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バーFOLXのカウンター席に座り、一人で飲んでいると隣に誰かが座った。横目で見ると、この店の雰囲気に似つかわしくない黒いスーツに黒いサングラスを掛けた、人懐っこそうな男だった。その顔立ちにはどこか見覚えがある。
男性はサングラスを外すと、グローリィへと顔を向けた。視線が合うと、黒いスーツの男性、アサヅキは人の良さそうな笑みを浮かべた。
「聞きましたよ、あの話」
アサヅキの質問を無視してグラスを傾けた。
「強化手術を受けるそうですが、また何故? あなたほどの腕でしたら、する必要はないでしょうに」
「その話か。自分の体をどうしようが、私の勝手だ」
「それはそうですが、下手に体を壊されるとあれでしてね。人間工学部門に圧力掛けときます」
「圧力を掛ける必要なんて無い」
「そんなこと言わないでくださいよ。こっちは好意でやるんですから。あっ、マスター、ターキーをオン・ザ・ロックで」
グラスを顔の前まで持ち上げた。その向こうに、赤い重量二脚ACの姿が見えた。インディペンデンスの指導者であるフリーマンが駆るAC、リバティの姿が。思わず、歯を食いしばる。
誰がどう見ても、例え転地が逆転しても、完全なる敗北だった。まともにダメージを与えたのはただの一撃だけ。その後、右腕と左腕を破壊されて攻撃力を奪われた。撤退しようとしたら、殺すよりも勝つことのほうが重要だ、と言い残して見逃した。それが、言い表せないぐらいに悔しい。
あれが、元とはいえランキング二位の実力。アリーナに参加していたときは、柔とほぼ互角の戦いをしていたレイヴンなのか。負けて当然なのだが、グローリィはレイヴンではなく、企業専属ACパイロット。例え死んだとしても、絶対に勝たねばならない。
だというのに、惨めに負けたことが悔しい。だからといって、あの時、特攻する覚悟など無かった。そんな事をすれば、今までの事が全て、水の泡になりそうで怖かった。死んでも、家族のいないグローリィの事を覚えてくれる人間などいない。それが、怖い。
「グローリィさん。教えてくださいよ、何であなたは強化人間になるんですか? フリーマンに敗北したからといって、誰もあなたを責めはしませんよ。軍関係の者は皆、フリーマンの強さを知っていますから」
確かに、アサヅキの言うように、帰還しても誰もグローリィに対して何も言おうとはしなかった。それどころか、作戦部長などは、よく生き延びた、と言って褒めてくれたぐらいだ。しかし、これらはあくまで軍に携わる人間だけだ。通常業務しか行わない社員達からしてみれば、何故負けた、と、冷たい視線を送ってくる。
「普通の社員の事は気にしないほうがいいですよ。あいつらは何も分かっていないんですから」
「アサヅキ部長は、人の心が読めるのか?」
聞いた途端、アサヅキはいつもの人の良さそうな笑顔を浮かべた。いつもなら、表情は笑っていても、目が笑っていないことが多いのだが、今日は珍しい事に目も笑っている。
「何を馬鹿な。そんなこと、超能力者じゃあるまいし、出来ませんよ。ただ、グローリィさんの顔に出ていただけです」
そんな顔をしていたのだろうかと、グラスに映る自分を見てみる。グラスに映るグローリィの顔は、どことなく疲れたような雰囲気を漂わせているだけで、いつもと大した違いは無い。
「多分、素人には分からないと思いますよ。諜報部なんて部署にいますとね、空気を読む術に長けてくるんですよ。そういう、仕事ですから」
「そうか……私のようなパイロットしかやってこなかった人間には、分かりそうに無いな」
「でもグローリィさん、大学は心理学部なんでしょう?」
「心理学といっても、臨床心理学に児童心理学に発達心理学など色々あるからな。私は犯罪心理を専攻していた」
「基礎は全部一緒なんでしょう? 女の子と付き合うときに、便利なんじゃないんですか?」
アサヅキは羨ましそうな視線でグローリィを見るが、アサヅキの思っているように、心理学を勉強したからといって女性の心理が分かるものでもない。人間の心というのは、何とも複雑怪奇なもので、いくら研究したところで全貌を解明することは不可能だ。
「アサヅキ部長。一つ言っておきます、心理学を学んでいる学生とは付き合わないほうがいい。本音を全て引き出されますよ」
「そういうものなんですか?」
「そういうものです。ただ、心理学を学んでいる途中の学生は、自分でも分からないうちに相手をカウンセリングしてしまうことがありますから。よしたほうがいいですよ」
