Armored Core Insane Chronicle
「Episode16 強化後」
2月17日

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 消毒液の臭いが鼻につく。周囲を見渡せば、白すぎる壁が目に痛かった。ベッドから上体を起こした。まだ麻酔が効いているらしく、うまく力が入らない。

 体を伸ばしてみるが、特に以前と違いは無い。手を握り締めて、開く。また握り、開く。強化人間になったとはいえ、いまいち今までとの違いを実感することができない。

 手術前に受けた説明に寄れば、聴覚や視覚を始めとする感覚器官の能力が向上しているというが、本当だろうか。試しに、目を閉じて耳を澄ましてみる。まず、聞こえてくるのは自分の心臓が鼓動する音。風に吹かれた葉がこすれ合う音。廊下を歩く誰かの足音。

 次に、眼を開けて窓の外を眺めてみる。周囲はビルに囲まれているため、遠くが見えない。鼻も、消毒液の臭いしか嗅ぎつけてこない。

 目を覚ましたことを伝えるため、ナースコールを押した。すぐに看護婦と医者が、慌てて部屋に飛び込んできた。看護婦はともかく、医者の表情は不安に満ちていた。手術が本当に成功しているのかどうか、不安なのだろう。

「手術は成功したのですか?」

 訊くと、医者は安堵の溜め息を吐いた。

「一応は。ただ、その後の経過をある程度見なくてはならないので、しばらくの間入院してもらいます。あと、これをやって下さい」

 そう言うと、医者はA四サイズの紙二枚と、一本のシャープペンシルをグローリィに渡した。A四サイズの紙には簡単な質問と、ジュニアハイスクールレベルの国語と数学、それに社会の問題が書かれている。

「これは?」

「強化手術は脳や神経に手を加えるため、場合によっては思考能力などが著しく低下している場合があります。今のところ、グローリィさんにその兆候は見られませんが、念のためにそのテストをやって下さい」

「分かった。制限時間は?」

「二○分です。私が始め、と言ったら始めてください」

「分かった」

 医者は腕時計に目をやり、しばらく経ってから、「始めてください」と言った。

 シャープペンシルを持ち直し、改めて問題に目をやる。ジュニアハイ程度の国語、数学、社会の問題がそれぞれ一〇問ずつ、計三〇問あった。国語は問題を読めばすぐに分かったし、数学もそれほど難しい物は出ていない。だが、公式などは使っていないと忘れるらしく、思い出すのに少々苦労した。

 一通り問題をやり終えた後、ケアレスミスが無いかを確認する。ミスが無いことを確認して、医者の方に目をやると、医者は時計から目を上げた。

「いいんですか? まだ三分ほどありますよ」

「見直しも終わったからな。問題ない」

「そうですか。じゃあ、回収しますね」

 医者はグローリィから解答用紙だけを受け取ると、看護婦を連れて部屋から出て行った。途端、することが無くなり、とりあえずベッドに倒れこんだ。天井はクリーム色で、真っ白でないだけ、まだマシだった。白一色というのは、目に痛い。

 天井を見上げていると、入院するのが久しぶりだということに気付いた。最後に入院したのはナービス紛争の後半だった。ジノーヴィーと戦い、敗北を喫し、その際に肋骨を折ってしまい、やむなく戦線を離脱する事になった。戦線を離れ、入院中に採掘場から現れた機動兵器によってナービス領が崩壊したというニュースを聞いたときに、運が良かったと感じていたことを、思い出した。

 誰か見舞いに来てくれないか、と思うが、おそらく面会謝絶になっているだろうから、来ても、せいぜい人間工学部の連中だろう。もしくは、諜報部のアサヅキか。忙しいくせに、アサヅキはよくグローリィの所にやって来るのだ。まぁ、アサヅキは悪い人間ではないのでどうでもいいが、仕事はしなくていいのだろうか。

 グローリィは頭の中を空っぽにしようと、首を横に振った。アサヅキのことなど、本当にどうでもよく、そんなことを考えてしまうぐらいに退屈しているということか。

 本当に、誰か見舞いに来てくれないだろうか、と思ったときに、部屋のドアをノックする音が聞こえた。


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「どうぞ」

 と言うと、ミヅキがどこか申し訳無さそうに部屋に入ってきた。バスケットに入った果物の詰め合わせを持って。

「失礼します……」

 消え入りそうな小声で言って、ミヅキは部屋のドアを閉め、ベッドの側までやってきた。そして、ベッド脇におかれていた丸椅子に腰を落ち着けた。

 ミヅキはサイドボードにバスケットを置いたきり、何も喋ろうとはせずに、窓の外を見ていた。視線の先を追ってみるが、病院の庭に植えられた木が一本見えるだけで、特に目を引くような物はない。

