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大学の卒業式が終わると、当然のように仲間内で騒ごうという流れになった。ジェスも、仲の良かった友人や、サークルの仲間から誘われたが、全て断った。誘いを断ると、皆、ひどく残念そうな顔をし、罪悪感を覚えた。しかし、一ヶ月も前からしていた約束があるのだ。仕方が無い。
大学構内の喫煙してもいい場所で一服してから、騒ぐ同級生達を横目に見ながら歩き出す。明日からの事を考えると、とてもではないが、彼らのように騒ぐ気にはなれない。今、楽しんでおかなければ、これから先に、また笑える日がくる保証はどこにも無い。
だからといって、今の内に騒ごうとは思わない。そんな事をすれば、周りと同じになっ
てしまう。それだけは、出来ない。これから歩むは、血を血で洗う修羅の道。笑顔など、必要ない。
今年度の卒業生達で賑わう学生街を抜け、電車に乗り自宅へと帰る。卒業式は午前中に始まり、正午過ぎに終わったため、家に着いたときは午後一時半だった。
扉を開け、誰もいない部屋に「ただいま」、と言いながら入る。中は鞄一つ残して家具は無く、空き部屋同然だった。昨日までは部屋中段ボール箱で埋まっていたのだが、全て明日から暮らす新居に運んだため、貴重品を入れた鞄以外は残されていない。
部屋の片隅に座り、壁にもたれた。真正面の壁を見ると、時計を掛けていた部分だけがいやに白く、とても目立っていた。この部屋に残る、僅かな生活の跡のようにも見える。だが、明日になり、ジェスがここに帰らないようになれば、大家はすぐにでも壁紙を張り替えることだろう。
そうなった時、ここにジェスが暮らしていたという痕跡は無くなる。この賃貸マンションは人の出入りが激しく、ジェスのように四年間も住む人間はとても珍しい。だからこそ、この賃貸マンションを借りる気になったのだ。人の出入りが激しいところなら、大家を除けば、だれも隣人のことなど気にしないだろうと考えてのことだ。
ポケットに入れていた携帯が震えた。取り出してサブ画面を見れば、電話番号と「レイヴンズアーク」と表示されていた。
「レイヴンズアークです。頼まれていたACの搬出作業が終わりましたんで、報告しておきます」
「すまないな、一身上の都合だというのに、わざわざやらせてしまって」
「いえいえ、いいんですよ別に。レイヴンなら戦場に近いところの方が便利ですからね。紛争が起こるたびに、紛争地に引っ越すレイヴンだっていますから、気にしなくていいですよ」
「そう言ってもらえるとありがたい。これからも、よろしく頼む」
「こちらこそよろしく。それじゃあ、失礼しますね」
そう言ってから、アークの職員は電話を切った。単調な電子音しか流れなくなったことを確認してから、終了ボタンを押した。また携帯をポケットに入れて、煙草を一本取り出した。
火をつけてから、灰皿すら残していないことに気付き、仕方なく携帯用灰皿を取り出した。何も無い部屋で、携帯用灰皿で煙草を吸っていると親に隠れて煙草を吸っているようで、何となくおかしな気分になる。もう、親などいないというのに、何故だろうか。
同級生からの誘いを断ったが、これから日が暮れるまでの間は、何もすることが無かった。唯一残していた鞄を引き寄せて、中を見るが、貴重品と予備の弾倉以外には何も入っていない。文庫本の一冊でも残しておけば良かったかと、多少後悔しつつ、暇つぶしのため雑誌でも買いに行くかと思ったが、やめた。マリーツィアと待ち合わせしている時間まで、あと数時間ほどしかないのだ。それだけのために雑誌を買うのも、馬鹿らしい。
