Episode1
『時間よ、止まれ』

 レニングラード攻防戦から半年経って、ようやくインディペンデンスは壊滅した。レニングラードでフリーマンが死亡し、指導者を失ったとはいえ、インディペンデンスは戦いを続けていたのだ。しかし、自戦力の大半が失われていたためほとんどの作戦をレイヴンに頼ると言う状況だった。それは企業連合側にも言える事で、四月以降の戦いはレイヴンによる代理戦争と化した。

 その結果として、多くのレイヴンが死に、生存しているレイヴンは三十名あまり。その大半がランキングに入っているレイヴンだ。

 インディペンデンス紛争が集結した後、大企業三社は単独では今までと同等の勢力を維持できないと判断。O.A.Eを中心として新たな統治組織であるEnterprise Administration(略称;EA)を結成し、戦後処理に当たった。その手際は見事なもので、すぐに紛争前と大して変わらない状況になった。

 しかし、唯一、大きく変わってしまったことがある。レイヴンズアークが解体されたのだ。紛争が終わり、簡単に言ってしまえば平和な状態になったわけだ。そうなると、あまりに戦力を持ちすぎているアークが危険視されたのも当然のことだろう。レイヴンズアークは解体された。

 だが、ただアークを解体しただけではレイヴンに叛乱を起こされる可能性もある。それを回避するため、企業はレイヴンを軍に引き入れた。安定した収入と、アークの代わりにアリーナを開催することを条件にすると、多くのレイヴンが企業に所属した。

 しかし、全てのレイヴンが企業の傘下に入ったわけではない。反発するレイヴンも数多い。そういったレイヴンは、元ランキング二位の柔を筆頭に武装集団、リメンバーアークを結成し、レイヴンによるレイヴンのための世界を作るためにEAに対して宣戦布告、バルカンエリアに新たな戦乱が起こった。

 だからといって、セヴンの日常に特にこれといった変化は無かった。安定した収入を求めて企業に入ったが、今までと大差ない生活が続いている。リメンバーアークとの間で紛争が起こってはいるものの、大した戦闘は無いし、仕事が来ても拒否する事だって出来る。レイヴンズアークにいた頃と大して変わりのない生活だ。

 朝起きて、食事を摂って、孤児院に出かけて子供達の相手をして、そこで昼食と夕食をご馳走になって帰って寝る。それが今のセヴンの日常だ。戦いとは全く無縁な、平穏な暮らしが四月以降、ずっと続いている。

 幸福とは、正にこういうことを言うのだろうと思う。平穏で、何も変わらない日常がずっと続いていく。ある意味では、奇跡的なことでもある。

 その日の朝も、セヴンは朝食のバタートーストを齧りながら今朝の新聞を流し読みしていた。一面には、リメンバーアークのACがEAのMT部隊を一つ壊滅させたというニュースが載っていた。そのニュースの詳細も読んでみたが、一面に載る割には大して戦局に影響は無さそうだ。

 朝食を終えて、孤児院へと向かう。いつもと変わらぬ日常を求めて。

 愛車で孤児院へと向かう途中、今日は子供達に何を教えようか。何を教える、といっても勉強を教えるわけではない。セヴンが教えることといえば、格闘技ぐらいなものではあるが、心身の鍛錬にはちょうどいいため意外と先生達からの評判もいい。それに、格闘技は護身術として使えるというところも大きい。

 子供達の中には、レイヴンになるにはどうすればいいのか、ACの操作を教えて欲しいという子も多いが、セヴンはACに関連することは全く教えていない。レイヴンになりたがる子供達の多くは、戦火で親を失った子達ばかりだ。レイヴンになりたい理由を聞けば、親の仇を取りたい、というのが大半を占める。未来ある子供達の選択肢を狭めたくは無い。憎しみに頼って生きて欲しくない。憎しみに頼って生きれば、ろくな人生をおくれないし、何より人間として最も大事な物を失う事になる。

 仮に、人として大事な物を失わずに済んだとしても、その先にあるのは苦しみだけだ。今の自分のように、殺さねばならない、けれど殺したくない、という現実と理想の板ばさみに合って苦しむ事になる。

 何にせよ、人が人を殺すというのは、自分すらも殺すことだ。人を呪わば穴二つという諺があるが、これも似たような意味だ。


***


 孤児院から約一キロメートルほど離れた有料駐車場に車を停める。車外に出て空を仰げば、澄み渡った青空をバックに、幾つかの綿雲がプカプカと気持ち良さそうに浮かんでいた。

 セヴンが歩き出すと同時に、十月のこれから訪れる季節の厳しさを思わせる風が吹き、ジャケットの裾を揺らした。

 買い物袋を抱えた主婦、これからどこか遊びに行くのであろう子供達、通りを歩くだけでも今が平和であることが肌で実感できた。争いがないということは、それだけで幸福なことだ。

 しかし、果たして自分はこの平和な世界が来るきっかけを作れたのだろうか。インディペンデンス紛争中は、ただ早くこの紛争を終わらして、平和な世界を築く、という理想があった。だから、戦えた。だから、人を傷つけることに耐えれた。全ては平和な世の中での暮らしを、何の変哲も無い、傷つくことも傷つけることも無い日常を手に入れるために。

 平和のために戦えたのかどうかの疑問は残るが、少なくとも望んでいた物を手にすることは出来たのだ。経過はどうあれ、結果よければ全て良しとしよう。変に何かを考えてしまえば、今の楽しみを減らしてしまうだけだ。それはもったいない気がした。

 そう考えて、セヴンは首を振った。もったいない? 何が? これから好きなだけ、嫌というほど手に入れれるようになっているのだ。もったいない、など考えること自体がもったいない。

