『鋼の獅子』

/1

 カーテンの隙間から柔らかい朝の日差しが漏れていた。その光に照らされながらレオニスはその胸の中にレイラを包み込むようにして抱いている。彼女はしがみつくようにしてレオニスの体を抱きしめていた。もう肩を震わせて泣くような事は無かったが、今も彼女の頬には涙の筋がある。

「何で、優しくするんですか……もっと、もっと傷つけてよ……私なんか、私なんかどうなったっていいのに……」

「そういう事を言うなよ。どうなっても良い人間なんて一人もいないさ」

 彼女の頭を撫でながら、ただの偽善ではないだろうかと疑問に駆られた。それでも彼女が自棄にならなければそれで良いと今は思う。

「でも、でも……」

「でもじゃない。今は頭がパニクってるだけだ、落ち着けよ、な?」

 彼女の体をさらに抱き寄せると温もりとと共に彼女の心臓の鼓動が、脈拍までもが伝わってくる。レイラは嗚咽を上げ始める、よく泣く女だなと思うと同時に何とかしてやりたいとも思う。

 成り行きがあるとはいえ、抱いてしまった女でしかも避妊はしていない。そこまで関係してしまったのならば、出来るだけのことはしてやりたいと思ってしまうのだ。このまま、いわゆるヤリ逃げしてしまうのが美味しいのだろうが無責任過ぎてレオニスにはとてもではないが出来そうに無い。

「どこに帰れば、良いんですか……?」

「ここに帰ってくれば良い。俺が居場所になってやるよ」

 レイラがレオニスを見上げる。もう泣いてはいなかった。

「何で、何でこんなに良くしてくれるんですか? 私は汚い専属ですよ、何でレオニスさんはそんなに優しくしてくれるんですか……私は傷つきたかったのに、あなたは何でそんな優しく……それこそ恋人を抱くみたいにしたんですか?」

「女には優しくするのが俺の流儀なんだよ」

「じゃあ、じゃあ……なんで私の居場所になる、なんて言うんですか?」

 レオニスは溜息を一つ吐いてから苦笑を浮かべた。理由は非常に言い辛いが、レイラは真っ直ぐにレオニスの瞳を見つめ続けており答えないというわけにはいかなさそうだ。

「ゴム付けて無かったろ? それに、まぁ中にだし。責任は、取るさ」

 ずっと堅いままだったレイラの表情が始めて緩んだ。そのことにホッとしつつも、これでこの女とは離れられなくなったのだと思うと気分が重くなる。だがこれも乗りかかった船なのだし、こうなることを選んだのは他でもない自分自身なのだ。先のことを考えると気分が重くなってくるが、後悔はしていない。

「ありがとう……でも、赤ちゃんは出来ないと思いますよ。安全日だから……」

 微笑むレイラを見て、恥ずかしいことではあるがレオニスは安堵の溜息を吐きそうになった。何だかんだと言ってもレオニスはまだ二四才であり、出来ることならばまだまだ遊びたいというのが本音なのだ。まだ妻子持ちにはなりたくない。

「あ、でも……」

「でも?」

「最近生理不順だったんで、もしかしたら危険日だったかもしれません。それに聞いた話なんですけど、女性っていうのは出来やすいときはエッチしたくなるっていうし」

 レオニスは自分でも全身から血の気が引いていくのを感じていた。レイラを抱く手が震えているのが自分でも分かる。どうしよう、どうしようということだけが頭の中をグルグルと回り始めた。歯の根が合わなくなりそうだ。

「冗談、ですよ。多分……」

「多分って何!?」

「でも私、レオニスさんとなら良いかなぁと思ってるんですけど。レオニスさんは、私とじゃダメですか?」

 レイラは真剣な表情でまたもやレオニスの瞳を見据えている。なんとも答えづらい質問だった。答えは二択しかない上に、それで全てが決まってしまうのだ。そして時間も少ない。

 しかしレオニスは迷わなかった。レイラの唇に自分の唇を重ねて、すぐに離す

「これが答えだよ」

「レオニスさん……私、わた、し……」

 彼女の瞳がまたもや潤み始めたと思ったら、即座に決壊した。レイラは慌てて涙を手で拭おうとするも、次から次へと溢れてくる涙に彼女の顔はぐちゃぐちゃになってしまう。

「泣くなよ、な?」

「だって、だって……私、嬉しくて……帰れる、ところがあるのが……」

「あぁ、お前の帰るところはここだ。だからもう泣くな」

 嬉しさのあまりに泣き続けるレイラをレオニスはただ抱きしめ続けていた。


/2


 その日の夜にレオニスはトレイターと別れた。といってもトレイターを追い出したわけではない。彼女の今の居場所はレオニスのいる所なのだ。しかし流石に仕事の場にまで連れてくることは出来ず、彼女を家に置いたままレオニスは新たな戦場へと来ていた。