だからといって、何もすることが無いのは辛い。仕方なく、目を閉じて、AC戦闘のイメージトレーニングを行う。まず、最初にイメージしたのは、愛機「ノーヴルマインド」の姿だ。ノーヴルマインドは、肩にチェインガンと垂直ミサイル、右腕にアサルトライフル、左腕にレーザーブレードを装備した、オーソドックスな近中距離戦に適した装備となっている。
ジェスは強化人間ではないが、FCSとOSの改造により、チェインガンを構えずとも撃てる様にしている。しかし、構えずに撃てば当然のように反動は大きく、とてもではないが姿勢制御をうまく行うことが出来ないでいた。現在はシミュレーターを使ったりして練習しているが、いつになれば普通に撃てるようになるのか、全く分からない。
頭の中で、チェインガンに武装を切り替えてトリガーを引く。反動が機体を襲う。レバーを動かし、ペダルを踏み、姿勢制御を試みるが、結局、仰向けに倒れた。
舌打ちをして、もう一度最初からやり直す。だが、結果はまた失敗。その後も続けるが、結局、イメージトレーニングだというのに成功することは出来なかった。
一服しようと目を開けると、部屋中、オレンジ色に染まっていた。時計を見れば、マリーツィアと約束した時間まであと十数分しか残されていなかった。待ち合わせは、最寄の駅前広場にある時計塔だ。大体、歩いて二〇分弱というところだろうか。慌てて立ち上がり、鞄を手にしてから部屋を飛び出した。
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時間に間に合うように走った。マリーツィアと会えるのは今日で最後なのだ、出来ることなら可能な限り長い時間一緒にいたい。全力で走った甲斐もあり、待ち合わせ時間の一分前に到着することが出来た。
マリーツィアを探し、周囲を見渡す。他にも待ち合わせをしている人が多く、探すのに手間取る。この駅は繁華街に近いため、仕方が無い。特に時計塔は目立つため、待ち合わせ場所に利用されやすいのだろう。
十数秒ほど探すと、マリーツィアは見つかった。普段のラフな格好とは違い、どこかのお嬢様然としたドレスのような服を着て、困惑した表情を浮かべていた。見れば、マリーツィアの前にチャラチャラした遊び人風の男が立っていた。何か声を掛けているようだが、マリーツィアは嫌がっているようだ。大方、ナンパしているのだろう。
そう思った瞬間、頭に血が昇っていくが分かった。近付いていくと、マリーツィアはこちらに気が付いたようで、顔が明るくなる。マリーツィアにつられるようにして、遊び人風の男もこちらを向いた。マリーツィアがこちらに歩み寄ろうとするが、それより先に、遊び人風の男が近寄ってきた。
遊び人風の男が、何か言ってこようとしたが、男が言うより早くに殺気を込めた視線をぶつける。ただ、それだけだというのに、遊び人風の男は怖気づいてしまい、悪態を付きながら去っていった。
遊び人風の男が人ごみの中に消えていくのを見ていると、「ジェス!」と名前を呼びながらマリーツィアが抱きついてきた。思わず、抱き返してしまう。
「もう、怖かったよう。変な男がさ、遊びに行かない、とか言って誘ってくんの。そんな経験ないからさ、どうしようかと思っちゃって。ホント、ありがと」
言って、マリーツィアは屈託の無い笑みを浮かべた。そして、自分の唇を触れる程度ではあるが、ジェスの唇に重ねた。人前で接吻する恥ずかしさを隠すために、マリーツィアを引き剥がす。
「いきなり何をするんだ。人前だぞ、恥ずかしくないのか」
「だって、ジェスに会えたの嬉しくって。さっき助けてくれたお礼、ってことでいいじゃないの」
屈託の無い笑みを浮かべるマリーツィアを見ていると、胸の中が満たされていくようだ。五年前に失ってしまった物が、まだ自分の中にあるような気がして。
何の兆候も見せず、マリーツィアはジェスの腕に抱きついた。服を通して、マリーツィアの体温が伝わってくる。
