クロスオブオトラント
第一話『舞い降りた白い鷹』

 輸送機の揺れで、それまで寝ていたエイドは目を覚ました。
 目を閉じる前と同じ光景がまた広がっていた。
 まだ揺れている。
 乱気流に巻き込まれたようだが、エイドは特に驚く様子はなかった。
「悪いなレイヴン、もうしばらく揺れるぞ」
 輸送機の搭乗スペース、客室と言うには見た目に乏しく、またエコノミークラスかそれ以上に狭い搭乗スペース内に機長らしき男の声が響く。
 エイドはその声を認識しながらも、無言のまま窓の外を見た。
 どうやらもう日が沈んでかなり経っているらしく、室内の灯りで雲が見えるのみであった。
 もう何時間輸送機に乗っているのか分からなかったが、少なくとも普段以上に長時間乗っている事は、背中や腰の痛みがそれを物語っていた。
 それでも、ACのコクピットに長時間拘束されるよりははるかにマシではあった。
 一応依頼主に感謝すべきか。
 とここでエイドは依頼内容を思い出していた。
 今回普段活動拠点にしている地域を離れ、わざわざ遠出することになった理由である。


 あれは普段通り、任務を終え帰途に着いた時であった。


 エレベーターを降り、もはや身体が覚えているその動きで自宅であるマンションの一室の前で立ち止まった。最近のマンションは防犯対策をうりにしており、というかもはやそれが当たり前となっていた。
 エイドが手の平をインターホンにかざすと、金属音と共にドアが開いた。ドアノブを回し、中に入る。左手には、今では一人分しか買わなくなった缶ビールの入ったビニール袋が握られていた。
 部屋の電気をつけると、来ていたジャケットを脱ぎ、ソファにもたれ掛けた。もちろんビールはちゃんと目の前のテーブルに置いた。すぐに手をつけることはなく、代わりにテレビのリモコンに手を伸ばした。
 大きな液晶画面に映像が流れ始めた。
 まず流れたのはクレストのCMだった。
「クレスト製全自動洗濯機『ナ……』」
 洗濯機などどうでもよい。
 むしろレイヴンとして情報のチェックがしたい。
 すぐにチャンネルを変更した。どうやらちょうどニュースの始まる時間だったらしい。
 元気の良い新人アナウンサーが、ベテランのそれと共にトップニュースを読み上げていく。
「本日午前三時ごろ、クレスト社の所有するヴィーノ発電施設がACの襲撃を受けました。施設の防衛に当たっていたクレスト社のMT部隊は全滅、同施設も多大な損害を受けました。これによりクレストの管轄区域の三十パーセントが数時間停電し、エレベーターの停止や交通事故などで多数の死傷者が出た模様です。クレスト社はこれをミラージュ社による悪質なテロ行為だと発表。それに対しミラージュ社は事実無根だと反発しています……」
 テレビの向こうではまだニュースを読み上げるアナウンサーがいたが、エイドは途中で聞くのをやめていた。


 相変わらずだな、とエイドは感じていた。
 こんなニュースは日常茶飯事なのだ。
 この世界で強大な力を持つ存在である企業。
 特にクレスト、ミラージュ、キサラギの三大企業は飛びぬけている。
 ただし、三大企業の中で飛びぬけている企業はない。
 ようするに拮抗しているのだ。
 互いに勢力の拡大に力を注いではいるが、相手を潰すには至らない。
 ある意味バランスは保たれている。


 そんな勢力争いの中、レイヴンは活躍――――いや暗躍していると言うべきか。
 一般的にレイヴンに対するイメージは決して良くはない。
 任務とはいえ人を殺していることに変わりはないからだ。
 その代わりエイドも命がけだ。
 命を危険にさらす代わりに通常では手に入らない莫大な報酬を得られる。
 代価としては安いのかもしれないが。


 っとエイドは我に返った。
 テレビのニュースはいつの間にかスポーツのコーナーにまで進んでいた。
 すぐにスイッチを切った。
 リモコンをテーブルに置くと、その脇にあった缶ビールに手を伸ばした。
 缶ビールの表面にはいくつもの水滴がついていた。
 エイドの手が段々と近づいていく。
 そしてあと一センチに迫った時だった。