 今回レオニスが受けた依頼はプロフェットからのもので、演習を終えて基地へと帰還するクレストのMT部隊を殲滅するというものだ。夜の闇に紛れることもできるし、向こうのMTを駆るパイロット達は演習を終えた後で疲れているし気も抜けている。

 楽なミッションになるはずだ。報酬はそれに見合って多いとはいえないが、損傷を少なくすることが出来れば食べるに困らない額は貰える。MTの構成は分からないが、数はそれほど多くない。小隊規模ということなので、三機以上十機未満というところだろうか。その程度の数ならば上級MTだったとしても全滅させることは容易なはずだ。

 ここのところレオニスは撃墜されてばかりだったが、MT相手の戦闘ならばかなりの数を経験しているしノウハウも持っている。要は一撃でどれだけ削れるかということで、初撃でかなりのダメージを与えることが出来れば後は楽になるのだ。

 しかし不安が無いわけではなかった。

 いつも精神の高揚のために使っているクスリを切らしていたことを忘れてしまっている。その事に加え、プロフェットがもしレオニスがトレイターを匿っていることを知っているとしたらどうだろうかとも考えてしまうのだ。

 だが今考えている暇は無い。オペレーターのアルから敵部隊が近いことを告げられた。クスリの代わりに深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。依存性が少ないとはいえ全く無いわけではないのだし、実際に依存症にかかった人間もいるということだし偶には使わないほうがいいのだろう。

 ブースターを吹かせて距離を詰める。モニターには一列になって輸送車両と共に更新するクレストのMT部隊がいた。数は三機、どれもMT77Mであり激しい演習を行っていたのか機体はボロボロだ。これならば余裕とばかりに、残りエネルギーを気にしつつもオーバードブーストで急接近をかける。

 更新する列を貫きながらレーザーとミサイルを放ち三機のMTを一瞬で火達磨に変えた。そして反転し、残っている輸送車両にも攻撃を加えて部隊を全滅させる。作戦に要した時間は一分も無い。今までに経験したことのない程の速さで、ミッションは終了した、はずだった。

 しかしオペレーターのアルからはミッション終了の通信が来ない。気になってこちらから通信回線を開く。

「アル、ミッションは終了したが……敵部隊は全滅させたぞ、輸送車両のオマケ付でな」

「いえ、急速に接近してくる敵の反応があります……これは、AC!?」

「なにッ!?」

 言いながらも既に機体を旋回させながら周囲を索敵していた。レーダーに反応はまだ無いが、オペレーターの方で特定が済んでいてもおかしくは無いはずだ。

「アル!? 誰のACかわかるか!?」

「Aアリーナ二二位のアイスコラーです、機体はダイヤモンドダスト。空中からの攻撃を中心とした戦法を多く取るとデータにはあります、ですが……」

「ですが?」

「戦法を突如として変更することもあるとのことです……頑張ってください、撤退は認められません」

「了解」

 通信を切ってからレオニスは思わず生唾を飲み込んだ。恐怖が全身を包み込み始める。誰かに見られているような錯覚をレオニスは覚えた。そして突如、通信が入る。

「弱いな」

 ただ一言、呟く声が聞こえた。物静かな男の声で、だがハッキリと。それよりレオニスの恐怖心を煽る、クスリが無いためか心臓の鼓動が跳ね上がり顔が引きつっているのが自分でも分かった。

 後方に敵の反応が現れる。振り向くと同時にトリガーを引いてレーザーを放つ。灼熱の光線は夜の闇を貫きはしたものの、レオニスが狙うACには掠りもしなかった。それどころかダイヤモンドダストの姿が視界内にいないのだ。

 レーダーを確認しようとしたが、今までの経験が敵の位置を告げてくる。留まるのはとにかく危険と判断し、通常のブースターだけでなくエクステンションのマルチブースターを使用して動きを読まれないようにして動いた。上空から降り注ぐ弾丸の雨嵐を間一髪で避け、夜空に浮かぶダイヤモンドダストに向けてミサイルを放つ。