 何をしに来たのか聞こうと思ったが、黒く澄んだミヅキの瞳を見ると、何も言うまいと思った。側に誰かいるというだけで、退屈さは緩和されるものだ。

 そういえば、出会ったばかりのマリーツィアも今のミヅキのようだった。マリーツィアと初めて会ったのは、大学の友人に誘われて合コンとかいうものに参加したときだ。周りは偉く騒いでいたが、グローリィとマリーツィアは場の雰囲気に馴染めず、ずっと黙りこくっていたのだ。

 合コンが終わったとき、それぞれ気の合うもの同士でどこかに行ってしまい、結果としてグローリィとマリーツィアが二人だけ残されたのだった。その時、多少気まずかったものの、何故か目が合った瞬間、笑いあったものだ。今となっては、懐かしい過去の思い出に過ぎない。

「手術、成功したんですね」

「まぁな。これで、人ではなくなったわけだ」

 言って、グローリィは自嘲気味に笑った。自分の選んだ道とはいえ、後悔をしていないわけではない。強化人間になってしまえば、どのような弊害が待っているか分からず、これから先の人生は戦うことしか出来なくなる。二度と、昔夢見た、平凡な生活など出来なくなってしまうのだ。

 胸中に一抹の寂しさらしき物がよぎるが、気にしないように務めた。そんなものに囚われてしまえば、これからさきの戦いは、地獄でしかない。

「辛そう、ですね」

「そうだな……だが、自分の選んだ道だ。弱音を吐くわけにはいかん」

「グローリィさん。あなたは、独りじゃありませんから」

「どういう意味かな?」

「スターリングラードで言っていたじゃないですか。私は独りで生きているんだ、って」

 そういえば、そんな事を言っていた気もする。ミヅキは覚えているようだが、肝心の本人が覚えていないのは、どうだろうか。

「アンデルさんもいますし、私もいます。グローリィさんは、独りじゃありませんよ」

 嬉しいことを言ってくれるが、素直に喜べない。自分は独りでなければいけないのだ、戦うことしか出来ない自分は、誰かを傷つけることしか出来ない。修羅の道を歩むのに、誰かと共には歩けない。

「何かあっても、私がいます。役不足かもしれませんが、私がグローリィさんの事を覚えておきます」

「ミヅキ、それはどういう――」

 グローリィの言葉を遮るようにして、ミヅキはグローリィを抱きしめた。喉まで出掛かったことが引っ込み、何処かへ消えてしまった。

 ゆっくりと、染み渡るようにミヅキの体温が伝わってくる。グローリィは、自分でも分からないうちに抱き返していた。マリーツィアにもこんな事はしなかったのに、会ってまだ一ヶ月も経っていないのに、何故、と疑問に思うが、すぐに答えは出た。結局のところ、人の温もりを感じていたいだけなのだ。

 誰かに支えてもらいたくて、抱きしめてもらいたくて。常に付き纏っている孤独感を払拭してくれるのなら、誰でもいいということなのだろう。そこに恋愛感情と呼べるような物は、おそらく無い。

 だが、ミヅキはどうなのだろうか。今までの彼女の行動や言動を思い直してみると、好意を持たれていたのは分かる。しかし、いきなり抱きつかれるとは思わなかった。

 ミヅキの顔を見ようと思ったが、グローリィの胸に顔を埋めてしまっているため、表情が分からない。ミヅキを抱きしめながら、彼女に悟られぬよう、心の内で自らを嘲った。結局、抱きしめてもらえるのなら誰でもいいのか、と。


/3


 シミュレーションを終え、筐体を出てヘルメットを取った。瞬間、冷たい空気が汗を冷やし、体温を奪ってゆく。火照った体は、あっという間に冷めてしまった。

「インテグラルMはどうだった?」

 そう言いながら、ウェバーはグローリィに歩み寄った。

「使いやすかった。見事な調整だ、実機もあれと同じか?」

「もちろんだ。レスポンスをかなりシャープに設定してあったんだが、大丈夫だったみたいだな」

「そうなのか?」

 操縦中の感覚を思い返してみるが、以前よりも動かしやすいと感じたが、敏感に設定されているとは感じなかった。どれぐらいシャープにされていたのかが分からないため、強化人間になってどれ程能力が強化されているのかも分からない。

