クロスオブオトラント
第三話『出会い』
第三話 出会い コーヒーの匂いが辺りに漂う。 勿論エイドはその匂いを感じてはいた。好きな匂いなのだから当たり前ではある。 しかし、目の前の人物のご立腹そうな表情を前に、匂いを楽しむ余裕は一瞬で無くなっていた。 目の前の人物、カトレアは手にしたマグカップを机の上に置くと、壁に寄りかかるエイドに視線を向ける。 エイドと彼女のいる休憩室の外、ガレージでは、整備士達がエイドのAC、フレスベルグの整備をしていた。 外部パーツの殆どを交換しなければならないほど損傷は激しいようである。 「オトラントに来て最初の任務で大破……私を過労死させる気かしら?」 「すまないとは思っている」 エイドがそう言うと、カトレアは大きなため息をついた。白衣の左右のポケットに両手を入れると、エイドに背を向ける。 「……別に謝る必要はないわ。ACの整備は私の仕事だもの。ただ」 彼女は振り返った。その表情は、さっきとは違っていた。 「何故無茶ばかりするの? あなたのACを整備するようになってそれなりになるけど、損耗率がハンパじゃないわ」 エイドは無言のまま、休憩室の隅にあるコーヒーメーカーの前に向かうと、コーヒーを入れた。 辺りにはさらに匂いが漂う。 「レイヴンである以上、危険はつきものだ。無茶なことももちろんある。お前だってそれは知っているだろう?」 そう言うとエイドはコーヒーを口に運んだ。苦みが口の中に染み渡っていく。 それに伴い頭も冴えてきた。欲を言えば戦闘中に冴えてほしいものだが、そうそう上手くはいかない。 「随分と勇敢なのね」 冴えた頭だからこそ、カトレアの挑発的な一言がよく響いた。もう一口コーヒーを飲もうとしたが、途中で手を止める。 「何が言いたい」 「少しは命が惜しくたっていいんじゃないの?」 エイドは無言のまま残ったコーヒーを飲み干した。舌に痛覚の刺激が多少あったが、構わなかった。 空になったマグカップを休憩室の中央にある机の上に置くと、扉に向かった。 扉を開けると、肌を刺すような冷たい風が入ってくる。 今日は気温が低く風が吹き荒れる、任務前にクレストのオペレーターが言っていたことを思い出す。 休憩室を出ることに少し迷いはあったが、身体は動いた。 何も言わずに、エイドは扉の外に出た。 空を見上げても、星は見えなかった。 町には多くの高層ビルが立ち並び、ネオンサインが星の代わりに街中を照らしている。 ガレージを出た後、エイドはクレストの管轄下にあるここディークスコシティに来ていた。 別段行きたかったという訳ではない。ただ今は一人になりたかったと言うところか。 ACを大破させてしまったことは申し訳ないと思ってはいた。 ただ、悔しい気持ちがこみ上げてきていた。 フレスベルグを大破させた謎のACは、その後すぐに撤退した。 その理由は分からない。だが負けた理由ははっきりとしていた。 コンクリートの壁に左の拳をたたきつけたが、痛覚があることを実感するだけだった。 「……くそっ」 その声は車の走行音にかき消され、声を発した本人以外には聞こえていない。 無論、周りを歩いている通行人にもだ。 都会の真ん中にただ一人、エイドは自分自身の力のなさを嘆いていた。 何ごとも口に出して言うことはさして難しいことではない。 だが、実感し自らで受け止めるほど困難な事はないのだ。 しかも、今のエイドは孤独の身である。 寄り添う人はいなかった。少なくとも彼はそう感じていた。だからこそ、一人で受け止めるしかない。 壁にそのままになっていた左の拳を離した。少し赤く腫れていたが、気にも留めなかった。 再び空を見上げた。やはり星は見えない。 ふと、鼻の頭に冷たさを感じた。次いで右の頬にも同じ感覚を覚える。 誰かが流した涙のように雨が降り出した。 通行人の殆どは予め持っていた傘をさし、足早になる。 しかし、エイドはそばにあった地下鉄の駅の入口に移動した。 脇を多くの人間が通り過ぎていったが、入口で立ったまま空を見上げる。 日は落ち暗くはなっていたが、分厚い雲が空を覆っていた。しばらく雨はやみそうにない。 それどころか雨音は大きくなる一方だった。 今日は厄日かもしれない、そう思ったが運がどうであってもホテルに帰る必要があった。 傘を持っていない自分に悪態をつきつつも、周りを見渡す。 ホテルまでは徒歩で約二十分。公共機関は不便なことにホテル近辺にはない。 タクシーでも拾おうかと考えていたその時、十メート先に看板を見つけた。 着ていたジャケットで申し訳程度に頭を雨から守り、走って近づく。 看板には「Heaven's kitchen」とあった。天国の台所という意味だろう。 レイヴンである自分には似合わない場所だろうなとエイドは思ったが、雨に濡れるのは御免だった。 