オトラントの幽霊

『オトラントの幽霊』

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 静脈の位置を探り当てるとレオニスは躊躇うことなく注射器の針を差込み、中の液体を己の体内に注入していった。注射器の中に入っているのは麻薬だ。軍用向けに開発されたものであり、依存性はほぼ皆無といっていいものだが全く無いわけではなく、この薬を使用したせいで中毒になった兵士やレイヴンも数多いらしい。

 出来ることならばレオニスも使用したくはないが、薬に頼らないとこんな仕事はやっていられない。気がおかしくなりそうだ。いつ死ぬか解らないというのもあるが、一番は誰かを殺すことに耐えられない。

 機械に乗っていれば大したことは無いだろうと言われることもあるが、ACに乗っているからといって人を死ぬ瞬間を見ないというわけではない。通信機は常に敵の通信も拾っているし、その中には断末魔の叫びだってよく聞こえる。撃破した後の敵機を見ればそこには襤褸切れのようになった死体が残骸に挟まっている時もある。

 それにだ、生身でACに立ち向かってくる人間だっているのだ。彼らから与えられる損耗など微々たるものだが、かといって無視できるかといえばそうでもない。小さなダメージだって、蓄積すれば致命傷になる。よって、生身の彼らに向かってあまりにも強大な兵器を使用せねばならないときだってある。踏み潰すこともある。

 踏み潰した感覚は流石に伝わってくることはないが、だからといって嫌悪感が薄れるわけではない。踏み潰したことには代わりが無いのだし、時には脚に人の血や脂が僅かではあるが残っていることもある。

 死ぬか生きるか、殺すか殺されるか。戦場にあるのはこの二つだけ。加え極度の緊張、ストレスが体に圧し掛かる。何かの支え無しにはやっていけない。時折クスリを使っていないレイヴンを見ると、彼らは一体何故耐えられるのかレオニスは不思議で仕方がない。

 時折、レイヴンという仕事を辞めたくなるが莫大な報酬を目の前にするたびにその気が失せる。今のところ精神疾患などの兆候も見られないし、辛いといえば確かに辛いがどんな仕事についたって苦しみは必ず訪れるのだ。今まで続けてこれているところを見ると、何だかんだで自分にはレイヴンという職業があっているのではないかと思う時がある。

「レイヴン、そろそろ出撃だ。よろしく頼むよ」

「了解」

 クレスト軍からの通信に答えると、格納庫のシャッターが開いた。まず三機のMT85Bが先行し、その後に三台の輸送車が縦になって続く。そして最後にレオニスの駆るACエルダーサインが殿を務める形になる。

 ブーストを使うほどの速度で移動するわけも無く、ゆっくりとした歩調で荒野を進んでゆく。景色はほとんど変わることは無く、定時連絡を除けばMTパイロットや輸送車の運転手も言葉を交わそうとはしない。通信の傍受を恐れてのことなのだろうが、いささか退屈であるには変わりない。

 クスリで興奮しているせいなのか、今のレオニスは刺激を求めていた。いけないことだとは思いつつも、どこかで求めている。これも充分に薬の副作用と言えるのではないだろうか。

 前を行くMT三機と三台の輸送車。レオニスに与えられているのは、三台の輸送車のうち少なくとも一台を送り届けろというものである。つまり二台までは破壊されても問題ないということではない。一台でも辛うじて成功というだけで、一台ごとに報酬が大幅に引かれることになる。そうなれば、必要経費と差し引いた時に赤字となるのは確実だ。

 それでも刺激、戦場であるこの場合は戦闘行為を求めてしまうのは薬のせいだ。軍用のものだから仕方がないとはいえ、戦闘意欲を向上させすぎではないだろうか。それとも、これは普段出てこないレオニスの潜在的な意識なのだろうか。だとしたら空恐ろしいことではあるが、何を今更といった気もする。戦場での恐怖を感じたくないのなら、そもそもレイヴンなどやっていられるはずがない。

 そういえば、結局のところクレスト士官がゴーストと呼んでいた存在は何なのだろうか。あの写真を見る限りでは、正体不明の自称レイヴンが言っていた機体と合致する気がする。ゴーストと呼ばれた機体はレオニス――つまり大多数のレイヴンが――が見たことの無いパーツで構成されていた、しかも色は白。

 だが自称レイヴンはその機体の事をデスサッカーと呼んでいた。名前を知っているということは何かしらの情報を得ているのだろう。クレストがゴーストというコードネームを付けた機体とはどのような関係があるというのだろうか。何も無いのか、それともクレストが情報を得ていないだけなのか。その線は非常に考えづらい。三大企業のうちの一つであるクレストが、脅威となるような存在の情報が無いというのは考えられない。

