『プロフェット粛清(1)』
/1 ミカミがその腕の中にアルテミスを抱きながら午睡を貪っていると、サイドボードに置いていた携帯電話がけたたましく鳴り響いた。昨日は夜遅くまで求め合っていたこともあり、眠い目を擦りながら携帯電話をその手に取る。 サブ画面に表示されている名前はバルチャー。贔屓にしている情報屋だ。こちらから連絡を取るのが常であり、バルチャーの方から連絡を寄越してくることなどまずあり得ない。調べものを頼んでいたのならば話は別だが、今は特段欲しい情報も無く仕事を頼んでいたわけでもない。 あり得ないこととは思うが間違い電話ではなかろうかと思い、通話ボタンを押して耳に当てる。 「もしもし、ミカミだが何か用か?」 「良い情報があるんだけどぉ、買わない?」 電話口の向こうから聞こえる女性の声は陽気そうだった。だがミカミはその正反対。好きな女を抱きながら至福の眠りを楽しんでいたところを無理やり起こされたのだ、機嫌が悪くならないほうがおかしい。 「何だよ、こっちは休日でゆっくり寝てたっていうのによそんなことで起こすな」 「あら良いのかなぁ、そんなこと言っちゃって? グローリィの情報よ」 文句を言ってやろうと考え罵詈雑言を幾つも用意していたミカミだったが、それらは全て虚空の彼方へと飛んでいった。 グローリィ、ミラージュ専属のACパイロットであり中量ニ脚ACインテグラルMを駆る男である。彼と初めて出合ったのはバルカンエリアでデスサッカーを倒すためにミラージュ基地へと立ち寄った時だ。その時は企業専属ではあるが、中々好感を持っていた。 しかし、戦場で出会ったときにその好感は敵意となった。その時の彼はミラージュの命令とはいえ、あろうことかメディアに対する攻撃を行ったのだ。これはテロリズムであり、ミカミにはそれが許せなかった。そしてグローリィと交戦したのだが、結果は脚部を破壊されてしまい負けたのだ。 だがその時のグローリィはコアパーツを狙ってミカミを亡き者にすることが出来たのだ。実際にコアパーツを狙われていた、しかしグローリィが行ったのは脚部の破壊。ミカミは見逃されたのだ。それが悔しかった。 レイヴンとは傭兵であるが、兵士でるまえにミカミは誇り高き戦士であった。故にこの借りを必ず返すと胸に秘めてはいたのだが、グローリィ単体の戦力は強大でありある種ミラージュの最終兵器と言っても過言ではない。よってグローリィがどこに配属されているのか、どの地域に出現するのかは厳重に秘匿されており足取りを掴むことが出来なかった。 「グローリィの、何に関する情報だ?」 「お、いつもの声に戻った。グローリィが次に現れる戦場、知りたくない? 知りたかったら、いつもの口座にお願いね」 「分かった、ちょっと待ってろ」 ベッドを抜け出るとパソコンを起動させる。背中にアルテミスの恨めしい視線を感じたが、今はそれよりも優先すべきことがあった。パソコンが立ち上がってすぐに自分の口座にアクセスして、バルチャーの口座に金を振り込む。向こうもチェックしていたようで、ミカミが振込みを終えると同時に電話口から「おっけー」と声が聞こえた。 「確認したんなら、早く教えてくれ」 「えぇ、オマケつきで情報流すから録音の準備は大丈夫?」 「もうしてるよ」 電話口の向こうから深く息を吸う音が聞こえた。 「プロフェットが核兵器を使ったのはもちろん知ってるわよね?」 「知っているさ、企業が粛清を加えようとしていることもな」 「えぇ、その企業の粛清なんだけど……どうも専属ACを使うらしいわ、ミラージュ領に最も近いプロフェットの基地を壊滅させるらしい。プロフェットもその情報をキャッチしているのは確実ね。ここのところの部隊をミラージュ領側に移動させているし、専属パイロットのアンダンテも最前線に移動させたのを確認しているわ。それだけだと戦力が足りないと判断したのか、数名のレイヴンを雇おうとしている」 「ありがとうバルチャー。つまり、プロフェットの依頼を受ければ確実にグローリィと戦えるということか」 「その通り。大した情報じゃないんだけれど、あなたなら喜ぶと思ってね。メールアドレスに私が今現在持っている限りの各企業専属ACの戦闘データを添付しておいたわ。有効利用してね」 「さすがバルチャーだ、いつもながらの良い仕事だよ。これからもよろしく頼む」 バルチャーからの返事は無く、そのまま通話を終える。