「ねぇ、今日はどこに連れて行ってくれるの?」
「レストランを予約してある。とりあえずはそこだな。後は、適当に決めようか」
「じゃあさ、私の家に行こうよ」
言って、マリーツィアはジェスの顔を覗きこんだ。
「いや、ちょっと待て。それは、ちょっと……」
別れるつもりなのに、それは出来ない。だが、そんな事、言えるはずも無い。
「なーにビビってんのよ。私の家っていってもね、実家じゃないよ。いつものマンション」
「それならいいんだが」
一体、自分は何を恐れたのだろうか。おそらくは、マリーツィアと別れなければならないのが恐ろしいのだ。だが、マリーツィアに「ずっと一緒にいてくれ」とは言えない。本当にマリーツィアを愛しているならば、ここで別れたほうがいい。
「どうしたの? 難しい顔しちゃってさ」
「いや、何でもない。卒業式で少し疲れたのかもしれないな」
「へぇー、ジェスでも疲れることってあるんだ」
「私も人の子だからな」
「そうだよねぇ。疲れないなんてやついたら、化けモンだよそいつ」
「確かにな。とりあえず、レストランに行こうか。もうすぐ予約した時間になるし」
そう言ってから腕を組みながら歩き出す。道中で、他愛の無い会話をしながら、マリーツィアの横顔を見ていた。もうすぐ、二度と会えなくなってしまう。二度と見ることが出来なくなってしまうマリーツィアの姿を、忘れないよう、心に刻み込むために。
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レストランでの食事中も、別れ話を切り出すことが出来なかった。食事を終えた後、マリーツィアの家に行き、どんな仕事に就いたかという話になったが、レイヴンになってそこから企業専属を目指す、ということすら言えなかった。詰まるところ、マリーツィアを失ってしまうことが怖いのだ。
途中で僅かながらもアルコールが入り、二人してベッドに倒れこんだ。全身でマリーツィアを感じていると、ずっと一緒にいたいという想いが強くなってゆく。だが、一緒にいることなど出来はしない。それが、マリーツィアのためだ。
一通り、することを終えた後、ジェスはマリーツィアを抱きしめた。離したくなくて、でも、離すしかなくて。
「ねぇ、今日のジェスおかしいよ。いつもなら、煙草吸ってるのに。何で?」
マリーツィアの声が響く。答えないといけない。けれども、答える勇気が無い。マリーツィアを失えば、今得ている安息も同時に失ってしまう。それが怖い。だが、マリーツィアに自分の一方的な願望を押し付けるわけにはいかない。
「マリーツィア……ちょっと、目を瞑ってくれないか?」
「いいよ」
ジェスの言葉に何の疑念も持たずに、静かにマリーツィアは目を閉じた。その間に、睡眠薬を口に含む。マリーツィアにディープキスをした。互いの舌が絡まりあう、その時に、睡眠薬を口移しでマリーツィアに飲ませた。
マリーツィアが目を開ける。
「何飲ませたの?」
「マリーツィア。君に言わなければならないことがある」
「何?」
「私はレイヴンになる。そして企業専属になって、家族の仇を討つ。だから、別れよう」
マリーツィアの目を見つめて言った。彼女は、しばしの間、意味が解らないという顔をしていたが、すぐに顔色が変わる。
「何で? 何でそんな理由で別れなきゃいけないの!? 嫌だよそんなの、ジェスは私のことが嫌いになったの!?」
「違う! 好きだ、だからだ。君に一緒にいて欲しい。だが、ここから先、私が進む道は人の進む道ではない。だから、マリーツィア……君とは、いられないんだよ……」
「そんなの理由にならないよ……ジェスと一緒にいれないほうが嫌だよ。何で、一緒じゃ駄目なの……?」
