『戦女神 後編』

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 心臓の鼓動が高ぶったまま止まらない。まだ出撃すらしていない、簡易ハンガーに固定されたイグジスファントムのコクピットの中で、ファクトは肩を両手で押さえていた。どうやら薬を飲みすぎたらしい、嫌な汗が流れて止まらない。

 副作用としてのフラッシュバックも起きているのか、ちらちらと赤い左腕が見えている。それでも止まるわけにはいかないのだと、通信回線を開いて移動司令室となっている装甲車との通信回線を開いた。

「こちらファクト……機体に異常は無い。いつでも出撃できるが、どうする?」

「了解したレイヴン。今すぐにでも出撃してくれ」

「あぁ、じゃあすぐに出る。機体の開放を頼む」

 緊張しているにも関わらず、半ばルーティンワークと化しているやり取りだけは澱みなく行うことが出来た。これもそれなりの年季がなせる業だろうかと、余計なことを考えつつも操縦桿を握りペダルに足を掛ける。

 拘束具から開放される瞬間の独特な金属音が聞こえると、頭の中でスイッチが切り替わったような気がした。嫌な汗もピタリと止まり、あれほど高鳴っていた心臓の鼓動は既に落ち着いた。フラッシュバックも無い。

 これもまた今やベテランレイヴンとなっているからこそなのか。大抵のレイヴン相手ならば、勝てるという確信がもてたのだろうが、何せ相手はレッドレフティだ。どうしても負けるイメージしか湧いてこない。この時点で既に勝敗は決しているのだが、それでも尚逃げようとは思わない。戦おうと思う。

 そして勝たねばならない。ファクトの中にある最大の壁こそがレッドレフティであり、彼女を超えないことには先へと進めないのだ。

 機体を一歩前へと踏み出させ、深く息を吐いた。ミラージュのことだから、既にこちらの動きを補足していることは確かである。向こうの考えとしては、イグジストファントムにはレッドレフティをあて、MTを初めとした機甲部隊で企業解放戦線の野営地を狙うであろう事は目に見えていた。

 いくら企業解放戦線が小さな組織であるとはいえ、ミラージュほどの大企業ともなれば面子もある。どれだけ小さなテロ組織であろうとも、牙を剥かれたのならば徹底的に叩かねばならないだろう。むしろ小さな組織であるからこそ問題なのか。

 クライアントとはいえ、企業解放戦線がどうなろうとファクトの知ったことではなかった。大事なのはレッドレフティと戦い、倒すことでありクライアントの意向にそうことではないのだ。彼らからしてみればミラージュからも守って欲しいだろうが、そうならもっと別のレイヴンに依頼を出すべきだった。

「さて、と……」

 一言、意味の無い呟きを漏らしてからペダルを踏み込みブースターに火を灯す。まだ足元ではテロリスト達が作業をしていたはずだが、彼らがどうなろうがファクトの知ったところではない。ファクトが見ているのは、黒いAC。左腕だけを赤く塗られた、イリス。そして、その機体を駆るレッドレフティだけが興味の対象なのだ。

 企業解放戦線から苦情の通信が幾度か入ってきたが、ファクトはそれら全てを無視し一直線にミラージュの基地を目指した。イリスが出てくることだけを待ち望んでいる。

 早く、早く出て来いと気ばかりが焦っていた。機体の動きがのろく感じる。焦ったところで仕方が無いのは百も承知なのだが、どうしても焦らずにはいられない。バルカンエリアでは約一年に渡り戦い続けていたというのに、レッドレフティとの交戦はたった一度だけ。通算でも二回、そして今日が三回目となるのだ。

 必ず倒すと、改めて決意してペダルを踏み込む足にさらなる力を込める。とはいえ、機体は今限界速度まで出ているためにこれ以上の速度は出ない。それがまた一層、ファクトをいらだたせるのだが、その苛立ちの中にありながらもファクトは違和感に気づいていた。

 既にミラージュ基地は視認できる距離に近づいている。にも関わらず迎撃が来ない。

 補足できていないことは有り得るはずが無い、ECMは使っていないしそもそもステルス機能などこの機体には存在しないのだ。迎撃が来ないというは有り得ないことであり、これは待ち伏せされていることを疑った方が良い。