メールボックスを確認すれば彼女の言ったとおり企業専属ACのデータが送られてきていた。だがほとんどが数値や文章で示されたもので映像は添付されていない。そこまでは入手できなかったのか、それとも別料金ということなのか。 ローレルとグレイトダディのデータも欲しいと言えば欲しいが、ミカミが一番欲しているのはグローリィのデータである。デスクの引き出しを開けて、青いファイルを取り出す。この中に収められているのはミカミが独自に採集したグローリィの戦闘データだ。これとバルチャーから送られたデータがあればある程度の対抗策が取れるかもしれない。 しかし決して過信は出来ない。戦闘データを解析されたぐらいで対抗策が取れるようなパイロットが企業専属になれるはずもなく、インディペンデンス紛争を生き残れたはずも無いのだ。結局は、事前にどれだけ検討したところで徒労に終わるかもしれない。 それでもやらないよりかはやる方が良いに決まっている。資料を広げるとそのままデータの分析に取り掛かった。ここで急に部屋が寒いことに気づき、思わず肩を震わせると背中からアルテミスがミカミをそっと抱きしめる。柔らかな温もりが背中から全身に広がっていく。 「私はミカミのそういうところが好きだ、けれどあんまり根を詰めるな。風邪を引かれたら私も引いてしまうだろう」 「あぁそうだな。悪い」 苦笑いを浮かべながら立ち上がって服を着替える。ミカミの背後で衣擦れの音がする、アルテミスも服を着ているのだろう。これでまた日常が始まるのかと思うと心が重くなった。しかしグローリィを倒すのだと思うと、力強いものが湧き上がってくる。 /2 コル・レオニスはショッピングモールに来ていた。今日は休日であり、プロフェットが核兵器を使用したことにより情勢は一挙に不安定になったとはいえ賑わいを見せている。至るところには家族やカップル連れ、あるいは友達数人でショッピングを楽しむ人々の姿が眼に入った。 楽しそうな彼らの姿を見ながらレオニスは溜息を一つ吐く。彼らの笑顔を見ていると、なのに自分は、という思いに駆られてしまい憂鬱な気分になる。 ショッピングモールに来ている以上、レオニスも買い物をするためにここに来ている。だがモール内を賑わせている大勢の人々のように楽しめる買い物をしに来ている訳ではなかった。商売道具の調達をしなければならないのである。 先日、プロフェットが核兵器を使用した時の戦場にレオニスはいた。そして核の威力を目の当たりにしたのである。ACパイロット用のスーツが放射能からも身を守ってくれたから良かったが、そうでなかったら今頃はきっと決して起き上がることのない病床に横たわっていたことであろう。 思わず溜息が出る。 プロフェットが核兵器を使わなければレオニスの愛機であるエルダーサインが使用不能になることは無かった。アーマード・コアという兵器はその特性上、破損箇所があったとしてもその箇所を容易に交換する事が出来るため一つの機体を長く使い続けるといったことが可能になる。 しかし今回、爆心地に比較的近いところにいたエルダーサインは熱線と衝撃波により全損したのだ。幸いにしてコクピットブロックは無事であったため、レオニスもそして戦闘データも無事だったがコアパーツまでも使い物にならなくなった。 記録されていた戦闘データにはプロフェットの核のデータも保存されていたため、ミッション自体は失敗したもののそのデータを売ることで収入を得ることが出来た。しかしAC一機を買えるだけの額は無く、借金こそせずに済んだが銀行の預金残高は限りなくゼロに近い。もし借金しなければならないようなことになっていれば、レオニスはレイヴンを辞めざるを得なかったであろう。 今も辞めるべきなのかもしれないとは思っているのだが、どうにも踏ん切りが付かないのだ。こうしてACを購入しようとしているのもあくまでも惰性なのである。 AC及びMT専門パーツショップの中に入る、他の店に比べればかなり小さくそしてこざっぱりしている。カウンターには三つの端末と椅子が置かれているが、店員は一人だけだった。客はいない。レオニスが真ん中のカウンターに座ると、店員は一言「いらっしゃいませ」と告げて端末の画面を表示させた。 そこにはクレスト社製のライフルの広告が表示されており、何でもこれがセールで安くなっているとのことだがレオニスはそんなものを必要としていない。必要なのはライフルではなくエルダーサインなのだ。 