答えることが出来ない。これ以上、答えてしまえばマリーツィアと別れるのが嫌になる。人の道を踏み外すことが分かっているからこそ、マリーツィアにいて欲しい。だが、マリーツィアの幸せを願うなら、一緒にいることは出来ない。
「私と共にいれば、君は不幸になる。だからだ……世の中に男は星の数ほどいる。マリーツィア、君は私と一緒では駄目なんだ……分かってくれ……」
「私は……ジェスといっ――」
マリーツィアの声が小さくなる。彼女の顔を見れば、徐々に眠そうに目蓋を下ろしていた。薬が効いてきたらしい。寝息が聞こえ出すのに、そう時間は掛からなかった。
マリーツィアの頬を撫でてからベッドを出て、シャワーを浴びた。服を着て、電話機の横に置いてあったメモ帳とボールペンを拝借して、手紙を書いた。なんて情けない男だろうか、と心の中で笑った。
書きあがった手紙を見て、苦笑が漏れた。内容は、ただの謝罪文だった。本当に、なんて情けない男なんだろうか。
ベッド脇のサイドボードに、謝罪文と化した手紙を置いてから、鞄を持った。一人でベッドに眠るマリーツィアを見て、辛くなる。こっちの勝手な理由で彼女を捨てるのだ、胸の中が、罪悪感で満たされた。
マリーツィアの家を出て、レイヴンズアークの支社へと急いだ。本格的にレイヴンになるのなら可能な限り、過去を捨て去ってしまいたい。そのためには、ジェス=イチノセという名前すらも捨てたかった。しかし、名前は社会の中で絶対的に不可欠な物である。捨てるわけには行かない。だが、レイヴンをやるのならジェス=イチノセを名乗らなくても済む。
レイヴンズアークの端末で、パイロットネームの変更を行う。今までは、本名のジェスで登録していたが、明日からのために変える。明日から始まる新生活を行う場所に、ジェスの事を知る人間は一人もいない。レイヴンをやるのなら、本名を名乗らなくても済む。
端末の前で、新しいパイロットネームを考えるのに手間取ったが、結局、栄光を意味する「グローリィ」と名乗ることに決めた。
◇◇◇
眼を開けた時、ここが一瞬どこだか分からなかった。寝ぼけた頭で周囲を二、三度見渡し、故郷に帰る途中だということを思い出した。ここは、帰る途中の列車の中で、窓外を見れば、景色が後ろへと跳んでいくのが見えた。
知らない間に、眠ってしまい昔の夢を見てしまっていたようだ。昔と言えば、グローリィはマリーツィアをまず思い出した。さっき見た夢のせいかもしれない。
「マリーツィア……か」
その名前を呟いただけで、どこか気分が落ち着いた。家族を失って、荒みつつあったグローリィに安らぎを与えてくれた女性だ。別れたくは無かったが、別れるしかなかった。出来ることなら、今でも一緒にいたいと思うことがある。バルカンエリアで戦っているときなど、特にそうだ。
だが、そんな事は叶うはずも無い。マリーツィアは今、二五歳になっている。結婚していてもおかしくはない。昔から彼女に言い寄る男は大勢いた。その中に、マリーツィアと相性の良い男性の一人ぐらいはいるはずだ。出来ることなら、幸せになっていてほしい。
そう思う反面、まだ一緒にいたいという想いが残っている。本当に女々しいと思うが、唯一安らぎを与えてくれた女性の事を忘れろという方が無理だ。
そういえば、あの日、マリーツィアは企業のオペレーターになるんだ、と言っていた事を思い出した。理由は、パイロット達のアイドルみたいでカッコいい、だった。それを聞いたとき、ロボットアニメの見すぎだ、と言って笑った。どこの企業かは聞いていない。
もしかしたら、と思うが、三大企業は入社するのに多大な努力を必要とする。ちょっとやそっとでは、入社できない。マリーツィアでは、多分、無理だろう。
溜め息を一つ吐き、グローリィは窓外の景色を見ながら、マリーツィアの事を思い出していた。
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