 そして再びブースターを使いながら距離を開けた。ダイヤモンドダストはミサイルを避けながらも両手の銃火器を駆使してエルダーサインを追ってくる。回避行動を取りながらだというのに狙いは的確で、動いているはずなのに幾つかの直撃弾を貰ってしまう。その中の一発が脚部に当たってしまい動きを阻害されてしまった。

 時間差を付けて飛来してくるマイクロミサイルと中型ミサイルを視界の中に捉えながら、レオニスは次の動きを考えてしまっていた。この時間がそのままロスへと繋がり、結果的に避けることが出来なくなる。それでもがむしゃらに動いたおかげか、全弾直撃という最悪の状況だけは免れたものの、右肩のインサイドカバーは吹き飛ばされて左肩のレーダーは損傷、左脚部の前面装甲の一部が剥ぎ取られた。

 幸いなことに装甲が吹き飛ばされただけで内部機構にまでダメージは及んでいない。つまりはまだ動く。撤退が認められていないとはいえ、逃げるしかない。例え汚名を被ったとしても死んでしまっては何もならない、レオニスが欲しいのは力でも名誉でもない。生活の糧となるもの、金が欲しいだけなのだ。

 だからこそ生き延びねばならない。そのために、逃げる。だが背は向けられない。レーザーとミサイルを放ちながら後退するが、ダイヤモンドダストは見る見る間に距離を詰めてくる。ミサイルはデコイで無効化され、レーザーは射線が読まれているのか掠りもしない。

 そしてダイヤモンドダストから繰り出される攻撃を避けきるだけの技術をレオニスは持っていなかった。直撃弾が増え、機体にダメージが蓄積してゆく。コクピット付近にニ発か三発の至近弾を受けた時、衝撃でレオニスの意識は一時的に刈り取られた。その間機体の動きは当然止まる。

 確実に葬り去るチャンスだというのに、何を思ったかアイスコラーはトリガーを引かなかった。意識を取り戻したレオニスがまず目にしたのは、エルダーサインの前に両腕をだらりと垂れ下がらせて立っているダイヤモンドダストの姿だ。

「諦めたか?」

 無情なアイスコラーの声がコクピット内に響き渡る。衝撃で割れたヘルメットのバイザーがレオニスの額を傷つけていたらしい、顔中に濡れたような感触があった。舌打ちを一つしたが、アイスコラーの質問には答える気は無い。

「どうした? せっかく遺言や辞世の句を聞いてやろうというのだ、何も言わなければ損だぞ?」

「どっちも無いから言う必要は無い。俺は生きる、ここで撃墜なんてされない。撃墜されるのはテメェの方だアイスコラー」

 アイスコラーの哄笑が響き渡る。状況はどうあってもアイスコラーの有利で、レオニスに勝ち目は無いのかもしれない。ダイヤモンドダストは無傷だが、エルダーサインは満身創痍だ。だがそれは見た目だけの話で、大事な部分はまだ動く。これ以上ダメージを受けてはいけないだけで、戦えないわけではない。

 生きたいのならば目の前の敵を倒さなければならない。倒せなければ死ぬというのだったら、生きることよりもまず倒すことを考えよう。じっとモニターの中のダイヤモンドダストを凝視し、操縦桿を握りなおす。

 ふと、コクピット内が急激に寒くなったような気がした。温度計を一瞥してみたが変化は無い、湿度もだ。不思議な寒さだった、全身に纏わりついてくるような感触がある。これはどういうことだろうか、と頭の隅で考えながらもダイヤモンドダストに意識を向けていた。

 レオニスを包む寒気が動いた。何故かは分からないがダイヤモンドダストからの攻撃が来るのだと確信し、体は勝手に回避のための行動を取っている。その直後にダイヤモンドダストは全武装の一斉射をエルダーサインのいた場所向けて放っていた。

 ダイヤモンドダストの左側に回りこむとマシンガンの銃口が向けられる。放たれた時にはもうエルダーサインはそこにいない。距離を空けて狙いを定める。ダイヤモンドダストは上昇すると空中を飛び回りロックしづらい機動を行うが、今のレオニスにそんな小手先の技は通用しなかった。

 ダイヤモンドダストの動きが手に取るように理解できるのだ。動く先までもが分かる。敵の未来位置に照準を定め、その中にダイヤモンドダストが入った瞬間にトリガーを引いた。結果は直撃。