持ってきていたエルダーサインの仕様書を店員に渡す、彼は恭しく受け取って紙を眺めて眼を丸くした。 「すみませんが、これは……?」 「AC一機分のパーツだよ。あぁ、心配しなくても俺はれっきとしたレイヴンだ。何ならアークが発行している証明書を見せたって良い」 そう言ってアークのレイヴン用IDカードを店員に渡す。彼はそれが偽造のものでないか、それこそ穴が開きそうな程に凝視した後丁寧にレオニスへと返した。 「疑ってすみませんでした。AC一機分のパーツを購入される方などそうそうおられませんので、うっかりテロリストの方ではないのかと疑ってしまいまして」 丁寧に頭を下げる店員を見てレオニスは苦笑するのを隠せなかった。レイヴンであろうといきなりAC一機分のパーツを購入する者なんていない。レイヴンになったら基本的な構成のACはアークから支給されるため、多くのレイヴンは稼いでいく中で徐々にパーツをアップグレードさせていく、だからいきなり一機分購入するレイヴンはまずいないのだ。 「気にしなくても構わない。ちょっとこの間の作戦で全損しちゃってね」 「それはそれは……しばしお待ちください、少し在庫の確認と値段の計算をいたしますので」 カウンターの奥、店員の手許にある客からは見えないようになっている端末のキーを彼は叩き始める。店員の手は一瞬とまり、少し難しい顔をしていたがすぐにキーボードを叩き始めた。そしてレオニスに画面を向けている端末の表示が変わった。そこにはレオニスの注文したパーツの画像と単価、そして総計と納入までの日数が表示されている。 「金額は全部で一二一〇〇〇〇Cになりますね」 分かっていたこととはいえ、実際にこうして金額を耳にするとレオニスは思わず気を失ってしまいそうだった。 「ローンが組めたら良かったんですけどねぇ」 「まったくだ。保険にも入れないし、レイヴンってのは困った職業だよ」 苦笑いを浮かべる店員に対してレオニスもまた苦笑で応える。 レイヴンという職業は性質上、いつ死んだとしてもおかしくない。よって保険には入れないしローンも組めない。ACパーツ以外にも、例えば家や車を購入する時でもローンを組むことは出来ないのだ。もっとも、レイヴンの収入があれば家や車を買う程度ではローンを組む必要性は無いのだが。 「組み立ては、どうしましょうか? 五〇〇〇C追加で払っていただければうちの技術者派遣しますが?」 「それで頼むよ」 「分かりました。大量購入ですので輸送費の方はこちらで負担させていただきます」 「悪いね」 「いえいえ、これからもよろしくお願いしますよ」 そうしてまた店員はキーボードを叩き始める。静かなクラシックのBGMが流れる中、キーボードを叩く音が不協和音として響いていた。ふと店員は何かに気づいたようで、キーボードを叩く手を止めて客からは見えない店の奥へと姿を消す。 何か問題が起こったのだろうか。時間はまだまだあるのだし、何も言わずに席を外した店員に不満を感じるも怒るほどではない。ふと出来た時間の空白に思わず溜息を吐き、端末に表示されている各種パーツの画像を眺めながら流れているクラシックに耳を傾けた。 流れている曲はジムノペディ第一番だった。耳を傾けていると思わず眠くなるが、店の自動ドアが開きそして流れる電子音で覚醒すると共に反射的に出入り口へと視線を向けてしまう。 一人の女性が入ってきたところだった。茶髪のセミロングの女性、空調の風で僅かに髪が揺れている。黒のフリルが少し付いたワンピースの上に丈の短めなジャケット、小さなバックを肩に掛けており女の子らしい出で立ちだ。ここに来るということはレイヴンなんだろうが、珍しい格好だなと思う。 レイヴンなんて荒っぽい職業につく女性は男勝りというべきか、それとも服装に頓着しないというのか、少なくともレオニスがこの店で見かけた女レイヴンのほとんどはオシャレと呼べるような服装をしていることは少なかった。だからこの彼女の姿は意外に思えるのだ。それと共に彼女は誰なのだろうかと気になるが、すぐに視線を外す。 じろじろと眺めて怪しまれたくないし、変な因縁を付けられたくも無い。また視線を端末に戻す。店員はまだ戻ってこない、一体何をしているのか。 女性はレオニスの右隣の席に座り、カウンターの奥を覗き込んだが店員の姿が無いことに首を傾げた。 「あの、店員さんは?」 「さぁ?」 女性からの質問にそう答えると、彼女は僅かに肩を落として溜息を吐いた。