Armored Core Insane Chronicle
「Episode19 オペレーター」
3月1日

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 食事を終えても、グローリィは食堂から立ち去らなかった。アンデルに、食事を終えたらそのまま待っておけ、と言われたからだ。

 空になった皿を前にして、座り続けるグローリィに不審の視線が送られる。長く座るため、あまり人の来ないゴミ箱がすぐ側にある席に座ったのだが、昼時ではそれですら邪魔になる。

 一般社員たちから、痛いぐらいの視線を浴びせられる。グローリィとて、長くいるのは嫌だが、待ち続けるしかない事情があるのだ。どんな事情があるにせよ、昼休みの限られている一般社員たちからしてみれば、グローリィは邪魔者に他ならない。

 スターリングラードでの敗北以降、一般社員の軍人を見る目は険しくなっている。そんな視線に長時間さらされ続けるのは、流石に強化人間といえどもこたえる。

 とっとと立ち去ってしまおうかとも思ったが、待たなければならない理由を思うと、出来ない。今日、グローリィが食堂で待たされている理由。それは、新人オペレーターとの顔合わせなのだ。

 本来ならば、人事異動は四月に行われる。だが、今回は戦時ゆえに、特別に一月繰り上がったのだ。

 煙草を取り出しそうになるが、テーブルの上に灰皿はない。代わりに、禁煙と書かれたプレートが立てられている。舌打ちして煙草をしまいなおす。

 何故か、フライトジャケットに入れっぱなしになっているトランプを取り出した。ケースから出し、何の気なしによく混ぜる。シャッフルしながら、どうやって時間を潰そうかと考えるが、手元にあるのはトランプがワンセットだけ。相手をしてくれそうな人はいない。ソリテリアでもやろうかと考えたが、傍から見たらただの寂しい奴ではないか。

 トランプをテーブルの上に置き、腕を組んだ。本当に、どうやって時間を潰そうか。食堂が禁煙である以上は煙草を取り出すのはマズイ。手元にあるのはトランプだけ。何かカードゲームを、とでも思うが、一人でやっても虚しいだけだ。こういうのは、相手がいなければ意味を成さない。

 溜め息を吐いて、背もたれに体を預ける。気のせいかもしれないが、最近、椅子にもたれ掛かって溜め息を吐くことが多いように思う。あまり溜め息を吐くほうでは無いのだが、疲れているのだろうか。溜め息を吐くと幸福が逃げてゆくと聞くし、あまり吐きたくは無いのだが、無意識に行ってしまうためどうしようもない。

 することが無く、真正面の壁に掛けられている柱時計に目をやった。この時代に、振り子で動く時計は珍しい。規則正しく動く振り子に、目の焦点が合う。右、左、右、左と見ているうちに目蓋が重たくなってくる。まずいな、と頭では分かっていても体が言うことを聞かない。

 心地よいまどろみの中、懐かしい声を聞いたような気がした。

「よう、待たせたな」

 声を掛けられ、同時に誰かの手が肩に乗せられる。それで、目が覚めた。とはいえ、どことなく頭の中はまだ靄がかかっている。

「アンデルか。待ちくたびれたぞ」

「悪いな。新人が道に迷ってて、それで遅れちまった」

 言いながらアンデルはグローリィの正面の席に座る。その隣に、女性が座る。彼女がアンデルの代わりにグローリィを担当するオペレーターなのだろう。

 何の気なしに、新人オペレーターの顔を見た。途端、グローリィの時間が止まった。思考回路も、目の前の現実を受け止めきれず、うまく処理を行ってくれない。目の前の現実は有り得ない、というよりも、あって欲しくない。

「こちらは今日からお前の担当になる、マリーツィア=ノービスさんだ」

「マリーツィア=ノービスです。以後、よろしく」

 言って、マリーツィアは事務的な微笑を浮かべながら頭を下げた。そこで、ようやく現実を認識することが出来た。

「何をしにきた……マリーツィア、ここは君の来るところじゃない」

 アンデルの目が丸くなる。当然だ、アンデルからしてみれば、専属パイロットと他地域から異動してきたオペレーターが知りあいだとは思っても見なかったはずだ。しかも、どこかワケありときている。驚くのが当然の反応だ。