 それとも、呼び名が違うだけでどちらも同じ存在なのか。頭が混乱しそうになってきたため、レオニスはここで考えるのを止めた。何だって構わない、危険な存在ならそれはそれでいい。問題はそいつと遭遇した時にレオニス自身が生存できるかどうか、ただそれだけだ。

 ゴーストと呼ばれる機体と自称レイヴンが言っていたデスサッカーが仮に同一のものだとしておこう。それがどれだけ危険な存在と言われていたとしても、ACとほぼ同等ぐらいの性能だろう。写真を見た限りではACとサイズはほぼ同等だ。となると、搭載可能な武装にも制限がかかってくる。となると、最先端技術を駆使されているACと性能はほぼ同じとなると考えていいだろう。若干向こうの性能の方が上かもしれないが、操縦の腕次第で何とかなるレベルだろうから脅威となるほどではないはずだ。

 そのぐらいのことクレストが分からないはずは無いのだが、何か隠されているのだろうか。何にせよ、新型兵器だとしたら早々戦場には投入してこないと思われる。企業が開発しているのならば、今回の場合どこも襲撃してくることはないのだ。キサラギとは今回限りであるが協定を結んであるし、取引先のプロフェットが攻撃を仕掛けてくるはずは無い。唯一可能性のあるミラージュだが、彼らの勢力地は遥か彼方。こんなところまで襲ってくるとは考えづらい。

 襲ってくる部隊はいないはず、だというのにACを雇うというのはどういうことなのか。まさかこれは嵌められているのか。レオニスの考えがネガティヴな方向に傾きだした時、レーダー画面に変化が起こった気がした。注視してみるが、映っているのは友軍の反応だけだ。綺麗な編隊を組みながら移動している。

 その時、二時方向に赤い点が一つだけ映った。それが示しているのは敵がいるということ。レオニスの全身が緊張で強張った、それも一瞬。次にはもう赤い点、敵の反応は消えていた。しばらく経った時、また反応が現れ、そして消えた。距離は先ほどよりも近付いている。これはレーダーの故障なのだろうか。ECMを使われたのならばノイズが出るはずで、それが無いということはECMでない証拠だ。

 では本当にレーダーの故障なのだろうか、まずは目視で確認してみたが怪しいものは見えなかった。念のため、クレストMT部隊の隊長機との通信を開き聞いてみたが、返ってきた返事は「レーダーの故障」とのことだった。だが本当にそうだろうか、友軍の反応は消えずにずっと映っている。映らなかったりするのは敵の反応のみだ。

 何かが起こっている。レオニスのレイヴンとして培ってきた勘が、何かを訴えている。これは良くない兆候だと。何かが来ていると。だが一体何が来ているというんだ。敵の反応はどうなっている。もう一度目視で確認すべきと、カメラを二時方向に向けた。

 モニターに映ったのは白いACだった。脚部はタンク型のように見えるが、砂塵を巻き上げているところを見るとフロート型だろう。右手にはライフル、デザインから察するにエネルギーライフルだろうか。左腕にはブレードらしきパーツ、肩には両肩武装のキャノン砲らしきもの。頭部が無い様に見えていたが、それは真っ黒に塗られていたせいで夜闇に紛れていただけだった。


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 間違いない、今モニターに映っているのはゴーストと呼ばれた機体だ。何故ここにいるのだろうか。

 モニターに映るゴーストは、両肩の砲身を展開させた。砲身の間に放電現象の様なものが起こっている。そこにエネルギーが溜まっているのは明白だった。二連装式のキャノン砲だと思っていたが、違ったらしい。

 砲身の間に溜まったエネルギーが放たれた。威力はどのぐらいあるのか分からないが、直撃したらまずいことになるに違いない。ロックオンされている様子は無かったが、レオニスは回避するためにブースターを使って後退していた。

 ゴーストが狙っていたのは輸送車両だったらしい。放たれたエネルギー弾は縦に並んでいた三台の輸送車のうち、真ん中を走っていた輸送車に直撃した。直後、大爆発が起こった。モニターが白で埋め尽くされ、衝撃がコクピットにまで伝わってくる。幸いにして損傷は無かったが、輸送車両の走っていたところにはクレーターが出来ていた。

 輸送車両の残骸は無い、代わりにMTの残骸が周囲に散らばっていた。エルダーサインは爆心地から距離を取っていたために巻き添えを食らわずに済んだが、MT部隊はそうでなかったようだ。全滅と思っていたが、運の良いことに一機だけMTが残っていた。それも隊長機。MTであるがために戦力としては期待できなかったが、まだ味方がいるだけで心強かった。

