『嵐は熱を帯びて(3)』


 格納庫脇にある待機室にレオニスは居た。待機室にはソファー、テレビそして多種多様な本が並べられた棚が置かれており長時間過ごしても苦にならないようになっている。ソファーも上質なものらしく、座ってみると心地が良かった。目立たなくはあったが部屋の隅っこにはワンドアタイプの冷蔵庫が置かれており、中を開けてみれば数種類のソフトドリンクが置かれており冷蔵庫の上にはグラスが数個並んでいる。

 グラスを手に取り、その中にスポーツドリンクを注いでソファーに座った。テレビにはミラージュが運営している放送局のニュースが流されており、内容はといえばニュースだけあってさほど面白くも無いものだった。チャンネルを変えようとリモコンを探してみるがどこにも無い。

 本棚の辺りに置かれてはいないかと考えて探してみたが、無い。無いのなら無いで、リモコンではなく本体から変えればよいだろう。そう考えてテレビ本体に近寄ってみるが、コントロールパネルを保護するカバーには上から白いテープが張られており開けられないようになっていた。しかも張られているテープには赤いマジックで、操作禁止とまで書かれている。

 仕方なくソファーにもどり、スポーツドリンクを飲みながら退屈なニュースを眺め出撃の時を待つ。

 と、ここでレオニスはあることに気がついた。今回の契約内容は、三日間の間この基地に滞在しその間に敵勢力による侵攻があった場合は迎撃に出るというものである。わざわざ考えることでもないが、この三日の間に敵勢力による攻撃がなかった場合レオニスにはただで報酬が入ることになる。

 契約により出撃しなかった場合の報酬は当初の予定よりも減額されることになっているが、それでもぼろ儲けには違いない。こうなると敵勢力が侵攻してこないことを祈ると同時、来なければ来ないでずっとこの部屋に閉じ込められる危険性すらあった。もしこの部屋に閉じ込められるとなると退屈で死んでしまうかもしれない。テレビのチャンネルは変えられないし、置かれている本はお堅いものが中心で娯楽性の強い、例えば雑誌の類は一冊も置かれていない。

 これは一種の嫌がらせなのだろうかと思いながらソファにもたれかかり、天井を見上げる。流石に天井までは掃除しないのか、汚れで若干黒ずんでいた。と、そこでレオニスは己の頬を引っ叩いた。企業が何の根拠もなしにレイヴンを雇うはずが無いのだ。つまりミラージュはこの三日の間にプロフェットが攻め込んでくると確信しているのではないのか。

 だとしたら時間を無意味に浪費するわけには行かない。やることが無いか考え始め、そこでまだこの基地に訪れてから愛機のチェックを行っていないことに気づいた。自分で言うのもなんだが、レオニスはかなりこまめに整備・点検を行っているほうだと思っている。よってまだチェックする必要性は必ずしもあるわけではない、それでも搬入の際に何らかの箇所がダメージを受けている可能性はかなり低いとはいえ〇であるとは断言できないのだ。

 ソファーから飛び起きるようにして格納庫へと続く扉を開け放った。力が入りすぎたらしく、大きな音を立ててしまったが格納庫では作業が行われているため大して気を止めるほどでもなかった。ざっと格納庫内を一瞥し、端に固定されている愛機エルダーサインの姿を確認するやいなや小走りで向かう。

 何もそこまで急ぐ必要はないのは分かっている。しかし、先ほど待機室内にいたときはどう考えてもレオニスは気を緩めてしまっていた。もしあれが戦場ならば撃墜されている。撃墜されることは死に直結するというわけではないが、多くの場合は撃墜されることは死を意味していた。

 ここのところ堅実に依頼をこなしていたから気が緩んでしまっていたのだろうか。思い出せと自分に言い聞かせる。あの化け物を思い出せと言い聞かせた。輸送部隊を護衛している最中現れた、あの首なしの化け物を思い出すのだ。今このエリア・オトラントにはあんな化け物じみた機体も存在するのだ。再び会うとは限らないが、その可能性はあるのだ。あの時は幸いにして助けが入ったから良かったものの、次も上手く逃げられるとは言い切れないのだ。