何か声を掛けようかとも思ったが、ヘマをやらかしたくないので視線をずらし。 こっちは話したくないのだが、向こうはそうでもないらしい椅子を動かして何故かこちらに近寄ってくる。正直なところ距離を離したいが、あからさまに動くわけには行かないのだ。なんなんだこいつは。 「あの、あなたもレイヴンですか?」 意図せず首を傾げてしまっていた。ここに来るのはレイヴンしかいない。レオニスが応えなかったからか、女は情報を得ようとしてレオニスの側の端末に視線を向けたようだった。失礼なヤツと思いながらも、レイヴンならば当然かという思いもある。 端末の画面に表示されているものを読み取ったのか、女は眼を丸くした。当然だろう。そこに表示されているのはAC一機分のパーツなのだ、普通はこれだけ一度に購入することはまず無い。 「この間のミッションで機体が全損してね、まぁ報酬は貰えたから良いんだけど」 「いえ、その……そういうことではなくて……もしかして、コル=レオニスさん?」 悟られぬように距離を僅かに開けて、腰の後ろに手を伸ばす。ジャケットに隠すようにして小型拳銃をそこに忍ばせているのだ。グリップを掴んで、安全装置を外す。音は響かなかった。 殺意を込めて睨みつけるが動じない。どうも鈍いらしく気づいていないらしい。どういうことだ、と内心思いながらもグリップを握る手を緩めることは無かった。 「だとしたら、どうするつもりだ?」 「いえ、生きていたんだと思って」 「悪い。意味がワカラン」 「だって、爆心地の側にいたのによく死ななかったなぁと思って。あれだけ機体が損傷していたのに」 レオニスは眉間に皺を寄せる。爆心地というのは恐らくプロフェットが使用した核兵器の爆心地のことだろう。あの場にレオニスがいることを知っている人間はかなり限られてくる。そうしてエルダーサインの機体の損傷状況を知っており、尚且つここに来る可能性のある人間といえば一人しかいない。 「まさかプロフェットのトレイター?」 「えぇそうです。初めましてで、よろしいでしょうか? レオニスさん」 「あぁ初めまして」 釣られて言ってしまったがやはり銃は離さない。 「別に襲うつもりはありませんよ、銃から手を離しましょう」 「信用できないね。企業専属だし、それに戦場では“この戦争屋風情が”と罵倒されたし」 「いえそれはあの時のですね……つまり、その。ま、普段はあんなんじゃないです」 しどろもどろになりながら喋るトレイターに、そりゃ誰だってそうだろうよ、と内心で突っ込みを入れながらグリップから手を離した。信用できないし、銃を握っていたかったがばれてしまっていては握れない。 状況が理解できず溜息をまた吐いた。今日はというよりもここのところ溜息を吐く回数が増えている。それもこれも金欠病のせいだ。加えてショップに来てみれば戦ったばかりの企業専属に話しかけられる、どうにも理解しがたい状況であった。 誰か助けをと思っていると、店の奥から店員がコーヒーカップを手に持って現れた。まさかとは思うがコーヒーを入れるために奥へ行っていたのだろうか。その心遣いは嬉しいが、それならそうと言って欲しい。 「おやおや、お客さんがまた一人。ちょっと待ってくださいね」 店員はレオニスの前に湯気の立つコーヒーを一つ置くと、また奥に戻って新しいコーヒーを一杯手にもちそれをトレイターの前に置いた。トレイターが一言「ありがと」と微笑を浮かべながら言った。 「お客さん、これ契約書です。サインお願いしますね」 店員から渡された購入用紙の記入欄にサインを入れていく、その間店員はトレイターと話し始めたがレオニスは会話内容を聞かないように努めた。パーツの購入というプライベートな話だ、レイヴンとしては専属の情報が得られるわけだから貴重な場と言えるがこんなので得たとしてもフェアではない。 契約書にサインを終えて店員へと渡す。彼は書類をチェックし終えると満足げに頷いた。店の去り際、トレイターに別れの挨拶を告げた。彼女は小さな笑みを浮かべながら会釈する。 店を出るとレオニスは奇妙な気分に襲われた。パーツショップに来ているとレイヴンと出会うことだってある、だが挨拶はおろか名前を聞くことも無い。 挨拶程度ならばまだ理解できるのだが、あそこまで馴れ馴れしくされるとは思いもよらない事態だったのだ。しかも彼女とは先日、生死を賭けて戦ったところである。その日、眠りに就くまで不思議な感覚は体から離れなかった。 |