 静寂に包まれていた空間が、電子音に満たされた。


 エイドはそれまで伸ばしていた右手を戻し、ソファに脱ぎ捨てられていたジャケットの右ポケットから携帯電話を取り出した。
 普段鳴ることはほぼなく、ただ持っているだけに等しい代物だ。
 それでも、あるのと無いのでは大きく違う。
 それに……いや、やめておこう。
 まずはとにかく電話に出ることにした。
「もしもし」
「あ、私よ。カトレア」
「……何だ」
 相手はエイドのACの整備士、ようするにメカニックだった。
「相変わらず素っ気無いわね」
「……用件は?」
 彼女の言葉に反応を示す事なく、エイドは言った。
 彼女は付き合いがだいぶ長いのか、慣れた様子で続けた。
 無論多少の物足りなさは感じていたが。
「ちょっと伝えたいことが二つあって、一つはあなたのACの修理が終わった事。注文のパーツ交換もすませたわ」
「そうか。感謝する」
 ようやくエイドは反応を示したが、普通の人間に比べれば明らかに小さなものだった。
 ふとエイドは部屋の時計を見た。
 その針は既に午前二時を回っていた。
「エイド、ちょっと言ってもいいかしら?」
「何だ?」
「普通はさぁ、何かこう……さ、『こんな遅くまでありがとう。お礼に今度デートでもどうだい?』ぐらい言わないの?」
「俺がそんな事する男に見えるか?」
「見えないし言いそうじゃないから期待するんじゃない、ねぇ」
 エイドは呆れながら、携帯電話を右の頬と肩で器用に挟み、テーブルの上の缶ビールを手に取った。乾いた音を一瞬聞いた後、エイドはビールを飲み始めた。
 その音は電話越しにも聞こえたらしい。
「今の音……まさかあなた飲んでるの?」
「ん……ああ、そうだけど」
 一口飲んで息をついたエイドは答えた。
「何で誘ってくれなかったのよ〜。お酒ならうちにたくさんあるのに」
 彼女はどこか悔しがっていた。
 そんな彼女の声を聞きながら、エイドは残りのビールを飲み干した。そして空になった缶をテーブルに置いた時、ある事を思い出した。
「そういえば、もう一つ伝えたい事って何だ?」
「今からそっちに行ってもいいかしら? それともこっちに来る?」
「……それが伝えたいことなら切るぞ」
 エイドは電話を切ろうとボタンに手をかけた。
「冗談よ。次の依頼はもう決まってるの?」
 ここでエイドはまだ何も決めていない事に気づいた。
「そういえばまだメールとか確認してなかったな。ちょっと待っててくれ」
 電話を持ちながら立ち上がった。
 エイドは自分の部屋に向かうと、すぐにパソコンを立ち上げた。


 レイヴンの依頼というものは、大抵メールで受諾する。
 依頼を斡旋する業者や組織を介したものであれば尚更である。
 個人が依頼してくることは極まれである。


 早速メールをチェックする。
 依頼のメールは三つ。
 一つ目はクレストからで、とある基地の護衛任務。
 二つ目はミラージュからの依頼で、開発中のMTのテストだった。
 ここまでは普段とあまり変わらなかったのだが、最後のメールは変わっていた。
 思わずじっくり見てしまった最後のメール内容はこうであった。


送信者:Unknown

「エリア・オトラント」に来て貰いたい。詳しい依頼内容、報酬は現地に到着後追って指示する。まずは前金として100000c支払う。出発は一週間後。既に輸送機等は手配済み、その費用もこちらで負担した。良い返事を待っている。


 いかにも訳ありであった。
 名前を伏せている点も十分怪しいが、かといって罠にしては随分と回りくどい。
 前金の高さは他の依頼の追従を許さないものだった。


「なぁ、『エリア・オトラント』って知ってるか?」
「何言ってるの、今一番企業同士がピリピリしている所じゃない」
 勿論エイドも知っている。
 遠く離れたこの地でも毎日ニュースになるくらいだからだ。


 エリア・オトラント。
 先に彼女が言った通り、おそらくは、いや間違いなく今一番レイヴンが活躍できる場所だ。
 逆に言えば一番危険な場所でもある。
 まあ、危険な所など探せばいくらでもあるのが現状だが。


「そこに来いって依頼が来てるんだよ」
「ここからだとすごく遠いわよ。輸送機で何時間もかかるし、移動費だってバカにならないし」
「いや、そこは問題ない。輸送機とかはもう手配してあるし、全て費用は出してくれたらしい」


 依頼内容を説明すると、彼女は驚いていた。


「すごいわね。ただ危険な香りはするけど。で、受けるの?」
「ああ。危険な任務は臨むところだしな。という訳で、準備の方頼むぞ」
「わかったわ」
 エイドの心は決まっていた。


 時は再び輸送機内に戻る。


 一週間前、電話越しに話していた整備士は、隣で寝息を立てていた。
 今回、遠出するのだから、と進んでついて来たのだ。
 その点ではありがたかったが、エイドとしては正直ついて来てはほしくなかった。
 戦場に近ければ近いほど、命の危険性は増すのだ。
 言い換えれば、エイドに近ければ近いほど、死に近づくことになる。
 その事を身をもって彼は知っていた。


 ――――そう、三年前のあの日から。


 物思いに耽っていると、スピーカーから再び男の声が聞こえた。
「レイヴン、待たせたな。今エリア・オトラントの上空にさしかかった。もうすぐお堅いシートともお別れできるぞ」
 窓の外を見ると、既に高度が下がっており、陸地がその顔を見せ始めていた。
 遠くには海も確認できた。港らしきところにあるのは軍艦だろうか。
 エイドの本拠地とは又違う雰囲気が、そこにあった。


 隣の整備士は、まだ起きそうになかった。

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