 マリーツィアは事務的な微笑を浮かべるのをやめた。代わりに、グローリィの見慣れた、いつもの優しい笑顔になる。胸が、締め付けられた。


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 力強く、拳を握り締めた。爪が肉に食い込み、赤い血が滲み出る。マリーツィアは優しい笑顔のまま、グローリィを見つめたまま、何も言おうとはしない。だが、グローリィにはマリーツィアが何を言わんとしているかが分かる。

 そのマリーツィアの無言の言葉は、グローリィにとって救いとなる。しかし、受け入れるわけにはいかない。受け入れれば、グローリィは救われるだろう。だがマリーツィアは、辛い目に合う。自分のために、彼女を不幸にするなんてのは、耐えられない。

「ジェス……」

 マリーツィアが呟いた。抱きしめたい衝動に駆られるが、何とか抑える。

 どうすればいい、自分はどうしたいんだ、と自問する。答えはとっくの昔に出ている。マリーツィアと一緒にいたい、だが、それでは彼女を苦しめる。だから、一緒にはいれない。第一、この身は既に外道に堕ちた身だ。人並みの幸福を願うなど、分不相応としか言いようが無い。

 席を立つ。アンデルとマリーツィアが不思議そうな目でグローリィを見る。

「今日はただの顔見せなのだろう? だったら、もう用は済んだはずだ」

「あ、あぁ。そうだけどよ、どうしちまったんだ? 何か変だぞ」

「なに。やることが溜まっているだけだ」

 二人に背を向けて食堂を出る。後ろめたい気持ちが、自然と早足にさせた。一体、何がどうしたというのか。何故、こうも胸の中がざわめき立つのか。喜びなのか、怒りなのか、どちらか分からない。おそらくは、両方だ。

 歩くペースはさらに速くなり、既に早足ではなく駆け足になっていた。すれ違うスーツ姿の社員が怪訝な目でグローリィを見た。気にも止まらない。

 知らず、格納庫の側まで来ていた。格納庫に通ずる扉の脇にある、透明の壁に覆われた喫煙室に入る。グローリィが中に入ると、センサーが作動し、喫煙室の天井に設置されている換気扇が起動した。

 煙草を一本口にくわえ、火を吐け、紫煙を吐き出す。吐き出した煙は天井の換気扇へと真っ直ぐに吸い込まれていった。煙草のおかげか、少しばかり気持ちが落ち着く。喫煙室に備え付けになっているパイプ椅子に腰を落ち着けた。灰皿に、灰を落とす。

 マリーツィアが来たからといって、何を動揺しているのだろうか。今の自分を見られたくなかったからか。いや、おそらく違う。折角、築き上げたこの仮初の自分が崩れてしまいそうで怖いのだろう。言うなれば今のグローリィは、正義という名の仮面を被っているに過ぎない。戦うために、憎しみを解き放つために。

 頭痛がする。人工臓器の拒否反応ではない。現実を認識したくないという思いが、現実を否定する。だが、現実を否定することなどできるはずが無い。逃避できる場所も無い。呼吸が乱れだした。

 落ち着けと言い聞かせながら煙草を吸う。壁と同じく、透明の扉が開いた。黒いスーツ姿のアサヅキが入ってきた。アサヅキは、灰皿を挟んで向かい側のパイプ椅子に腰を落ち着けた。

「相変わらず辛そうですね。私がこんなこと言うのも何ですけど、怒らないで下さいよ。あのオペレーターに、ちょっとは甘えてもいいんじゃないんですか? 昔、付き合ってたんでしょ? よりもどせばいいじゃないですか。そうすれば、少しは楽になるんじゃ――」

