Armored Core Insane Chronicle
番外編
「赤い左腕」
2月11日

/1


 全身が重い。レバーを倒しても反応は無い。ペダルを踏み込んでも、機体は動かない。モニターの中、左腕が赤い黒の機体がゆっくりと、音も無く、静かに、確かな殺気を纏ってこちらを振り向いた。

 額に汗が滲む。最悪の予想に、心臓の鼓動が激しくなる。焦点は合わず、呼吸は乱れ、歯の根は合わず。全身が完全な恐怖に支配される。

 黒い機体の左腕が上がる。そこに装備されているのはグレネードライフル。殺気が、その強さを増した。

 叫びだし、背を向けてでも逃げ出したい。レバーを動かす、ペダルを踏む。機体は動かない。ワケのワカラナイ事を叫びながら、何度も何度もレバーを動かすが、やはり機体は動かない。

 神様、いいや、神様でなくてもいい。悪魔でもいい。誰でもいいから、何でもいいから助けて欲しい。目の前の死神から、自分を救って欲しい。

 何故、自分がここで殺されなければいけないのだ。何をしたというのだ。何もしてはいない。人を殺したことはある。しかし、それは戦場でのことで、仕事でしなければならない。それをしなければ、生活をすることなど出来ないのだ。だから、殺す。そこに何も問題は無い。

 グレネードライフルが火を噴いた。

 世界がスローモーションになる。

 ゆっくりと回転しながら近付いてくる炸裂弾。顔面が引きつっていくのを感じる。喉の声帯が、声にならない音を漏らす。モニターの中が、炸裂弾で埋められてゆく。





 気がついたとき、ファクトはベッドの上で上体を起こしていた。首を動かし、周囲を見渡すがそこは見慣れた自分の部屋だ。昔の愛機『ファントム』のコックピットではない。

 ブルリ、と体が震えた。シャツの襟元を手で触ってみれば、汗を吸ってじっとりと湿っていた。枕元に置いてあるリモコンを取り、部屋の照明を点ける。体を見れば、汗を吸ったシャツが黒く変色していた。

 またあの夢か、と思いながら両手で頭を抱えた。かなり大量の汗をかいていたらしい、髪も風呂上りかと思ってしまうぐらいに濡れている。

 いつになれば、この悪夢から逃れられるのだろうか。おそらくは、レッドレフティをこの手で落とさない限りは、未来永劫に続くだろう。

 ベッドから降りて、台所に向かう。グラスに水道水を注ぎ、一気に飲み干した。まだ夢の中の感覚が残っていて、呼吸がいま一つうまく出来ない。夢のせいだろうとは思うが、一応、念のためにと常備している薬を一錠取り出し、水道水で飲み込む。

 頭の中から、あの赤い左腕が離れない。今はそうでもないが、以前は赤い色を見ただけで思い出し、それだけで取り乱すこともあった。

「レッドレフティ……」

 呟いて、壁に掛けてある時計を見た。時刻は午前五時、後一時間もすれば日の出だ。今日は企業連合からの依頼を受けており、午前七時に家を出なければならない。特に今日は大事な任務を受けているのだ、遅刻など決して出来ることではない。

 完全に目を覚ますために、シャワーを浴びる事にした。洗面所で服を脱ぎ捨て、洗濯機に放り込む。浴室に入り、コックを捻る。四二度の湯が出るように調節されているため、シャワーヘッドからすぐにちょうどいい具合の湯が流れる。

 頭から熱めのシャワーを浴びても、赤い左腕が離れない。レッドレフティを倒し、あの悪夢から逃れるために、禁忌まで犯したのだ。必ず勝利し、『イグジストファントム』の射突型ブレードを叩き込んでやる。


/2


 今回受けた依頼はある中小企業からのもので、内容は、製品を積んだ輸送車の護衛だ。この中小企業はMTを配備しておらず、製品を輸送する際は野党から製品を守るためにレイヴンを雇うのが恒例となっている。本来なら、こんな戦闘が起こるかどうか分からない依頼など受けない。受けたところで、戦闘が無ければ訓練にならないからだ。

 だというのに、何故こんな下らない任務を受けるのかというと、レッドレフティが襲撃してくるという情報を得たからだ。実はクライアントの企業は、クレスト、ミラージュ、キサラギを中心とした企業連合に組していない。企業連合側も、再三協力するよう要請しているのだが、この中小企業は一向に強調する姿勢を見せない。

 するとどうなるか。中小企業が協力しないのに、そのままにしておいたら、企業連合の沽券に関わる。そうならないようにするためには、企業連合は中小企業に何が何でも協力してもらわなければ困る。そこで、企業連合が取る行動といえば、ミッドウェーでも行われた武力行使となる。