「レイヴン、何が起こったか分かるか?」

「こっちが聴きたいぐらいだ。ただ言えるのは、あの白くてごつい所属不明機がやったってことは確かだ」

「ゴースト……」

 MT部隊隊長が呟いた。レオニスの背筋が粟立つ。このエネルギーキャノンの威力は有り得ない、ACサイズの武器でどうやったらここまで破壊力を得られるというのだ。一体、どのような技術革新があったというのだ。

「ところで隊長さん。輸送車がやられたってことはミッションは失敗だよな?」

「あぁ、そうだ」

「ってことは、逃げても良いということだよな?」

「……確かに、そういうことになるな……」

 通信機のマイクに拾われないように気をつけながら、安堵の溜め息を吐いた。モニターを見る限りではゴーストと呼ばれた機体とは距離がある。何故かは分からないが、さっきのキャノン砲を撃った位置から動いていなかった。マシントラブルだろうか。理由は何であれ、今なら逃げられるチャンスがあるということだ。

「それでは、エルダーサイン撤退するぞ」

「了解した……」

 隊長機からの通信を聞くや否や、レオニスは機体を反転させてアクセスペダルを勢いよく踏み込んだ。逃げるのならば今しかない、可能な限り距離を取らねばならない。あれだけ強力な装備を持っているのだ、重量だって相当あるに違いない。フロート型脚部のようだったが、きっとエルダーサインの方が早い。

 背後で爆発音が聞こえた。距離は割りと近い気がする。何が起こっただろうか。いや、考えるな。あの所属不明機は射程距離が長かった、きっとMT目掛けて一発撃ち込んだのだろう。それであのMTが撃墜されかは確認していないため分からないが、既にレオニスは戦闘区域外に出ている。流石にもう追ってくることはあるまい、そう考えて速度を落とした。本来ならばここで機体を通常モードに戻すところだが、レオニスはあえて戦闘モードのままにしておくことを選んだ。

 コクピット内に警告音が鳴った。エネルギーが切れたのかと思ったが、ブースターも使用していないのにエネルギー切れが早々簡単に起こるわけが無い。コンソールパネルを見れば、そこには『LOCKED』の表示が出ていた。

 いつの間に、と思いながらもレオニスは回避行動を取りにいく。どこから狙われているか解らない以上、前後左右どこに逃げればいいのか一瞬戸惑う。全身に寒気が走った。前後左右の四択のうち、どこに逃げればいいのか分からない。

「だったら……!」

 エクステンションに装備しているマルチブースターを使用し、同時にブースターも使用。一瞬で上空へと飛び上がった。急激なGに内臓が揺さぶられ、強烈な吐き気に見舞われたがここで吐くわけには行かない。頭部カメラを下に向ければ、エルダーサインのいた場所を青いエネルギー弾が通過していった。

 空中で機体を反転させてから着地。いつの間に近付いてきたのか、正体不明機がエルダーサインの前に立ち右手に持ったライフルを向けていた。コンソールパネルには『LOCKED』の表示が出たままになっている。

 正体不明機の背後彼方には、真っ二つにされたMTの姿があった。

「おい、貴様の所属はどこなんだ? 答えろ」

 妨害電波でも出ているのか、通信機からはノイズが流れるだけで、正体不明機からの返答は無かった。ちらり、とレーダー画面を見れば目の前にいる機体の反応は出ていなかった。一体、コイツは何ものなのだろうか。確かにここにいるが、レーダーには映らない。これでは本当にゴーストではないか。

「カ……ャ……ュ……ラー……ハ、イ……ジョ」

 機械的な音声が通信機から流れた。ノイズが多く混じっており、しかも機械的であるために細部まで聞き取ることが出来なかった。だが、これだけは聞こえた。排除、と。

 途端、レオニスは息が詰まった。空気が変質したような気がする、黒く粘着質のコールタールのようなものに変化した気がする。空気が変質するなどということは有り得よう筈も無い。よってこれはレオニスがそう感じているだけ。つまり、正体不明機が発する殺気のせいに違いない。

 レオニスとて一端のレイヴンで、それなりの数の戦場は経験しているアリーナ、実戦関係なしに何人ものレイヴンと戦ってきたことがある。中には思わず萎縮してしまうほどの殺気を放つやつもいた。だが、今目の前にいる正体不明機から放たれている殺気はあまりにも異質すぎる。

 体に纏わりついて離れない、粘着質の殺気。レオニスは悟った、こいつからは逃げられないと。実力も、機体性能も段違いすぎる。勝てるわけが無い、こいつと戦えば負けるしかない。だから逃げるしかない。しかし逃げられるのか、こいつから?