 灰を落とすために、灰皿へ煙草を近づける。ただそれだけの動作なのだが、アサヅキの肩が僅かに震えた。今の発言のせいで怒らせたとでも思ったのだろうか。だとしたら心外だ。それにしても、流石は諜報部の部長だ。知らぬ間に、マリーツィアとの関係を調べられているとは。では何故、マリーツィアをオペレーターにするような真似をするのだろうか。

「一つ聞きたい。何故、マリーツィアを私のオペレーターに選んだ? 通常ならば、マリーツィアはミヅキのオペレーターになると思うのだが」

「みんな、心配してるんですよ。グローリィさん、あなたはあなた自身が思っている以上に人望が篤いんですよ。だから、みんなあなたに辛い目にあって欲しくないんですよ。だからです。マリーツィアさんなら、あなたを癒せるんじゃないかって。まっ、決めたのは作戦司令部なんで、詳しくは知りませんがね」

「そうか」

 呟いて、視線を下に落とす。周囲に余計な心配をさせていたとは、全く気付かなかった。不甲斐なくなる。それほどまでに、最近の自分は弱く見えるのだろうか。

「無理は駄目ですよ。絶対に。あなたを見ていると、何もかも独りで背負い込もうとする。あなたには、支えてくれる人がいるんだ。少しは、弱音を吐いた方がいい」

 アサヅキの言うことはもっともだ。マリーツィアに甘えることは出来る、何だったらミヅキでもいい。だが、甘えることは出来ない。いや、してはならないのだ。マリーツィアの前から姿を消すときに、名前を捨てると同時に仮面を着けたのだ。誰かに甘えれば、仮面の下にある素顔を晒す事になる。

 果ての無い、尽きることの無い憎悪と憎しみが渦巻く心の内を、知られたく無い。

 いつから、こうなってしまったのだろうか。いつから、弱い自分を認めることが出来なくなったのか。いつから、弱い自分を知られたくなくなったのか。心を許したはずの、マリーツィアにでさえ。


/3


 深夜、シミュレーションを終え、筐体を出るとタオルを持ったマリーツィアが立っていた。マリーツィアは微笑みながら、タオルを差し出した。春先で、まだまだ寒いとはいえ、長時間シミュレーションを行っていたせいで、汗だくになっている。タオルを受け取るだけなら、大丈夫なはずだ。

 タオルを受け取り、汗をふき取る。グローリィが汗を拭き取ったのを確認すると、マリーツィアは手の平を向けた。タオルを返せと言うことらしい。とりあえず、礼を言ってタオルをマリーツィアに返した。

「ねぇ、ジェス」

「前にも言ったはずだが、私はグローリィだ」

「じゃあグローリィ。今、時間ある?」

 腕時計を見る。時刻は深夜一時を回ったところ。明日は朝からやるような用事も無いため、多少の寝坊は大丈夫だ。マリーツィアに視線を戻して、頷いた。

「そっ。じゃあ付いて来て」

 昔と変わらぬ笑顔で、マリーツィアは後ろを向いて歩き出した。一体、どこへ行こうというのだろうか。以前に、何をするつもりなのだろうか。今は、付いて行くことしか出来ない。

 非常灯だけが灯る廊下を、マリーツィアに続いて歩く。深夜の廊下に、二人の足音だけが響く。誰ともすれ違うことは無かった。マリーツィアは廊下の突き当たりにある、両開きの扉を開けた。途端、冷たい夜気が頬を撫でていった。

 マリーツィアがテラスに出る。グローリィも後に続いた。服に染み込んだ水分が体温を奪う。

「こんな所に連れ出して、何の用だ?」

 マリーツィアが振り向く。相変わらず、笑顔を浮かべたままで。胸が締め付けられた。

「用っていうほどのことじゃないよ。ただ、ちゃんと話したくってさ。昼間に急に何処かに行っちゃうんだもん、驚いたよ」

 目を逸らす。マリーツィアの笑顔を見ているのが辛かった。彼女は純粋に、自分と会えた事を喜んでいる。だが、グローリィはそうではない。確かに、マリーツィアといれるのは喜ぶべきことだが、手放しでは喜べない。彼女と一緒にいれば、弱くなってしまうのではないか、そんな考えが脳裏を掠める。