 焦りは既に彼方へと消し飛び、危機感が飛来してきた。

 ブーストペダルから足を離し、左腕のライフルを構え右肩のグレネードランチャーを展開させる。レーダーに目をやるが、そんなものが当てにならないことは乗り手であるファクトが一番良く知っていた。頭部レーダーだけでACを補足するなど無理がある。接近してきているのかどうかを知るには良いが、位置まで把握できると思ってはいけない。

 当てに出来るのは、感覚の目とでもいうのか、いわゆる気配である。

 いつの頃からかは分からないが、相手の殺気が感知できるようになっていた。その気配が人によって違うことも分かる。あるものは炎のように熱く、あるものは氷のように冷たい。それが何故なのかは分からないが、その気配が、あるいは温度が変化するたびに動くようにすると不思議と回避行動が取れていたり、命中弾を増やすことが出来るのだった。

 きっとレッドレフティも同じことが出来るのだろうと思う。

 かといって今彼女と同じ位置にいるのかといえば、きっとそうではないはずだ。でなければ二度目の、バルカンエリアで彼女に負けた理由が分からない。

 感覚の腕を伸ばして足を止め、周囲を見渡すのだが動くものは何一つとして見当たらない。それが不安を煽り立てる。もう一度念入りに見渡した後、何か事情があって補足されてはいないのかもしれないと考えまた機体を走らせ始めた。

 直後、背後から立て続けの衝撃が加わる。その感触からマシンガンの連射を浴びせられたのだと判断しながら、イクシードオービットを射出し機体を反転させると同時に左肩のチェインガンを展開させてトリガーを引いた。

 狙いはつけていないし、敵の姿を捉えていない。だがこれは牽制だ、奇襲を貰ってしまったのならばこれ以上相手のペースに嵌らないようにしなくてはならなかった。そのためにも距離を取る必要がある。幸いにも損傷は大きくなく、戦闘に支障が出るレベルではない。

 イクシードオービットとチェインガンの連射を終えた後のモニターには、一機の黒いACが映っていた。右手にはマシンガンを、肩にはレーダーとパルスキャノン。そして赤く染められた左腕にはグレネードライフルを持つAC、今までファクトが出会うことを待ち望み続けてきたイリスの姿がそこにあった。

 唇が歪む、ファクトは雄叫びを上げると同時にグレネードランチャーを放つ。軽やかな動きで上昇するイリスの動きを目で捉えながらチェインガンの照準に黒い機体を収める。

 ACは飛行を目的とした構造をしていない、短時間での飛行そして滑空ならば問題は無いが上昇すれば必ず降りる瞬間が来る。狙うべきはそこだ。

 イリスから放たれるパルスキャノンとマシンガンの雨を避けながら、どうにもおかしいなと思うのだが、それが何なのか分からず回避行動を取る。相手の動きに合わせた機動を行っているはずなのだが、至近弾が多い。命中弾は少ないものの、避けきることが出来ないのだ。多くのレイヴンと銃火を交えてきたが、こんな体験は初めてである。

 黒いACの動きを見逃さないようにしつつも、あらゆることを推測する。そして答えはすぐに出た。

 レッドレフティの動きが、ファクトには感じられないのだ。神経が焼ききれそうなほどに集中するも、何も感じることが出来ない。動きながらもあらゆる考察を行う。あれはレッドレフティの動きを行っているだけのAIではないかという荒唐無稽なものまでも考えた。その中で最も信憑性のおける仮説、というよりかはむしろ事実だろうが、レッドレフティの技量はファクトの遥か上を行くということではないのかということである。

 冷や汗が流れた。こうしている間にもマシンガンとパルスキャノンはイグジストファントム目掛け放たれ、避けているにも関わらず至近弾・命中弾のオンパレード。そのうちに致命的な一撃を貰ってしまうのは目に見えていた。だがどうしろというのだ。全てにおいて違いすぎる。

「なんなんだよ、なんなんだよお前は!?」

 ファクトが叫んだ時、イリスの脚が地面に着いた。黒い頭部から覗くカメラがイグジストファントムを捉える。

「ただのレイヴンだ。それ以上でも、それ以下でも。無い」

「嘘吐けよ……何なんだよ一体……この、この化け物がぁ!」

 そう叫ぶと共に頭の中で何かが切れた。思考回路は停止して、目の前にいる黒いACに向けて射撃武器を展開する。レーザー、ライフル、チェインガン、グレネード。あらゆる種類の銃弾がイリス目掛けて飛来し、着弾し、炎と煙と閃光の三重奏を奏でた。その中から黒いACが飛び出す。

