『Dog and RAVEN U』

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 プロフェット粛清戦が終わった後、各企業の専属ACはそれぞれの基地へと帰還した。とはいえインテグラルMもイレイショナルもファミリアガーデンも、三大企業の専属ACは突如として現れたデスサッカーにより撃墜されたため帰還というよりは回収に近い形ではあったが。

 そして三大企業に雇われていたウェルギリウスとエレクトラ、二名のレイヴンは戦場から最も近いミラージュ基地へと立ち寄る手はずになっていたのだがウェルギリウスは撤収の際にクレスト部隊と行動を共にしたためミラージュ基地へとは来なかった。エレクトラだけが当初の予定通りミラージュ基地へと来ている。

 契約通り、ミラージュ軍が代表して彼女の機体整備を受け持ってくれることになっているのだ。とはいっても他企業のパーツもあるため全て出来るわけではない、大まかな破損箇所が無いかチェックする程度のことである。その間、エレクトラには何もすることが無い。既に戦闘は終わっているのだし、今ミラージュが攻撃を受けたとしてもエレクトラには出撃する理由が無いのだ。

 暇つぶしする道具も持っているわけではなく、許可を得てエレクトラはミラージュ基地内を歩き回っていた。来客用のIDカードを貸してもらったのだが、渡されたIDカードで入れる部屋はほとんど無い。行けるところと言えば喫茶室ぐらいだ。適当に飲み物でも頼んで暇を潰そうと、テーブルに付く。

 すぐに店員がやって来た。制服にはでかでかとミラージュのロゴが入っており、カッコ良いのかダサイのか、良くわからない本当に微妙なデザインをしている。コーヒーを注文し、壁に掛けられている薄型のテレビに目をやった。

 流れているのはプロフェット粛清戦のニュースである。昼間に行われた戦闘の様子は全て中継されていたため映像資料はそれこそ腐るほどあるはずなのだが、今放送しているニュース番組では戦闘の映像はあまり使われていないようだった。おそらくは作戦終盤に現れたデスサッカーによるところが大きいのだろう。

 謎のACにエリア・オトラント上位の実力を誇る三名の専属ACパイロットが瞬時に撃破されたのは、名誉に関わる。下手にこの情報が漏れてしまえば、プロフェットよりも僅かに規模の小さな中小企業群やテロリストグループが勢いづく可能性があった。インディペンデンスも例外にはならないだろう。

 運ばれてきたコーヒーに口を付けた。砂糖もミルクも入っていないブラックコーヒーは苦く、エレクトラには飲めそうに無い。仕方なく二杯の砂糖とミルクをたっぷりと入れて甘くすると、口にあうものになった。

 一口目よりもまろやかになったコーヒーを飲みながら、グローリィはいるのだろうかと考える。バルカンエリアで行われたインディペンデンス紛争では敵として三度、銃火を交えた相手だ。グローリィならミラージュ専属であるし、格納庫には上半身の左半分を切り裂かれたインテグラルMが固定されていた、いないとは考えづらい。

 ただインテグラルMの損傷はコアパーツ付近にまで及んでいた、もしかすると死んでいる可能性もある。しかしあの犬が簡単に野垂れ死ぬとは考えづらい。加えて死なれると困る理由がある。

 過去二回、グローリィはエレクトラを殺すチャンスを手に入れていた。にもかかわらず彼は二度ともその機会をあえて見送ったのだ。当時のエレクトラは自由民主主義国家の建国こそが正義と信じており、テロ組織インディペンデンスに加担していた。そしてグローリィはテロ組織を憎いんでいたはずだ。

 なのに、なのにだ、グローリィは積極的にインディペンデンスの活動に参加するエレクトラを殺しはしなかった。それ以外ならば悪逆非道な行為も率先して行うグローリィがだ。

 インディペンデンス紛争が終結して一年が経っているが、未だにその謎は解けない。その二回共に共通することはあるのだろうか。改めて思い返してみれば、彼はエレクトラに何か言おうとしていた気がする。それは何だろうか。もし会えるのならば、聞いてみたいと思う。