「なるほど、覚えておきましょう。それよりも――」
アサヅキは自分の前に置かれていたグラスを手に取り、胸の辺りまで持ち上げた。
「手術はいつ受けるんです?」
「明日、検査をして、そこから一週間と少ししてからです。その間までは、休暇を貰いました。多分、この後、しばらく休暇は無いでしょう」
「そうですか。では、何にかは分かりませんが、乾杯でもしましょう」
「良いですね」
アサヅキとグローリィのグラスが合わさる。静かで澄み切った音が鳴った。
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翌日、ミラージュの管理する病院で検査を受けた。検査といっても、血液を採取してレントゲン写真を撮るだけだ。ただ、それだけだ。実にあっけない。全くの余談だが、ここでの結果はグローリィに通知されない。この検査は、人工臓器との適正を調べるためで、健康診断ではないのだ。
採血を終え、待合室に戻り、開いている席が無いかと見渡す。二月だというのに、待合室には人が少なく、好きなところに座れそうだ。適当な所に座り、壁に掛かっているテレビに目をやった。
放送されているのは、ミラージュの経営するテレビ局のニュースで、現在の戦局が報じられていた。人々を動揺させぬようにと、スターリングラードでの敗北は伝えられていない。代わりに、クレストAC部隊の行ったミッドウェー制圧作戦の成功は、日にちの経った今でも戦意高揚のために放送され続けている。
ミラージュのテレビ局で放送される、クレストAC部隊の活躍ぶりを見るのは辛い。本当なら、今頃はスターリングラード制圧に盛り上がっていたはずなのだ。しかし、予想外のAC出現により作戦は失敗に終わった。
「隣に座ってもいいですか?」
「お好きなように」
「それでは失礼します」
隣に誰かが座り、椅子のクッションが僅かに沈む。石鹸の匂いが漂ってくる。隣に座った人から漂ってくるようだ。さっきの声音からして、女性だろう。
「一つお聞きしてもいいですか?」
「構いませんが、何でしょうか?」
「何故、強化人間になろうと思ったんですか?」
ゆっくりと、首を横に向けた。何故、声を掛けられた時点で気付かなかったのだろうか。隣に座っていたのは、同僚のミラージュ専属パイロットのミヅキだった。
「ミヅキ、何故君がここにいる?」
「健康診断です。明星が修理中なんで、することが無いんですよ。専属になってから健康診断を受けてませんでしたから、この機会にやっておけと言われまして」
そうか、と言って、壁に掛かっているテレビに視線を戻す。何故、強化手術を受けるのか、理由を人に語りたくは無い。
「グローリィさん、年下の私が言うと説教するみたいであれですけど、言わせて貰います。強化人間になるというのは、人の道を踏み外して力を得るということです。そんなことまでして勝利を手にしても、意味はあるのですか?」
「黙れ」
ミヅキは分かっていない。確かに強化人間になるということは、人の道から外れるということだ。だが、そんなことをしてでも、勝利せねばならないのだ。勝つ事に意味は必要ない。必要なのは、勝利すること、そのためなら手段を選ぶ事は出来ない。
「ですが、人の道から外れて勝利しても、そんなのは――」
「黙れと言ったはずだ。ミヅキ、私達は戦士ではない。軍に所属する兵士だ。勝利に意味を求めることも、戦いに意味を求める必要も無い。君には酷かもしれんが、兵士などというのは機械と大して変わらん。その機械として生きることを選んだのなら、何も考えず、ただ上からの指令に従って、敵を討てばいい。君も企業専属パイロットなら、自分の立場を自覚しろ。レイヴンと企業専属は全く違うということを頭に入れておけ」
俯き、黙り込んでしまうミヅキを尻目に、グローリィは席を立った。そのまま、男子トイレへ向かい、個室へと入った。用を足したいわけではないが、沈黙に耐え切れず、逃げ出してしまった。
ジャケットの内ポケットから煙草を取り出しそうになるが、箱を握ったときに、病院であることを思い出した。ミラージュ基地内とは違い、病院内は喫煙室を除いて全て禁煙である。
何もせずに個室を出ると、小用を足していた中年男性が怪訝そうな顔で見てきたが、大して気にも留めなかった。溜め息を吐きながら待合室に戻ると、ミヅキの姿は無かった。
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翌日、明日からの休暇のために、荷物の整理をしていると、壁に埋め込まれているモニターつきインターカムが鳴った。受話器を取り、耳に当てると、モニターに整備班長のウェバーの顔が映し出された。