 背部からはオーバードブースト特有の燐光を発しながら。装甲に多少の損傷は見受けられたものの、どれもが掠り傷程度のものである。この事実に愕然としたファクトは顔が歪んでいくのを感じた。

 イリスが高速で接近してくるに従って顔の歪みは進行し、いつの間にやら笑みを形作っていることに気づく。装甲の向こう側から硬い音が聞こえる。モニタ一杯に映っているのは右腕を伸ばしたイリスの姿。弾けるような音が聞こえたと思ったら激しい衝撃と共にコクピットの明りが消えて、ファクトの意識もまた消えた。

登場AC一覧
イリス(ミストレス)&Le000b0003w000A000k00700o02jUtJOOM0lk71#
イグジストファントム(ファクト)&L8000a00030002400aA00500w03zqn9FEQ0o6VJ#

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 イグジストファントムを撃墜したその足で企業解放戦線の野営地を襲撃してからミラージュ基地へと帰還すると拍手で出迎えられた。といっても拍手でアルテミスを出迎えたのは一人だけだったが。

 その男は作業着を着ていたが真新しい物でシミ一つついてはいなかった。今日卸したばかりというのが目に見えており、ただの作業員でないことは目に見えている。眼光も妙に鋭い、研究者の類かと思ったがそれにしては身のこなしが軽い。それこそ、足音がしなかった。

 ヘルメットを脱いで睨みつけてみたが、身じろぎ一つしなければ愛想笑いすら浮かべない。

「何か用か? 仕事は終わったはずだが?」

「えぇ、契約に乗っ取って整備させてもらうだけですよ。ですが次のお話をしたいと思いまして」

「次の?」

「はい。あなたにお頼みしたいことがありまして、付いて来てもらえませんか?」

「とりあえず聞いてみるだけ聞いてみるとしよう」

「ありがとうございます、それではこちらに」

 背中を向けて歩き出した作業服の男の後を着いて行きながら、腰の拳銃の重さをしっかりと確かめた。あまり表ざたにしたくない話があるのは目に見えている。もしかしたら専属契約を結びたいという話だろうか。

 基本的に企業がレイヴンに送るメールはアークを介しているため、専属契約をにおわす内容の話はできない。となるとこういった機会が企業にからしてみればベストということなのだろうが、ミラージュにこれ以上専属レイヴンが必要なのだろうか。

 既に今でもグローリィとミヅキ・カラスマの二人がこのエリア・オトラントにいるし、他地域にはまた他の専属がいるはずだ。となると紛争の起きていない別の地域から呼べばいいことであって、何もここで雇う必要はない。

 格納庫を出ると、今出てきた隣にある小さめの格納庫の中へと招かれた。見た目は格納庫だが、中は研究室のようになっており大型のコンピュータがあらゆるところに設置され、白衣姿の研究員が数名椅子に座りそれぞれにモニタと睨めっこをしている最中だった。

 その研究所じみた格納庫の最奥に、頭部パーツYH12−MAYFLYが置かれている。整備中なのか、あらゆるところにコードを繋いでおり全ての配電盤が露出させられていた。

「話というのは簡単なものでしてね、あの頭部パーツを使ってそのデータを我々に送って欲しいのですよ。いわばモニターですね」

「モニター、ね……」

 呟いてみてじっとMAYFLYを見る。珍しいかといえばそれほど珍しいものでもない。それなりに流通しているものである。だからこそ何故モニターにならなければならないのかという疑問が生じた。

「疑問にお思いのようなので、言っておきますがこの頭部には新システムが組み込まれていてそのシステムの実地テストをしたいんですよ。多少コクピットの回収も必要になりますが、幸いあなたがお使いになられているのは当社のものですから改造は容易に終わります」

「そのシステムというのは? 体への影響を聞きたい」

 ふぅ、と作業着の男は溜息を一つ。

「身体への影響は無いですよ。このTYPE−Uは脳波を感知させてパイロットの思考を機体の動きにフィードバックさせるシステムです、本来はAC用のものではなくMT用のものなんですがね、まずはACでテストするということになりまして」

「そうか、断る」

「いや、あの報酬もそれなりの額を――」

 言葉の最後まで聞き終わらないうちにアルテミスは格納庫の外に出ている。その時、視界の端で慌てて姿を隠そうとする人影を見た。大方産業スパイだろう。

 どうやらこれは一波乱来そうだ。