 自然と、セヴンの表情に笑みが浮かぶ。孤児院まで後少し、さて、今日はどんな一日が待っているのだろうかと思いながら孤児院の門をくぐった。手狭に見えるグラウンドではサッカーをしている子供達の姿が見えた。そのすぐ側では、ソフィアがサッカーに興じる子供達を見ながら微笑んでいた。

 ソフィアがこちらに気付き、軽く会釈した。それに応え、中に入ろうとしたとき、子供達の歓声に混じり、聞きなれた音が聞こえた。聞きなれているだけあって、その音の正体はすぐに分かる。輸送ヘリのローター音だ。

 空を見上げれば、長方形のコンテナを腹に抱えた大型の輸送ヘリがゆっくりと低空で飛んでいた。子供達もローター音に気付いたのか、グラウンドで遊んでいた何人かはセヴンと同じように空を見上げた。

 住宅街の上空に輸送ヘリが飛ぶこと自体はそう珍しいことではないのだが、いかんせん低空過ぎる。騒音の問題もあり、住宅街の上を通過するときは限界高度近くまで飛ぶことが普通になっている。それに、輸送ヘリが抱えているコンテナだが、どうも通常の輸送に使われる物とは違うようだ。

 不意に、嫌な予感がした。輸送ヘリが抱える長方形のコンテナは、ACが一体すっぽりと納まるサイズだ。それに気付くと、急に、そのコンテナが禍々しい物に感じる。根拠は無い。強いて言うならば、戦場に長くいる者の勘とでもいおうか。

 輸送ヘリが空中で制止した。何故、と思った次の瞬間にコンテナが開いた。その中から一体のフロート型ACが現れた。ハスターのロードビヤーキーだ。しかし、一体こんな住宅街で何をするつもりなのだろうか。

 ロードビヤーキーは着地すると、カメラアイを輝かせて武器を持った両手を横に広げた。

「伏せろっ!」

 叫んでからその場に伏せた。ロードビヤーキーはその場で回転しながら、全ての武器をとにかく、狙いも付けずに撃ちまくった。爆音が聞こえる。孤児院は、孤児院は大丈夫なのだろうか。

 孤児院の状況を確認しようと起き上がった。伏せている子もいるが、中には何が起こっているのか分からず泣き喚く子が大半だ。とにかく、何とかしなければと走り出そうとした。

 視界の端に、ロケット弾が見えた。

 時間よ、止まれ。

 だが、無情にもロケット弾は動きを止めない。真っ直ぐに、グラウンドを目指している。

 せめて、不発であってくれ。

 グラウンドにロケット弾が落ちる。弾頭が地面に減り込んでゆくのが見えた。ソフィアを含め、グラウンドにいる全ての人間は何が起こっているのかすら分かっていない。

 体は勝手に頭部を守ろうとした。

 全身を衝撃と熱が襲った。何とかその場で踏ん張ろうとするが、吹き飛ばされて、背中から激しくアスファルトに叩きつけられる。激痛で一瞬、目の前が真っ白になる。が、それも本当に束の間。

 体が軋んでいるが、そんなものはお構い無しで立ち上がり、孤児院の状態を確認する。

 見なければ良かったと思った。

 惨状、ただそうとしか言いようが無い。何故、自分に怪我が無いのかが不思議だった。孤児院の建物は全壊。グラウンドにはクレーターのような跡と遊具の残骸があるだけで、他には何も無い。

 自分の意思とは無関係に、体はおぼつかない足取りでグラウンドの中心に向かう。グラウンドを見渡すが、あるのは――そこで理性が現実を理解することを拒んだ。しかし、体は理性を無視した。

 グラウンドに零れているペンキが何なのか、無造作に転がる物が何なのか、それら全てを脳は理解した。

 体の中で、何かが音を立てて崩れた。

 何のために、何のためにここまで来たんだ。

 平穏を手に入れるために戦ってきたのではなかったのか。平穏のために、自らを傷つけることも恐れなかったのではないか。

 だが、目の前のこれは何だ? 今までの努力は何なのか?

 ロードビヤーキーを見れば、既に撃つのを止めて佇んでいた。セヴンには、その姿がどこか満足げに見えた。

 やけにゆっくりとした動作で、ロードビヤーキーは両腕を下ろした。その後、戦果を確認するためなのか、一度だけグルリと回転するとどこかへと去って行った。

 何のために、ハスターはこんな虐殺行為を行ったのか。いや、ハスター側の理由などどうでもいい。大事なのは、ハスターが、レイヴンが虐殺を行って、大事な物を奪って行ったという事実だ。

「レイヴン……」

 呟くと、自分の中で何かが切れる音がした。今まで決して切れなかった理性の糸が切れる音だ。殺さなければ殺される、戦場では当たり前の法則に今までは理性だけで耐えてきた。やられそうになったとき、やってしまえばどれだけ楽か、死ぬかもしれない恐怖から開放されれればどれだけ楽になれるだろうか。そんな誘惑に駆られながらも今まで耐えてこれたのは、理性があったからだ。理性が一線を越えないように耐えていたからだ。

 しかし、その手綱が今切れた。

 世界の色が変わった。

 不殺主義などただの理想でしか有り得ない。本当に守りたいのなら、殺せばよかったのだと思い知らされた。今から後悔したところでどうにもならない。だったら、これから実践すればいい。

「く、くくくく……ハハッ――」

 狂気に満ちた笑いがセヴンの口腔から漏れる。

 簡単なこと、自分が望む物は殺さなければ手に入らない。ならば殺そう。
 この世にいる、全てのレイヴンを。

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