「何だ?」
「インテグラルのことでちょっと話があってな。悪いけどよ、格納庫まで来てくれないか」
後ろを向き、散らかっている部屋の光景を見た。荷物の整理などは、すぐに出来ることだ。
「分かった、すぐに行く」
部屋を出て、格納庫に向かう間、何故呼ばれたのかを考えた。以前のスターリングラード攻略戦においてインテグラルは両腕を武器ごと失い、コアパーツも修理不可能なほどのダメージを受けた。パーツを取り替えて、元の姿に戻すことは簡単だ。わざわざパイロットを呼ぶまでも無い。では、一体何なのだろうか。
格納庫はいつもと変わらず機械油の匂いが漂い、MTとACが佇んでいる。格納庫内に足を踏み入れると、ウェバーに呼ばれて、彼の側まで歩み寄った。
「こいつを見てくれ」
そう言って、ウェバーは親指を横に向けた。指の向けられた先は、インテグラルが使用しているハンガーで、当然、両腕の無いインテグラルが佇んでいるはずだった。
首だけを横に向けると、そこにインテグラルの姿は無い。代わりに、頭部の無いインテグラルと同じカラーの中量級ACが佇んでいた。武装を見れば、肩にはカルテットキャノン、右腕はレーザーライフルのDRAGON、左腕はデュアルレーザーライフルのGRIFFONが装備されている。
「これは、一体……?」
「インテグラルだ。パーツを交換するんなら、どうせなら強化した方がいいだろうと思って、勝手に装備を変えさせてもらった。改善した点は、EN効率の改善、機動力の向上、弾数不足の解消だ。パーツ構成はこうなっている」
ウェバーが差し出したA四サイズの紙を受け取った。そこには新しいインテグラルに使用されているパーツが掲載されている。変更されたパーツだけを述べると、コアパーツがHELIOS、腕部がGIBBON2、ブースターがGULL、FCSがVOLUTE2に変更されている。オプション関連は目だった変更点は無い。武装は、先ほど述べたとおりだ。
使用パーツを頭に叩き込んだ後、ウェバーに紙を返した。
「どうだい? 良い機体に仕上げてやるからな、期待してくれていいぜ」
「一つ聞きたいのだが、何故頭部が無いのだ? 後、構成では左腕の装備がMOONLIGHTになっているのだが」
「あぁ、それな。頭部は開発局の方でCorusの取り外し中、左腕装備が違うのはMOONLIGHTが今無いから、代わりにだ。届き次第MOONLIGHTに換装するよ」
「そうか……」
呟いて、頭部が無いため不恰好に見えるインテグラルを見上げた。機体の性質は基本的には変わっていないが、シルエットを含め、概観が大きく変わり、別物の機体に見える。
「グローリィ、どうせならよ、機体名も変更しねぇか。パワーアップしてるのに、インテグラルのままじゃあれだろ。どうせならよ、スーパーインテグラルとか、カッコイイ名前を付けねぇか?」
「名前を変える、か。確かに、良いかもしれんな」
とは言ったものの、一体何にすればよいものか。出来れば、カッコよくしたいところだが、スーパーをつけたり、2を付けたりでは芸が無さ過ぎる。
「別に今すぐじゃなくていいんだぜ、思いついたときで。まだロールアウトには間があることだしよ」
「いや、いい名前がある。インテグラルM、というのはどうだ?」
「インテグラルエム? Mにはどういう意味があるんだ?」
「マリーツィア。特に深い意味は無いが、インテグラルマリーツィアという響きが良いだろう?」
「インテグラルマリーツィア……確かに良いな。OK、分かった。登録はインテグラルM? それともインテグラルマリーツィア?」
「インテグラルMで頼む」
「OK。じゃあ、変更してくる」
「頼む」
ウェバーを見送った後、新しいインテグラル、インテグラルマリーツィアを見上げた。装備を見る限りでは、インテグラルよりもバランスが取れ、尚且つ総合的な火力も強化されている。良い機体だと言う他無い。名前以外は。
インテグラルマリーツィアという響きは良いが、何で自分もそんな名前を付けてしまったのだろうか。未だに、彼女の事を忘れられないということなのだろう。
全く、何て女々しい奴なんだろうか、とグローリィは自分を笑った。
登場AC一覧 括弧内はパイロット名
インテグラルM(グローリィ)&No005905k3000Es0lgAa1ME72who8c5Ge082Y0#
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