/1
ミラージュ支社の地下には勾留施設がある。普段は警備部の人間が、犯罪の容疑者などを捕らえたときに使われるものだが、今勾留されているのは、一民間人だ。何もしていない、ただ、若さに身を委ねて間違いを犯してしまった少年が捉われている。
少年が気になったのは、彼が拷問を受けたからだとかそんな理由ではない。自分の捉えた男がどうなったのかが純粋に気になったのだ。
黒ずくめの諜報部に所属している男に付き添われ、グローリィは少年が捉われる独房の前に立ち、覗き穴から中を覗いた。光の無い部屋、少年は奥の壁に背を預けて座ってた。顔までは光が届かず、表情が分からない。見えたところで、原型を留めていないのは確かだろう。だらしなく垂れ提げられた手の指の先は血で赤黒く染まっていた。
「どこまでやったんだ?」
覗き窓から顔を離し、諜報部の男に聞いた。黒ずくめの諜報部員は、表情を変えずに答える。
「マニュアル通りに身体的な苦痛をまず与えました。しかし、それでも吐かなかったため、やむをえず“アレ”を使ってしまいましたが」
「どうだった?」
「サディストが喜びそうな光景でしたよ。おかげで重要な情報が手に入りました」
「それは?」
「連中、この支社に攻撃を仕掛ける気でいるんですよ。年明けと同時に。グローリィさんには、また作戦部のほうから連絡があると思います。ただ、一つ懸念事項がありましてね……」
また覗き窓に顔を付け、中の様子を覗いて見る。少年は動かず、独房の中からは生気が全く感じられない。死んでいるのかと思ってしまいそうになるが、少年の胸は微かながらも上下運動を繰り返し、生きていることを伝えていた。薬を使用された人間がどうなるか知らなかったが、予想していたよりかはマシなようだ。
「懸念事項というのは、何だね?」
「この少年が行方不明扱いになっているということです。インディペンデンスとて、我々と張り合うだけの武力を持つ組織ですから、馬鹿ではないでしょう。もしかしたら、念のためにということで襲撃を延期、もしくは中止をする可能性が――」
「それはないな」
彼奴等テロリスト共にとっては、年明けと同時でなくては意味がない。タイミングはおそらく、初日の出と同時。そうすれば、成功したときに民間人に与える影響は他に日に襲撃したときよりも大きくなるだろう。
「しかし……テロリスト共はどうやってここを襲撃するつもりだ」
「変更される可能性はありますが、海から攻める気だそうです」
訊いたつもりは無かったのだが、諜報部員は答えた。
なるほど、海か。ミラージュ支社は海に面しているため、揚陸艇を使えば乗り込むことも可能だし、艦船からのミサイル攻撃も充分に可能だ。その割には、警備の目はもっぱら空と陸に集中しており、海は盲点と化している感がある。
「今日はきてよかった、後から分かる情報とはいえ、何となく気分がいいものだ。ありがとう」
諜報部員に適当な謝礼を述べて、上に戻ろうと思ったが、その前にしておくことがある。少年のいる、独房の前に立ち、腹に力を込める。
「そこまで言ってしまっては、君は裏切り者と大差は無いな!」
大声で言ってから、また諜報部員に付き添われ、上へと続く階段を登った。
/2
「ウェバー班長、整備にはどれぐらい掛かる?」
「うーん……ここまでやられちゃぁなぁ……余剰パーツがあるとはいえ、俺らだってインテグラルばかりに手を掛けられねぇから、まだ数日は必要だな」
「そうか……」
二日前の一二月二五日、レイヴンズアークへのパフォーマンスのためにアリーナの護衛についていたときのことだ。どこからの依頼を受けたのかは知らないが、ゼロネームの襲撃、さらにはデュラハンの襲撃があり、撃墜こそされなかったものの、インテグラルは中破。右腕はもげ、コアと頭部の装甲は穿たれて内部構造が露になっている。
調整を含め、あと四日以内に直らなければ、必ず来るであろうインディペンデンスの水上戦力を迎撃することは不可能だ。もっとも、敵が海から来るのであれば、中量二脚のインテグラルに出番は無い。それでも、砲台の代わりぐらいにはなるだろうが。
「まっ、そう残念な顔をするなって。何でか知らないが今朝方、お前さん用にACが一体搬入されたからよ」
「どこにある?」
「あそこだよ」
と言って、ウェバーが指を指したハンガーには薄い水色に塗られたフロート型ACが鎮座している。武装は肩にレーザーキャノンが一門、右腕はプラズマライフル、左腕はスナイパーライフル、と攻撃力が重視されているようだ。