「あぁ、前の三五パーセント増しだ。Corusも無いのに、よくやるよな」

「強化したせいだろうな」

「そうか? まっ、お前さんなら強化しなくとも動かせただろうけど」

 そう言って、ウェバーはグローリィに笑顔を向けた。ウェバーの言うように、強化せずともじゃじゃ馬のインテグラルMを乗りこなすことぐらいは出来るだろう。だが、乗りこなすだけでは駄目なのだ。それでは、限界がある。

 普通の人間では決して超えることの出来ない限界があるのだ。それを超えるには、強化するしかない。そうせねば、フリーマンのいるところにはたどり着けない。

「グローリィ、あんまり考え込んじゃいけねぇよ。深く考えないこった、強化したからってお前さんの人柄が変わるわけじゃ無いんだからよ」

「だといいがな」

 強化人間になったせいで、性格が攻撃的になるのはよくあることらしい。自分も、いつそうなるか分からない。それよりも、考えていることが顔に出ていたのだろうか、と考えながら使用していたシミュレーションマシンの隣にある、もう一台のシミュレーションマシンに歩み寄った。この中には、ミヅキがいるはずだ。

 シミュレーションマシンのハッチをノックすると、ハッチが開き、ミヅキが顔を覗かせた。シミュレーションマシンの中で、ミヅキはヘルメットを外して、シートにもたれていた。顔には、疲労が色濃く見える。

「どうした? 骨でも折ったか?」

 ミラージュ軍が使用しているシミュレーションマシンは、被弾時の衝撃もほぼ完全に再現する優れものだ。正に実戦同様の仮想戦闘が行えるのは便利だが、あまりにもリアルすぎて怪我をする者も多い。

「いえ、そういうわけじゃないんです。ただ、ちょっと疲れていて」

「寝不足か?」

「まぁ、そんなところです」

 曖昧な返事だが、追及する気も無い。それに、寝不足の理由を聞いたところで建設的ではない。

「で、どうだった?」

 シミュレーションの感想を聞くと、ミヅキは明らかな苦笑の表情を浮かべた。

「グローリィさん、私を瞬殺しておいてそれは無いでしょう」

「瞬殺? シミュレーションでか?」

「それ以外に何があるんです」

 シミュレーション中の事を思い出してみるが、瞬殺というには少し時間が掛かりすぎている気がする。とにかく、詳しい結果を知る必要があるのだし、シミュレーションを監視していた社員に戦闘時の映像を二台のシミュレーターマシンの間にある大型モニターに流してもらった。

 CGで作られたインテグラルMの動きを見て、おかしい、と思ってしまった。画面に映るインテグラルを動かしているのは間違いなく自分で、戦法も以前と変わりない。だが、どこか違う。

 隣に来たミヅキが感嘆の息を吐くのが聞こえた。

 一通り映像を見終えた後、インテグラルの映像を流してもらった。一体、どこが違うのか比較するためだ。基本的にはまったく変わりなかったが、動きのキレが違う。それに、全体的な動きが速い。強化しただけで、ここまで違いが出るものなのだろうか。

「どうしたんですか? 難しい顔して」

「いや何、強化しただけでここまで変わるものだろうか」

「やっぱり反応速度が向上しているせいじゃないですか。それよりも、私達のオペレーターが変わるっていう話は聞きましたか?」

「オペレーターが変わる? いや、聞いていないが」

 オペレーター変更とは、人事もとんでもない事をしてくれる。パイロットとオペレーターには信頼関係が非常に重要になる。戦時中の今にオペレーター変更とは、無茶がありすぎる。

「私を担当していたオペレーターが産休に入るんです。代わりにアンデルさんが私のオペレーターになるそうですよ」

「では私はどうなる?」

「聞いた話では、別の地区に優秀なオペレーターがいるんで、その人を付けるそうですよ」

「だといいがな」

 いくら優秀なオペレーターが担当になったとしても、気が合わなければ意味は無い。いい加減、上層部も現場の事を分かって欲しい物だ。いつも無茶な注文が多すぎる。

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