「ハ、……イ……、ジ……ョ」

 また通信機から声が聞こえる。途切れ途切れではあったが、排除と確かに言っている。向こうはやる気だ。どうする、と考えている暇も無かった。正体不明機は両肩の砲を展開、二本の砲身の間に放電現象の様なものが起きる。

 咄嗟にオーバードブーストを発動、右前方に機体を跳躍させた。巨大なエネルギー弾がエルダーサインの左側面を通過しようとする。避けきれると思ったが、正体不明機が照準を合わせてきていたらしい、エルダーサインの左腕が肩の付け根から持っていかれた。

 衝撃でオーバードブーストが解除される。しかも機体は宙に浮いている状態だった、バランスが崩れる。立て直そうにも、片腕を失ってしまった今では出来よう筈も無い。無様にも仰向けの状態で地面に転がった。

 モニターに正体不明機の姿が写る。黒く塗られた頭部が見下すようにレオニスを見下ろしていた。エネルギーライフルの銃口が突きつけられる。歯の根が合わない。こんな至近距離で撃たれたら、助かるはずが無い。このエネルギーライフルの威力は知らないが、ACが装備できるどんなライフルよりも威力があるに違いない。

 死ぬしかない。ここが年貢の納め時らしい。もっと焦るものだと思っていたが、レオニスは冷静に己の死を見つめていた。悔いは無い様に生きてきたつもりだが、最後に家族の顔が浮かんできた。父親、母親、そして姉。特に姉には手を掛けてもらっていたため、先に死んでしまうことに罪悪感を感じる。だが、この死から逃げることは出来ない。それこそ、誰かが助けに来てくれない限りは。

 正体不明機の持つエネルギーライフルの銃口の奥、青い光が見えた。これで死ぬ、レオニスは目を閉じて死を迎える準備を終えた。衝撃が来る、意識が吹っ飛ぶ、そう思った。だがレオニスの意識は飛ぶことなく、全身の感覚も確かにあった。

 眼を開ける。モニターに正体不明機の姿は映っていなかった。代わりに、黒と緑に彩られた二脚型のACがライフルを構えた状態でそこに立っていた。

 この黒と緑の機体には見覚えがあった。Aアリーナのランキング一五位に位置する、マッハのストレートウィンドBだ。しかし解せない、何故彼がここに来るのか。レーダーを見れば、ストレートウィンドBは敵として識別されていない。つまり彼はこちらに敵対する気は無いということか。何にせよ、今のうちに起き上がらねばならない。

 エルダーサインを起き上がらせるとエネルギーライフルを構えてストレートウィンドBと対峙する正体不明機の姿が見えた。隣に立つストレートウィンドBから通信が入る。

「そこのレイヴン、機体は動くか? 動くんならさっさと逃げろ、せっかく助かった命なんだ。大事にしないとな」

 何が起こっているのかは分からないが、マッハはレオニスを逃がそうとしてくれるらしい。この場面で助っ人が現れるというのは願っても無い事態だ。生きたいのならば、彼の申し出を素直に受け入れるべきだ。レオニスは謝礼を述べて、ブースターを噴かすためにペダルを踏み込もうとして、止めた。その前に彼に言わねばならないことがある。

「あんたあの機体と戦うのなら絶対にや――」

「黙れ! 俺はあいつにどうしても返してやらなきゃならない借りってのがあるんだ。他人のあんたが口出すんじゃねぇよ」

「あぁそうだな。ありがとう」

 早々にこの場を立ち去るためレオニスはオーバードブーストを起動させた。片腕が無いためバランスを取るのは難しかったが、何とか倒れることなく戦闘区域外へ脱出することに成功した。機体を通常モードに移行させて、背後を振り返れば正体不明機とストレートゥインドBの戦闘が繰り広げられていた。

 マッハには悪い気がしたが、レオニスにはどうすることも出来ない。それほど正体不明機とエルダーサインとの性能差があった。いや、あの正体不明機に勝てるACなど存在するのだろうか。早く撤退せねば流れ弾が飛んでくる危険性がある。正体不明機とストレートウィンドBが戦っていたが、命には代えられない。

 レオニスは後ろを振り向くことなく、撤退した。

登場AC一覧
エルダーサイン(コル=レオニス)&Le0cwb002z080wE0cBo0E70aoa23zaeTME005Vd#
ストレートウィンドB(マッハ)&LE005c002zw00Ewa00s0E42woa29Y1ewws0sd34#

あとがき
長いなこれ……まぁいいや。それよりも、マッハの相方どうしようかと悩む今日この頃。ミカンさんが死んでることになっちゃってるので、出せない……アルテミスとは絶対にコンビ組まないだろうしネェ。前はベアトリーチェとだったけど、今回はどうしようかねぇ?

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