 整備に念を入れたからといってどうにかなるものではないことを知っている。それでもやるのとやらないのとでは違うのだ。コクピットに滑り込み機体を通常モードにて起動させる。そして診断プログラムを走らせた。作戦行動開始前に診断プログラムを使い機体診断を行うのはレイヴンにとって基本的な行動といえよう。

 ただ、実は診断プログラムを使用するとはいっても機体の全てを診断するわけではないのだ。もちろん全部をチェックすることもできるが、それには時間が掛かる。よって多くのレイヴンは時間に余裕がある時に行うもので、作戦開始前に行うレイヴンはほぼ全員と言っても過言ではない。

 レオニスも普段は全てを確認する気は無いが、今日はいつもより念入りに行おうと思う。こういった僅かなことが生死の境を分けることもあるのだ。念には念を入れるしかない、しかしどれだけ機体の整備に尽力を尽くそうとも技術向上のために努力を重ねようとも、死ぬ時は死ぬのだ。

 数十発のミサイルの雨の中にあっても、死なない時は死なない。死ぬ時は、たった一発の弾丸が致命傷になることもある。だが、生き残ろうという確固たる意志を持ち、そのために研鑽を重ねれば生存の可能性は上がってゆく。レイヴンという生と死が隣り合わせになっている職業に就きながらも、レオニスは生きようとする。失敗に終わっても、生きるのだ。

 生きていなければ何も出来ない。何も始まらない。

 診断プログラムが一つ一つ走っていく。機体各所から駆動音が聞こえる。診断の進行具合を示すインジケーターをじっと見つめながら、レオニスは何故レイヴンになったのか自問自答をしていた。

 高額の報酬が欲しかったからだろうか。いや、違うだろう。レイヴンは確かに高給を得ることが出来る。しかし商売道具である機動兵器アーマードコアに必要な経費も全て自分で賄わなければならない。戦場の主役はACである、だからといってACのパーツが安くなることは無い。全体で見ればAC用パーツの需要は少ない、そうなってくると需要と供給のバランスにより価格は高いものとなりレイヴンの報酬が幾ら高かろうと必要経費を差し引けば手元に残ることは少ない。

 レイヴンは高給取りであるがゆえに金持ちであると考えるのは早計なのである。レオニスも実際の手元に残るのは中間管理職に就いているサラリーマンとほぼ同額であろう。

 だったら普通に就職すれば良いのにとも思うのだが、なぜわざわざレイヴンになったのだろうか。戦争が好きなわけではない、そもそも誰かと戦うことが好きじゃない。戦えばお互いに傷つく、馬鹿らし過ぎる。ACが好きでロボットが好きでレイヴンになったわけではない。ロボットに興味は無い。

 では何故、と自問したところで答えは出ない。最初は高額の報酬が欲しかったからレイヴンになった、しかしすぐに現実を知ったにも関わらず何故レイヴンを続けるのか。何故?

 悩まないほうが良いとレオニスの中にいる別のレオニスがそう告げる。だが悩まないわけには行かないのだ。なぜならばこれは、一人のレイヴンであるコル=レオニスとしてではなく、レオン・カートライトという一人の人間のアイデンティティに関わる問題なのではないのか。

 レオンは悩まなければならないと思う、レオニスは悩まないほうが良いと考える。レイヴンか、それとも人間か、二つの考えの狭間で悩む。どちらも正しいと思えるからだ。

 答えの出ない迷宮に落ち込みそうになったとき、コクピット内に電子音聞こえた。診断プログラムは終了していた。さっきまで聞こえていた駆動音も今は聞こえない。あぁ、終わったのかとすっきりしない頭でコンソールパネルを眺める。両足の膝関節部分が黄緑色で表示されていた。