「体調でも悪いの?」

 いつのまに近付いたのか、側に来たマリーツィアが顔を覗きこんでいた。思わず、一歩後ろに下がる。マリーツィアの手が伸び、グローリィに額に当てられた。マリーツィアは自分の額にも、同じように手を当てた。

「熱は、無いみたいね」

 何でこう、周りの女性は調子が悪そうな人間を見ると額に手を当てるのだろうか。調子が悪いといえば風邪、とでも思っているのだろうか。

「まさか……!」

 マリーツィアの顔から笑みが消え、深刻そうな表情に変わる。

「お医者さん呼んでくる!」

 言うが早いか、マリーツィアは踵を返して駆け出そうとする。グローリィはマリーツィアが駆け出すより速く、彼女の腕を掴んでいた。マリーツィアが悲痛な顔で振り向く。

 一体、マリーツィアが何を考えたのかは知らないが、医者を呼ぶ必要はどこにも無い。体調が悪そうに見えても、それは精神的なもので、断じて肉体的なものではないのだ。マリーツィアが腕を振り払おうとするが、掴む手に力を込めて止める。それで、マリーツィアも流石に気付いたらしい。

「拒否反応が、出てるんじゃないの……?」

 首を横に振る。すると、マリーツィアは糸の切れた人形のようにその場にへたり込んでしまった。手を貸して、マリーツィアを立たせる。

「何よそれ、心配して損したじゃないのさ」

「そっちが早合点しただけだ」

「じゃあ違うって早く言ってよね。もしかしたら赤っ恥かいてたかもしれないんだから」

「聞かずに行こうとしたのは君だろう」

「そ、それはそうだけどさ……」

 返す言葉が無いのか、マリーツィアは頬を赤らめて俯き、自分の指を絡めている。そんな彼女の姿を見て、頬の辺りの筋肉が緩むのが分かった。即座に力をいれ、筋肉を緊張させるが、効果が出ているか分からない。下手をすれば、引きつった笑みになっているかもしれない。

「でも、良かったよ。ジェス、違うね。今はグローリィ何だよね? 名前が変わっても、全然変わってないんだもん」

 そんな事は無い、はずだ。まだマリーツィアは知らないだけだ、この両手が汚れてしまっていることを。数々の非人道的な行いの片棒を担いできたのだ。極め付けに、強化人間にまでなっている。ここまでやっておいて、汚れていないはずが無い。

「だと、良かったのだがな」

 胸に軽い衝撃。続いて、ちょうど良い具合に熱さが全身を温める。マリーツィアが抱きついていた。

「ねぇグローリィ。苦しい時はいつでも言って。私だったら、全部受け止めてあげる。私を捨てようとしたことも、何も言わない。だから、何かあったら私のトコに来て。ううん、来るの。辛いことも、悲しいことも全部受け止めてあげるから」

 マリーツィアを引き離した。彼女の眼を見ると、濡れていた。今のマリーツィアの言葉は喜ぶべきことなのだが、素直に喜べない。彼女の申し出を受ければ、同じ道を歩ませる事になる。憎悪に彩られた道を、歩ませたくは無い。

 背を向けて、建物の中へと戻る。後ろから、「ジェス……」と呼ぶ声が聞こえるが振り返る気は無い。振り返ってしまえば、過去の自分へと戻ってしまう。ただ、安息だけを求めたレイヴンの頃に。今の自分はレイヴンではなく、企業に所属する一介の兵士なのだ。安息など求めるべきではない、求めるべきは勝利だけ。

 そのためには、マリーツィアの胸の中に戻るわけには行かないのだ。マリーツィアはその場で立ち尽くしているようで、視線は感じるが、自分の足音以外聞こえなかった。

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