 彼は何を言おうとしていたのだろうか。エレクトラはそれを知りたかった。


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 コクピットの中で意識を失ったところは覚えている。原因はデスサッカーにインテグラルMの左半身を裂かれた事に起因していた。コクピットのすぐ近くにまでブレードは迫っていたらしく、切られた瞬間コクピットの左側が火を噴いたのだ。即座に腕で顔だけは守ったものの、飛んできた破片と熱で左腕には激痛が走る。

 ここまでは覚えている。その後のことをグローリィは覚えていなかった。気づいたときにはベッドの上にいたのだ。上半身は裸で、左腕には包帯とギブスが付けられている。ギブスが嵌っているのは前腕の部分のみであり、手首を動かすことは出来なかったが肘は動く。火傷をしているだろうと意識を失う直前に思ったのだが、この分だとその心配は無いようだ。していても皮膚が赤くなる程度の軽いものだったのだろう。

 上体を起こしてみたが特に痛みは無い。左腕を除けば怪我はほぼ無いらしい。それとも強化手術を受けたせいなのか、何にせよ左腕の骨折以外に怪我が無いのは良かった。部屋は個室で、窓の外には滑走路が見えている。どうもミラージュ基地ないの医療施設にいるらしい。

 ナースコールを使い、看護士に目を覚ましたこと着替えを持ってくるよう頼んだ。程なくして現れた看護士と医師に病状を伝えられたが、グローリィの予想通りのものでまた戦えるようになるには二週間ほどかかると聞き少し安心した。骨折していることを考えると一ヶ月は無理だろうと踏んでいたのだが、予想以上に早い。これも強化のメリットなのだろうか。

 医師によると骨折以外に怪我は無いためもう動いて良いとの事で、看護士から制服を受け取りそれを着た後部屋を後にした。気になったのはインテグラルMの損傷具合である。他企業も今回は多大な被害を被っているためしばらくの間は表立った戦闘行動はとれないはずだ。だがどこの企業も専属は一人ではない。

 ミラージュにはミヅキがいるし、クレストにはリトルソング、キサラギにはイズモがいる。この中で最も実戦経験があるのは恐らくミヅキだろうが、リトルソングには勢いがある。キサラギはさして脅威でもないだろうが、あの企業自体そのもが脅威となりえるところがあるのだ。復帰は早ければ早いほうが良い。

 格納庫に佇むインテグラルMの損傷度合いは思っていたよりも酷くなかった。但しコアパーツと腕部は完全に交換しなければならないだろうし、脚部の損傷も大きいようだ。こうなってくると機体そのものを新調した方が早いかもしれない。インテグラルMの整備を担当しているアンデルが幾つかの書類を見ながら機体を眺めていた。今後の予定を聞くために彼の肩を叩く。

「どうだ?」

「完全に一から組みなおした方が早いな、ただ問題が一つだけあってなぁ……」

「何だ?」

「調整と精度の問題だよ。こいつはお前さんように全てのパーツは最高の精度を持ったヤツを使ってる、でないとあそこまでのレスポンスの良さは体現できない。ただ今まではいっぺんに交換することが無かったから良かったけれど、いっぺんにとなると時間が、なぁ……」

「そうか……」

 こればかりは個人ではどうしようもない問題だ。専属であるために精度の良いパーツばかりを使えるのだが、それがここに来て裏目に出ることになろうとは。とはいえ通常精度のパーツではインテグラルMの真価というよりかはグローリィの技量を充分に発揮することは出来ないだろう。

 グローリィの敵はローレルとグレイトダディの二人であり、共にAアリーナ一桁台の実力がある。そこまで来るとコンマ何秒の世界での判断力と反射神経が要求されるのだ。そのためにもパーツ精度は可能な限り、それこそ限界まで高めなければいけない。妥協は許されなかった。

「まぁこういうことは俺の仕事だし、怪我してんだったらゆっくりしろよ。それがパイロットの仕事だろう」

「そうだな」

 苦笑いを浮かべながらグローリィはその場を後にする。これ以上ここにいたところで何も出来ることは無いのだ。今出来ることを考えて真っ先に思い浮かんだことといえば、マリーツィアとミヅキに安否を伝えることだろうか。マリーツィアは気にしているだろうし、ミヅキも同僚がどうなっているか心配で仕方ないに違いない。