 二発、三発と立て続けにレーザーを放つ。それらも全て直撃弾となる。ダイヤモンドダストからの反撃は全て避けることが出来た。相手の動きは全身を包み込む寒さが教えてくれる。もしかするとこの寒さの本質はアイスコラーが放っている殺気なのかもしれない。ダイヤモンドダストが回避に専念している時は寒さが和らぐ、しかし攻撃する時は凍えそうなほどに寒くなる。

「先ほどまでとは動きが違う!? ちぃっ、このままでは……」

 仕切りなおすためかダイヤモンドダストが後退をかけた。だが今仕切りなおされたら、また戦況が変わる。それだけは避けねばならなかった。

「逃がすかよッ!」

 叫びオーバードブーストを発動させる。全身が押しつぶされそうな程のGが掛かるが、寒さはまだ残っていた。寒さが教えてくれるままに動くと、ダイヤモンドダストから放たれるライフル、マシンガン、ミサイル全てを避けることが出来、反撃のために放ったインサイドのロケットは直撃し相手の動きを止めた。

 その一瞬に距離が詰まる。しかし敵に向かって突っ込むようにしてオーバードブーストを使った経験がほとんど無く、解除のタイミングを誤りダイヤモンドダストの横をすり抜けてしまう。

「しまった!」

 言いながらもレオニスの体は動いていた。以前、アリーナ観戦の時に見たAアリーナランク一五位のストレートウィンドBの機動が頭に浮かぶ。オーバードブーストのまま敵の横をすり抜け、片足だけを着地させオーバードブーストの推力を反転に利用するための機動だ。

 その機動をレオニスは再現しようとしていた。片足だけを着地させるも、推力の全てを回転に使うことが出来ない。そこでエクステンションのマルチブースターを片方だけ使用して無理やりベクトルを変更し機体を回す。

 機動を終えたときダイヤモンドダストの真後ろを取る形になっていた。

 レーザーライフルの銃口をダイヤモンドダストの背中に押し当て、エネルギーの続くかぎりトリガーを引き続けた。ダイヤモンドダストのコアパーツは爆発を起こし、機体は前のめりに倒れこむ。全身を包み込んでいた寒さはもう感じていなかった。


/3


 レオニスが全ての事務作業を終えて帰った時、日は既に高いところまで上っていた。もうすぐで正午というところだろうか。額に巻かれた包帯を撫でながら部屋の扉を開ける。中からは食べ物の良い匂いがしていた。

 見れば、タートルネックのシャツにスカートを穿きエプロンを身に着けたレイラがあくせくと、忙しそうに食事の準備をしているところだった。尚、彼女が身に着けている服はレオニスの家には無かったはずだ。となると自分で買いに出たのだろうか、なんて無用心な女だろうかと呆れながら靴を脱いで玄関にあがる。

 レイラは台所で調理に集中しており、レオニスが帰ってきたことに気づいていないようだ。どうせなら脅かしてやろうかと悪戯心の湧いたレオニスは抜き足差し足忍び足で彼女の背後にそっと近寄る。

 レイラは煮込んでいたスープを味見するとガッツポーズを一つ。

「これならレオニスさんも喜んでくれるはず! お世話になったのに何もしないのは悪いしね。そういえば、レオニスさんの本名って何なんだろ? 聞いてみようかな? でも聞くのは失礼かなぁ……レイヴンだし……う〜ん」

 長い独り言を苦笑しながらレオニスは聞いていた。そして彼女の右肩に手を置いた。置いた手の人差し指は伸ばしたままにしておく。「ふぇ?」と言いながら振り向いたレイラの頬に、レオニスの人差し指が当たる。彼女は頬に当たる人差し指を見た後、瞳だけを動かしてレオニスを見た。そしてそのまま首を傾げる。

「レオン・カートライト。俺の本名だ、飯ありがとな」

「あ、いえ。一宿一飯の恩義と言いますし……そんな大したことじゃ……」

 レイラは頬を赤らめて俯き、ぼそぼそとまだ呟いている。可愛らしいその姿を見ても、レオニスの中に恋愛感情は湧き上がりそうになかった。


登場AC一覧

エルダーサイン(コル=レオニス)&Le0cwb002z080wE0cBo0E70aoa23zaeTME005Vd#
ダイヤモンドダスト(アイスコラー)&LEo03Dhw03Ao00wT00s41B2woPh5B32h1E4q47h#

倉佳宗作品一覧 小説TOPへ