 大丈夫と思って差し支えは無いが、かといって注意しなければいけないほどのものでもない、なんとも中途半端な状態らしい。この程度なら多くのレイヴンは放っておくだろう。今は落ち着いた空気が流れているが、作戦待機中なのだ。機体の状態を知ることが出来たとしても、それをどうにかする時間は無い。

 だがレオニスはどうのような状況になっているのか、せめてこの目で確認しようとコクピットから身を乗り出した。

 その時だ。けたたましいサイレンが格納庫に鳴り響き、格納庫の天井に取り付けられている二つの赤いランプが灯った。スクランブルコールだ。即座にコクピットに戻り、シートに座りハッチを閉めてベルトで体を固定する。

 待機中であったためにパイロットスーツは着たままの状態になっており、ヘルメットもコクピット内に置いていたのだ。シートの足元に転がしていたヘルメットを拾って被り、バイザーを下ろす。ヘルメットを被った瞬間に、もうすぐ戦闘になるということを実感し体が僅かに震えて息苦しさを覚えた。

 スクランブルコールがかかるということは敵勢力がすぐ側まで近寄っていることであると考えて差し支えは無いだろう。通常モードの機体を戦闘モードへと移行させる。ジェネレーターの駆動音が高く響きだし、各所のモーターが本格的に駆動を始めたのかその振動が僅かではあるがレオニスの座るシートまで伝わってきていた。

 小さなノイズが鳴った後、司令部とエルダーサインが無線で繋がる。その通信と同時に格納庫の扉が開き、エルダーサインと同じ格納庫に収められていたMT部隊は出撃を始めた。

「レイヴン、君はまだもうしばらくの間だけ待ってくれ」

「了解した」

 短く応えて、レオニスはモニターに移るOSTRICHの背部を見送った。出来ることなら彼らだけで戦闘を終結させてくれることを望むのだが、そういうわけにはいかないだろう。他の企業と同じように、プロフェットにも企業専属のACとそのパイロットがいる。話に聞けば、クレストのローレルやミラージュのグローリィそれにキサラギのグレイトダディほどの実力は持ち得ないという。

 けれど企業が専属として雇おうと思うほどの技量は持っているわけだ。そう考えれば、かなりの実力はあると思っていいだろうし企業の完璧なバックアップがあるわけだから機体の整備もほぼ完全なものだと考えていいだろう。レオニスの胸に小さくはあるが、紛うことなき恐怖の感情が芽生えた。

 プロフェットの企業専属ACであるソリューションが戦場に出てきた場合、幾ら精強を誇るミラージュのMT部隊といえどひとたまりも無いだろう。レオニスだってACに乗ってはいるが、ソリューションとまともに戦える自信は無い。だがやるしかないのだ、これは自分が選んだ仕事なのだ。ゆっくりと深呼吸を一度してから、コクピットに備え付けの小物入れから拳銃型の注射器を取り出し、パイロットスーツの袖をまくりそこに押し当て引き金を引いた。

 空気の抜ける音がすると共に軽い痛みを感じた。今打ったのは精神安定剤となっているが、実質は軍用の麻薬である。もちろん軍隊での恒常的な使用を考慮しているために常用性は限りなく低く抑えられている。が、それでも人の体質によっては中毒になる人間も出てくる場合もある。幸いなことにレオニスには中毒症状が出ていない。

 MT部隊が出撃してから数分後に、再び司令部から通信が入った。

「レイヴン、プロフェットの企業専属ACソリューションをMT部隊が確認した。彼らには荷が重過ぎる、出撃してくれ」

「了解」

 またもや短く呟きゆっくりとペダルを踏み込んだ。エルダーサインも緩慢な一歩を踏み出す。戦場への一歩。薬が効いているのだろう、レオニスの目にはまだ見ぬソリューションが見えていた。


あとがき
レオニスまで勝手に動き出した

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