 その後に収集できたデータの分析をしようと考えながら喫茶室の前を歩くと、中に少女が一人で佇んでいるのが見えた。珍しいなと思いつつ、彼女の着ている服が私服であることがさらに目を引く。

 ここでグローリィは思い出したことがあった。確か雇われたレイヴンはここを経由してから帰還する、と。だとしたら彼女はレイヴンだろう。今回の作戦に参加したレイヴンといえばウェルギリウスとエレクトラの二名。となると、喫茶室で一人いるのはエレクトラかと判断しグローリィは複雑な気分にならざるを得なかった。

 彼女とはインディペンデンス紛争の際に三度銃火を交えている、最初の一度は殺されたと言っても良いだろう。彼女がもう少し押しが強ければ、今グローリィはここにはいなかった。後の二回はグローリィが彼女を見逃した、ということになるのだろうか。エレクトラはそう思っていることだろう。

 しかしグローリィはエレクトラを見逃したつもりは無い。見逃したといえばそうなるのだろうが、殺すのが惜しかった。彼女は殺すべき人間ではないと感じてのことで、そのことを伝えたかったのだが結局は伝えられずに終わっている。ならば今がきっとその時なのだろう。

 喫茶室にいるということはエレクトラも時間があってのことだろうし、グローリィも時間は有り余っている。

 迷うことなく、喫茶室の扉を開けた。扉の上部に取り付けられているベルが鳴る。


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 ベルの音にエレクトラは顔を上げた。ミラージュ軍の制服を着た男が入ってくるところだった。着ている制服の襟章からかなりの階級にあることが知れるが、顔つきはまだ若い。髪は短く整えられており、かなり鍛えられているのか肩幅も広かった。何者だろうかと興味は湧いたが、気にしてはいけないと思いまた視線を下へと戻す。

 しかし、何を思ったのか青年士官は他に席が空いているにも関わらずエレクトラの真正面に座った。

「君が、エレクトラか?」

 失礼な男だなと思いながらも答えないわけにはいかなかった。もしかするとこれは立場を利用した一種のパワーハラスメントではないだろうか。いや、それは考えすぎかと思いながらも気分は悪い。

「そうですが、あなたは? 名前を聞くのなら先に自分が名乗るのが筋でしょう」

「これは手厳しいな。私の名はグローリィだ、会うのは一年ぶりということになるのかな? こうして実際に顔を付きあわすのは初めてだが。あぁ、すまんがコーヒーを一つ頼む」

 喋っている途中でグローリィはウェイターに注文をする。その彼を見ながら小さく「犬か」と呟いた。インディペンデンスを抜けた今であっても専属に対して良い印象を持ってはいない、特にグローリィには敵対心しか抱いていない。

 他の専属よりも彼と戦った回数の方が多いというのもあるのだろうが、やはり二度見逃されたことが大きく影響しているのだろう。

「相変わらず私のことを犬と呼ぶのか君は。まぁいいがね」

 苦笑を浮かべる彼を見ながら、何故今のが聞こえたというのだろうと考えた。静かな場所ではあるが、それでも相手に聞こえない程度の小声、それこそ口の中で呟いた程度だ。それが聞こえるわけは無い。

「何目を丸くしている、君やフリーマンを倒すために強化手術を受けた。そのことは君も知っているだろうに」

「そういえばそうでしたね、犬らしくて似合っているなと思いましたよ」

「相変わらずだね、君はそこまで私のことが嫌いかね? ん?」

「嫌いですよ」

 エレクトラが即答すると、グローリィは必死になって笑みを形作ろうとしているのだが唇の端が引きつっていた。してやった、とちょっとした優越感に浸りながらコーヒーを啜ろうとするが、いつの間にか中身が無い。ちょうどグローリィのコーヒーをウェイターが運んできたので、その時にもう一杯コーヒーを注文しておく。