 とはいえ、いきなり制圧しにいくというのもやり辛いため、まずは輸送車を襲撃して警告代わりにするというわけだ。そこで、レッドレフティが選ばれたのは、企業連合側が強さを誇示したいからなのだろう。

「レイヴン、本当に大丈夫なんだろうな?」

 輸送車の運転手は不安なのだろう。まぁ、死ぬかもしれないのだから、当然といえる。彼には残念なことだが、ファクトに輸送車を護衛する気など毛頭も無い。レッドレフティと戦うのが一番の目的で、依頼を完遂することなど、二の次三の次である。

「さぁな。俺に聞くな」

 突き放したような返事をすると、運転手は押し黙ってしまった。時速四○キロというスロースピードで進みながら、頭部を左右に動かし、ACが来ないか確認する。今日は晴れ渡っていて、地平線までよく見えるというのに、ACが来る様子は無い。

 何時になったら、レッドレフティは来るんだ。企業連合がレイヴンに襲撃依頼を出しているのは知っている。それをレッドレフティが受けたという情報を得たから、この依頼を受けたというのに。ACが来なければ話にならない。

 もっとも、ACが来たところで、それがイリス弐式ではないのなら意味は無い。

 ふと、妙な気配を感じた。口元だけで笑って、ペダルから足を離した。イグジストファントムの歩みが止まり、輸送車との距離が開いてゆく。

「どうしたレイヴン、機体の調子でも悪いのか?」

 イグジストファントムが付いて来ないことに気付いた運転手が通信を入れてくるが、ファクトに答える気は無い。輸送車に背を向ける。モニターに、黒い物体が映し出される。黒い物体は速度を増し、距離を詰めてくる。徐々にその姿が大きくなり、ACであることが確認できた。

 そして、その黒いACは左腕だけが赤く染められていた。心臓が一際強く高鳴った後、全身が緊張に包まれてゆく。鼓動が徐々に、高まってゆく。

 黒いAC、イリス弐式の左腕が上がる。マズルフラッシュが起こり、グレネードランチャーが放たれる。レバーを握り締め、ペダルに掛かる足に力を込める。但し、回避行動は取らない。このグレネードは輸送車目掛けて撃たれたものだ。本当なら、身を挺してでも輸送車を守らなければならないのだが、そうするつもりもない。

「レイヴン、何をしているんだ! 早く助けてくれ!」

 運転手からの通信を無視する。輸送車が速度を上げるが、グレネードの方が圧倒的に速い。着弾。輸送車が炎をに包まれる。

「な、何故……!」

 運転手には、何故、レイヴンが自分達を助けてくれなかったのかが分かっていないようだ。ファクトの目的はレッドレフティと戦うことで、輸送車を守ることではない。輸送車が破壊されたことを確認し、これから帰還するであろうイリス弐式を追撃する準備に入る。

 しかし、イリス弐式は帰還するどころか、五〇〇ほどの距離を置いてイグジストファントムの目の前に立った。

『やはり来ていたか。情報を流した甲斐があったというものだ』

「情報を流した……? どういうことだ?」

『なに、私と戦いたがっているレイヴンがいると聞いてな。少しばかり好奇心が少しばかりそそられてな。まさか、ランキング内のレイヴンだとは思っていなかった』

「そういうことか。まぁいい、レッドレフティ……借りは返させてもらうぞ。そのために、貴様と同じように強化までしたんだ」

 通信機から笑い声が聞こえる。

『私を倒すために強化人間か。残念だったな、確かに私は強化されているが、貴様みたいな通常の強化じゃない。貴様らみたいに、頭にレーダーを埋め込んだり、臓器を人工のものに取り替えたり、そんな事は一切していない。私がされた強化は、薬と、ただの精神操作だ。残念だったな、ファクト』

「それでも、強化されていることに変わりは無いだろう?」

『確かに。せいぜい、私を楽しませろ』

 イリス弐式が空に舞った。ブースターで無理やり飛んでいるとは思えない。羽が生えているかのような、実に軽やかな飛翔を見せる。主武装をチェインガンに切り替え、前方にブーストダッシュを行い、距離を詰めた。

 空を舞うイリス弐式の動きは軽やかで、ロックサイトに捉えるだけでも苦労する。それでも、以前のように全く捉えられないというわけではない。

 ロックサイトに捉えたまま、イリスとの距離を詰める。ロックサイトの色が黄色から赤に変わった。瞬間、トリガーを引く。空中のイリス目掛けて、チェインガンから弾丸がばら撒かれる。一箇所に弾を集中させることも出来たが、あえて弾をばら撒いた。そうしないと、イリスに当たる気がしない。

