彼女を怒らせるた客を見たことは無いが、奥のほうから流れ出るドロドロと粘ついた気配には流石の彼も危機感を覚え、抱える商品の清算を青年に頼むためにレジに向かうが、一足遅かったらしく怒声という雷が落ちる。


「貴方達…一体名にやってんのよ!! 第一そこに書かれている文字が読めないの?! 『展示品、触らないで下さい』って三ヶ語で書いてあるでしょ!」

「だ、だって…」

「口答えしない!!」

「ひゃっ」


 そうして商品を受け取ったオーエンは悲しげに一つため息をつくと兎転舎を後にした…


 正座させられ、請求書を渡された彼女等が永遠と説教されたのは、また別のお話。




/料亭 華屋敷


 リディルは牛乳を自棄飲みしていたリラの首根っこを掴み、夕食を摂るべく華屋敷の暖簾を潜る。 が、夕食時ということもあって店内の多くの席は埋まっており空いているテーブルを探すのも一苦労と言って問題ない程だ。

 そうして店内を見回していると端のテーブルから手を振る人影が一つ。誰かと思い近づいてみればリュカオンの姿。


「久しいな、リディル。席が空いてないなら同席して行くといい」

「悪いな、そうさせて貰う」

「あぁ…それと、いい加減手を離してやった方がいいんじゃないか?」


 リュカオンの言葉に手元を見ると青い顔をしたリラがグッタリとしていた…



* * * * * * * * * * * * * * * * * * * *



 食事も済み、ゆっくりと地酒を呑んでいると、不意に『リディル…』と呼ばれ、振り向けば頬を染め熱っぽい瞳を向けるリュカオンの姿。


「……ひっく…リディルぅ…飲んでいるかぁ…?」

「うわ、酒臭っ! 呑みすぎだぞリュカオン」

「う、うるさぁい!ぐす…私だって…私だって苦労してるんだ…がんばってるんだぁ…!」

「ったく。リラ、手伝 ――って、え?」


 リラに助けを求めるべく視線を向けるが、彼女が座っていた場所には誰も居らず、代わりといってはあまりにも素っ気無い書置きが1枚残されているだけであった。そして書置きには一文…


『先に部屋に戻ってますね、リュカオンさんに変な事しちゃだめですからね? 追伸、お会計はよろしくね』


「………。 リーラーーッ!」


 と泣いていたはずのリュカオンがやけに静かな事に気付いて彼女の方をみれば泣き疲れたのか、はたまたアルコールの為か、静に寝息を立ててしまっている。 リディルの浴衣の袖をギュッっとつかんだまま…

 彼女の寝顔に毒気を抜かれ、諦めた様に溜息をつくとウェディングキャリーでリュカオンを抱き上げ、リラの部屋へと引き揚げる為に花屋敷の暖簾を潜る。 途中すれ違う人の視線が痛かったのは言うまでもない。




/客室 欅の間


 目を覚ますと見慣れない天井映る。どうやら何処か客室で寝かされているらしい。記憶には無いものの酔い潰れてしまったらしく、極度の胸焼けと頭痛襲われ酷く気分が優れない…

 だが、自己の状態が確認出来ると人間余裕ができるもので、何処か聞きなれた声が耳に入ってくる。


『―― それで……は何と?』

『あぁ、あの人も…てくれるそうだ。最も直接……出来ないらしいが、……は……しい。』


聞こえてくるのはリラとリディルの声。 声量が小さく、若干距離もある為に内容全てを聞き取る事は叶わないが瞼を下ろし、声だけに意識を傾ければ幾分だが聞き取れる事も増す。


『…に今回は……ルも助力してくれるそうだ。……の目的は判らないが今回の事は奴らにも好都合らしい。まぁ、………後ろ盾が出来るの……事だけどね』

『そうですか、リディル…後悔はしていませんか?』

『さぁな。だが、動き出した以上止まる事は叶わない… それに、俺にも原因………。たとえ、代償を払うとしても、だ』


 彼等が何を言っているかは理解できない。だが、大切な人が自身さえ省みずに何かを成し遂げようとしている事だけは痛む頭でも十二分に理解する事が出来る…

 自身の知らない所で大切な人たちが散っていく、そんな身を裂かれる様な思いは一度で充分なのだ。二度目はあってほしくない。ならば…、と横たえた体を起して口を開く。


「リディル、今の話… 初めから聞かせてもらえるか?」


 暫しの沈黙の後に『長くなるぞ』と告げる彼の背には、月明かりの下で舞う雪の花は舞っていた…





【次回予告】

リラ「いや〜、温泉気持ちよかったですね〜♪ ちょくちょく行って見るのも悪くないかも知れませんね」

リディル「ちょくちょく…って、休日に温泉に行くOLみたいだな」

リラ「と、言うわけで次回 Another Piece 最終話、『温泉、再び!』」

リディル「嘘言うな嘘を! 次回 Another Piece 最終話『Necessary evil −必要悪ー』 こうご期待!」

リラ「最終話っていっても2章があるんで終わりじゃないんですけどね?」





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