「何で嫌いなのか、教えてもらってもいいかな?」

「何で犬に教えなきゃいけないんですか?」

「そのぐらい教えてくれても良いだろう、誰だって他人から嫌われたくは無いし嫌われているのならばその理由を聞いて改善に努める。君はそうしないのか?」

「そうかもしれませんね。私があなたを嫌いな理由はただ一つです、二度も見逃されたからに他なりません」

 二人の間に沈黙が流れる。もう一言ぐらい何か言うべきだろうかと思案しはじめると、グローリィはエレクトラの目を真っ直ぐに見据えながら小さく笑い出した。さも可笑しげに。

「何を笑うんです?」

「すまないね、あまりにも私にとって突拍子のない質問だったものでつい。二度とも何故撃たなかったのか言わなかったか?」

「いえ、覚えていません。良ければ教えてください」

 沈黙が再び訪れた。グローリィはカップを手に取り一口付ける。砂糖もミルクも入っていないブラックコーヒーを飲む彼を見て、大人だなとふと思った。

「君が若いからだよ。まだ私も二十六歳だが、十八の君を見ているとまだやり直せるんじゃないかと思ったのさ。偽善や独善と言われても構わない、テロリストに大儀を見出すなんてことは間違っている。君がそれこそ二十を超えた大人だったら、私は躊躇うことなく撃っていただろう。だが君はまだ十代の若人だ、今失敗したとしても踏みなおすことが出来る。そう思ったから、撃たなかった」

「何ですかそれ? ただの独善じゃないですか、それに企業に正義を見出しているあなただって私と似たようなものでしょうに」

「だろうね。私も道を踏み誤ったのさ、君と同じ年頃に。憎しみに身を委ねてしまったからこそ今ここにいる。だからだろう、私は君に過去の私自身を少しだけ重ねてしまったのさ。だからだろうな、つい肩入れをしたくなったのは。君の姿を見かけてここに来たのも、それが理由だよ」

 グローリィの言うことはほぼ理解できなかったが、ただ一ついえるのは彼がエレクトラを落とさなかったのは自己満足によるものであるということだ。自身の贖罪をしたいがために、彼はエレクトラを撃たなかったという。だというのに、エレクトラは少しだけ嬉しく思ってしまった。

「確か……インディペンデンスを抜けたんだったな?」

 コーヒーを啜りながらグローリィが言った。

「えぇ。私は民主主義が素晴らしいものだと信じていました、それが私の正義であると。けれどインディペンデンスはそんなものを求めていなかった……それを知ると、どうしても」

「それだけじゃないだろう? 君のような人間が、ただそれだけの理由で離反するとは思えない。インディペンデンス自体はやはり民主主義国家建国を目指しているのだろうし、違うのは上層部のみだ。本当に自由民主主義を信じていたのならば、君はインディペンデンス自体を作り変えようとするか、抜けても我々企業と対立する道を選ぶだろう。なのに君はそれいしていない。おかしな話だね」

「するどいですね……けど、確かにその通りです。私が信じていたのは結局のところ民主主義ではなくフリーマンでした、彼に裏切られたのがきっかけになって、私は私の正義をもう一度見定めようと思ったんですよ。だから私はここにいます」

「そうか……それは、良いことだな」

 言ってグローリィは一息にコーヒーを飲み干すと、エレクトラの分の伝票も手に持って立ち上がる。自分で払うと伝えるが、やんわりと断られ一枚の名詞を渡された。その名詞はグローリィ個人のもので、彼の個人的な連絡先が記されている。

「何ですかこれは?」

「見ての通り、私の連絡先だよ。困ったことがあれば、もし私でよければだがいつでも相談にのろう」

 思わずエレクトラが呆気に取られている間に、グローリィは二人分の会計を済ませて喫茶室を後にした。彼が出て行くときの扉の音で我に帰り、知らない間に立ち上がっていたことに気づく。

 どうしたものかと座りなおして、エレクトラがしたことはといえばグローリィの連絡先を自分の携帯電話のアドレス帳に登録することだった。彼の携帯アドレスに自身の連絡先を送っておくことも忘れずに。

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