 だというのに、イリスはブースターを噴かして悠々と回避して見せた。その後に、エネルギーを回復させるため着地。着地の際の硬直を消すために、僅かにブースターを使用するのをレッドレフティは忘れていない。

 着地と同時に、ロケット弾が横一直線に三発飛んでくるのが見えた。全て避けるには上に逃げるのがベストだが、イグジストファントムは重武装にしているせいで、重く、上に逃げるのには時間が掛かる。仕方なく、左へ回避するが、一発だけ被弾し、機体が揺れる。

 ランキング内のレイヴンがいるとは思わなかった、とか言っておきながらも、相手が誰であろうとある程度は通用するよう、中型ロケットをトリプルロケットに変更しているとは。流石、一流のレイヴンだ。

 イリスが上空から接近してくる。サイトの中心にイリスを捉えながら後退、武装をグレネードに切り替える。イリスの武装はどれも近距離用の物だ。中距離以上に離してしまえば、一方的に攻撃を加えることが出来る。とはいっても、相手はレッドレフティだ。そうそう簡単にグレネードが当たるとは思っていないが、どんなACだろうと滞空し続けるなどということは不可能だ。必ず着地し、エネルギーを回復させる必要がある。

 その、着地の瞬間を狙う。レッドレフティは着地の際の硬直を消す技術を持っているが、完全ではない。ほんの僅かではあるが、狙う隙がある。そこに、グレネードを叩き込む。

 上空のイリスが近づけないように、ライフルとイクシードオービットの弾幕を張る。URANUSのEOの連射力は凄まじく、流石のレッドレフティも迂闊に近づけないようだ。一旦、後ろに下がり、着地する。そこで、トリガーを引いた。

 発射の振動が全身に駆け抜ける。真っ直ぐに、着地したばかりのイリス目掛けて、炸裂弾が飛んでゆく。イリスの紙みたいな装甲では

、直撃に耐えることは出来まい。直撃でなくとも、至近距離で爆発させるだけでも、それなりのダメージを与えられる。それでも、イリスの機動力を減殺させることは可能だ。そうなれば、勝つのは容易だ。

 勝利を確信し、口元が歪むのが分かった。これで、ようやく悪夢から逃れられる。

 イリスは避けようともしない。避けたところで無駄なことが分かり、あきらめたのか。あっけない気がするが、勝てるのならばなんでもいい。動きを封じたら、右手の射突型ブレードをコアパーツに叩き込んでやる。

 イリスがガトリングガンの銃口をイグジストファントムに向ける。距離は中距離の間合い、ガトリングガンの射程距離外だ。だというのに、何故? まさか、という思いが頭をよぎるが、すぐに振り払う。そんな芸当は、ネロや柔でも出来はしない。

 だがファクトの予想とは裏腹に、ガトリングガンが火を噴く。イリスは撃ちながら上下左右にガトリングガンを揺らし、弾丸をばら撒く。その中の一発が炸裂段に当たり、爆発が起きた。

 爆炎の向こうから、無傷のイリスが現れる。血の気が失せてゆくのが、自分でも分かった。ガトリングガンでグレネードを防ぐなど、理論上は可能だが、所詮は理論で、実際には不可能なはずだ。

 だというのに、相対しているイリスを駆るレッドレフティはやってのけた。これが、ランキング三位の実力とでもいうのだろうか。だとしたら、格が違いすぎる。

『今のタイミングは中々よかった。着地の際の隙を狙うとは、中々いい目を持っている。だが、次はそうはいかんぞ』

 頭から冷や水を被せられたような感覚に襲われた。全身が粟立ち、鳥肌まで立ってきた。これがランキング三位のプレッシャーなのか、だとしたら、本当の、怪物ではないか。


/3


 レッドレフティのプレッシャーに圧され、恐怖を感じ、歯の根が合わなくなる。手が小刻みに震え、モニターのロックオンサイトも同じように震える。

『どうした、もう終わりか? なら、こちらからいくぞ』

 感情の篭らない抑揚の無い声が、さらなる恐怖を誘う。イリスの背中から光が溢れ、猛烈な勢いで距離を詰めてくる。イリスのコアパーツ背部から溢れる光が、羽のように見える。

 回避行動を取らなければならないことは分かっている。だが、体が動かない。

 イリスのガトリングガンが火を噴く。装甲が穿たれる。グレネードライフルが火を噴く。爆発の衝撃が機体をグラつかせ、急激に熱量が上がったことでコックピット内に警告音が鳴り響く。