入口から地下に続く階段を降りると、古い木製のドアがエイドを出迎えた。 そっとドアを開けると、ベルの音と共に声が響く。 「いらっしゃいませ」 無論それは店のマスターの声ではあるのだが、店内に流れるジャズと絶妙に合わさることにより雰囲気を醸し出していた。 エイドはカウンター席に腰を降ろすと、店内をざっと見渡す。他の客はカウンターに一人、テーブル席に三人。 空席が目立っていた。 「雨の日ですからね」 エイドの様子を見ていた店のマスターが言う。手にはまだ使用していないらしいグラスがあった。 「何になさいますか」 雨宿りに来たようなものだったが、何も注文しないのは失礼にあたる。 考えた挙句、黒ビールを注文した。 すぐにビールの入ったグラスがが目の前に置かれる。 口に運ぶと、コーヒーとは違った苦味が意識を埋めていく。 頭の中では、先ほどの戦闘が繰り返されていた。 ミサイル、ブレードで傷ひとつつかない装甲。 そして必要以上、過剰と思われる火力。 “頭の中”でフレスベルグの両脚が吹き飛んだ時、無意識のうちにビールを飲み干していたことに気がついた。 もう一杯注文しようと思ったが、その必要はなかった。 目の前に既に別の飲み物があったからだ。 色からしておそらくバーボンか。 ただ注文した覚えは全くなかった。不思議に思い聞いてみる。 「あちらの方からです」 店のマスターが示した方向を見ると、一人の女がいた。エイドの視線に気づいたのか、こちらに向かい歩いてくる。 赤みのかかった紫色の髪、凛とした瞳。 心を見透かされているような、優しいがどこか寂しい、そんな雰囲気だった。 バーにいるような女のタイプではなかったが、エイドの隣に座り、同じ飲み物を注文する。 一口飲むと、話しかけてきた。 「この店は初めて?」 「まぁ、そうだな」 グラスを手に持ち、軽く揺らしながらエイドは答えた。 氷と氷がぶつかる音が、ただ響いていた。 「貴方、ここの人じゃないでしょう?」 「何故?」 彼女はクスッと笑った。まるで聖職者のようである。 「女の勘、とでも言えばよいかしら」 返ってきた答えはそれらしくなかった。 「そうか」 「って冗談よ。ただ雰囲気が何となく違うから」 「……それは女の勘じゃないのか?」 「女でなくても分かることよ」 バーボンを口に運ぶと、アルコールの重みが頭にのしかかる。 表情には出さないようにしたつもりだったが、そうもいかなかったようだ。 「ちょっときつかったみたいね」 「たまにはいいさ」 もう一口飲むと、エイドは一番疑問に感じたことを思い出す。 「ところで、どうして俺を選んだ?」 そう尋ねると、彼女は残ったバーボンを一気に飲み干すと、もう一杯注文した。 さらに来た一杯も即空にする。と今度は空にしたグラスを手に持ったまま、ただそれを見つめている。 質問に答えるのを拒んでいるようにも見えた。 無理に言わなくていい、そう言おうとした時である。 「似ているから、私に」 「似ている?」 「全てが。特に瞳の色が、ね」 似ている、という意外な回答に思わず聞き返してしまう。続いた言葉に自分が見透かされている感覚を再び感じ、疑問は大きくなる一方だった。 彼女は続ける。 「寂しい瞳をしているのよ、貴方は。別に心を読む訳じゃないけれど、心に穴が空いているって感じね。私もそう。もっと言うと……」 こちらを向く彼女の瞳は、真っ直ぐエイドを見ていた。 「大切な何かを失ってしまった……そんな処かしらね」 エイドは無言のままグラスの中身を飲み干した。両手でグラスを握りしめる。グラスは割れはしないものの、かなりの力を入れていた。 自分の過去に戻ったのは久々だった。 忘れていたわけではない、忘れられるわけがない。 時間が経っても、あの時の光景は昨日のことのように鮮明に残っていた。 「気分を悪くしたみたいね?」 過去に戻る前に、呼び止められたような気がした。 「いや、そうでもないさ」 両手に入れていた力を弱めると、時計をみる。かなりの時間が経過していた。 さすがに雨も止んだだろう、そう思い席を立つ。 財布からお札を出すと、カウンターに置いた。 「彼女の分も入っている」 「ありがとうございました」 店のマスターはただ頭を下げる。彼女はエイドを見た。 「悪いがおごらせてもらうぞ」 店を出ようと出口へ向かうエイドに、彼女は言った。 「まだお互い名前を聞いてなかったわね?」 立ち止まり振り返る。彼女もこちらを向いていた。 「……エイド」 「私はソニア、縁があったらまた会いましょ」 彼女がそう言葉を投げた時には、既にエイドの姿はなかった。 あとがき 前回がACの戦闘シーンだったので、逆に今回は戦闘シーンなしで書きました。 次回は戦闘シーンの予定です。 こういう人間同士のやりとりは好きな反面、表現力(?)がついていかない感があります。 日々是精進ですね。 |