 このままでは、前回の二の舞になってしまう。それは、嫌だ。次こそ死んでしまうのかもしれないのだし、何より、あの悪夢から逃れることが出来ない。そんなの、怖すぎる。

 全身に力が蘇る。何のためにここまで来たのか。何のために、親から貰った体を捨ててまで力を手にしたのか。何のために、今まで生きてきたのか。それら全ては、レッドレフティを破るため。

 恐怖を振り払い、モニターに向こう側にいる女神を見据え、歯を食いしばる。全身に力を込め、レバーを握りなおす。ペダルを踏み込み、右方向にブーストダッシュを行う。

 イグジストファントムのいた空間に、ガトリングガンとグレネードが過ぎ去ってゆく。ブースターを使って後退しながらグレネードを構える。但し、イリスを直接狙わずに足元を狙う。グレネードの弾速は遅く、レッドレフティには通じない。だが、グレネードを当てる必要は無い。

 イリスが上空に舞う。グレネードが着弾し、砂塵を巻き上げる。隼のように、イリスが両腕の武器を構え、イグジストファントムとの距離を詰める。それを確認してから、エクステンションのエネルギーシールドを作動させる。

 エネルギーシールドさえ使用していれば、ガトリングガンとグレネードライフル一セット分ぐらいは耐えられるはずだ。二度目なんて無くていい、この一撃で全てを決める。

 装備してから初めて右腕を引いた。狙うはイリスのコアパーツ。

 以前も、今回も、イリスの接近に対して逃げの一手ばかり打っている。レッドレフティも、ファクトが逃げると思っているはずだ。だが、今回は逃げない。

 ガトリングガンとグレネードライフルの斉射に耐えながら、前へ踏み込む。
『なにっ!』

 前方から飛び込んでくるイリスの勢いは衰えない。突っ込んでくるなどと、予想していなかった証拠だ。

 イグジストファントムの右腕が繰り出される。レバーを通して、手ごたえを感じた。モニターが、炸薬が破裂する閃光で僅か一瞬だけ白く染まる。

 閃光の後、モニターにイリスの姿は無かった。咄嗟に、後ろに下がり、レーダーを確認する。赤い光点が十字方向にある。即座に、機体をそちらに向ける。

 そこには、左腕を肩下から失ったイリスの姿があった。通信機から、忍び笑いが聞こえる。

『傷を付けられるのは久しぶりだな。面白い、射突型ブレードを当てられるとは思ってもみなかった。仕方ない、本気を出すか』

 イリスの背中に光が灯る。オーバードブーストが発動し、イリスとの距離が詰まってゆく。ライフルとチェインガンを放つ。エクステンションのエネルギーシールドは起動させたまま、回避行動は取らず、狙いを付けることだけに集中する。

 しかし、一発も当てることが出来ず、イリスはイグジストファントムの横をすり抜ける。

「逃げる気か?!」

『馬鹿を言うな。私が逃げるわけ無いだろう』

 レッドレフティからの返答と同時に、機体を衝撃が襲った。損傷率が跳ね上がり、モニターにノイズが混じる。衝撃が収まり、ブースターを使いながら背後を振り返ろうとするが、振り向ききる前に機体を先程よりも大きい衝撃が襲った。バランスを取ろうと姿勢制御に入るが、何故か上手くゆかない。損傷箇所を確認すると、右足の膝から下が失われていた。

 また衝撃。モニターに空が映る。その空を背景にして、イリスはイグジストファントムを見下ろした。

『思っていたよりかはやる。ここで殺してもいいのだが、私と戦えるレイヴンがいなくなるのは惜しい。生かしておいてやるから――』

 レッドレフティが言い切る前に、ライフルの銃口をイリスのコアパーツに向ける。しかし、ファクトがトリガーを引くより早くにガトリングガンが火を噴き、ライフルをマニュピレーターごと吹き飛ばした。

『最後まで聞け。いいか、生かしておいてやるから、また掛かって来い。いいな、絶対にまた来い』

 それだけ言うと、モニターからイリスの姿が消えた。体が勝手にコックピットハッチを開け、外に出ていた。イリスは背を向け、オーバードブーストを使って、地平線の向こうへ消えようとしていた。

 それを見た瞬間、全身から力が抜け、立っていられずコックピットの中へ落ちるようにして戻った。

「ハァハァハァハァ……」

 今更、呼吸が荒くなり、全身を恐怖が覆い尽くす。また、生かされたのかと思うと、悔しくなった。

 まだしばらくは、悪夢を見そうだ。


登場AC一覧 括弧内はパイロット名
イリス弐式(アルテミス)&Ns00GF2w03w0wwA505Ea1gE62ws701MF208K2L#
イグジストファントム(ファクト)&N80008000300024000s01g0600huzWu0k0eG1F#

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