フロート型、加えて武装類をエネルギー兵器中心にしているということは水上での、それも対艦戦闘を主眼に置いていると思って間違いは無いだろう。迎撃装置が発達したこの時代、艦を沈めるのならばミサイルやロケットよりも、迎撃不可能なエネルギー兵器の方が向いている。しかし、エネルギー兵器はエネルギー消費量が多いため、フロートの長所である高速移動がしづらいという面もある。
「しっかし、何でフロートなんだろうな? お前さんが乗るんだったらインテグラルやノーヴルマインドと同じ中量二脚の方が良いだろうに。上は一体何を考えてるんだか」
ウェバー達、整備員には何も伝えられてはいないらしい。とはいえ、すぐに知る事になるだろうが。あの少年から得た情報は特に秘密にされているわけではない。秘密にしたいのであれば、作戦直前までグローリィの耳には入ってこないだろう。
「上層部には上層部の考えがあるのだろう」
「そんなもんかね。俺ら整備員にはいつまでも分かんねぇんだろうなぁ」
「その様なことは無いと思うが」
「でもよ、お偉方と俺らじゃ頭の作りが違うと思うんだよな。ロンバルディア条約だって何であんな、企業に対して、とか付けるんだろうな? 別にいらねぇと思わねぇか?」
同意を求めているらしく、ウェバーはさらに「なぁ?」と付け加える。
「ロンバルディア条約がインディペンデンスへの脅しも含まれているからだ。これ以上、我々の邪魔をするならば核の使用も辞さない、という脅しだよ」
「核って……おいおい、いくら何でもそりゃヤベェだろ」
グローリィは頷いた。ウェバーの言うように、幾らなんでも核兵器はやりすぎだ。生物・化学兵器も同様、決して使用されてはならない武器なのだ。もし使用されてしまったのならば、ABC兵器は誰だって簡単に作ることが出来る、報復の応酬が繰り広げられ、バルカンエリア一帯は草木一本生えぬ死んだ土地になってしまう。
企業の上層部もそのことは理解しているはずだ。というよりも、そう思いたい。大量破壊兵器使用の決定権を持つ人間は、はっきり言って別次元の存在といっても過言ではない。企業により違いはあるが、決定権を有する役員会を構成するメンバーの多くは幼少の折より周囲から隔離させられ、企業を動かす存在として育てられた者が多い。
人づての報告と映像だけで現場を判断するような連中が良識を持っているとは思えないが、それでも信じるしかない。
「何があろうと、核だけは使わないと思うが……やはり、断言は出来ないな」
「やっぱり、そんときゃACの出番なのかね……」
ウェバーは自分が手塩に掛けて整備しているAC達を見回しながら、苦々しい顔をした。もし、自分が手を入れたACが大量殺人の道具に使われるのは堪らないものがあるのだろう。
グローリィも、自分が核を使うのは堪らない。それが欺瞞だと分かっていても、ウェバーもグローリィも、嫌なものは嫌なのだ。何としても、インテグラルやインスペクターに核弾頭の発射装置が装備されることだけは避けたい。そのためにも、一日も早くインディペンデンスの殲滅。そして、デュラハンの正体を突き止めねばならなかった。
/3
翠屋という名前の喫茶店で、グローリィはコーヒーを啜っていた。店内を見渡せば、客のほぼ全てが女学生で、自分がここにいるのは場違いかなと思ってしまう。年頃の女学生達が多ければ、それはとてもうるさい。耐えられないほどではないが、長時間に続けるのは勘弁願いたい。
壁に掛かっている時計を見れば、時刻はちょうど午後二時になったところだ。この店に入って約三〇分が経過している。
(まったく、人を呼び出しておいて待たせるとは……どういう了見だ)
心の中で毒づいた。コーヒーをもう一杯貰おうと、ウェイトレスを呼んだ。あぁそうだ、ついでにシュークリームでも頼んでみるか。聞いた話では、翠屋はシュークリームが美味しいらしい。そのシュークリームを食べるために常連客となっているレイヴンも数名ほどいるらしい。といっても、今の時間帯はそれらしい人間はいないが。
背もたれに体を預けながら、溜め息を吐く。セラは何時になったら来るのだろうか。待ち合わせ時間は午後一時半。グローリィは待ち合わせ時間の五分前ぐらいに来たのだが、店内にセラの姿は無かった。五分前行動を基本としているグローリィにとって、三〇分の遅刻というのは許せないものがある。
煙草を吸おうか、と思いテーブルの上を見渡すが、灰皿の類は一切無い。他のテーブルを見ても、灰皿の類は見当たらない。どうやら、この店は全席禁煙らしい。取り出そうとしていた煙草を、ポケットの奥へとしまいなおす。最近、どの店も全席禁煙になって困る。喫煙者と非喫煙者では、非喫煙者が優先されるのは理解できるが、隔離されてもいいから喫煙席を用意して欲しい。アリーナでも、喫煙室は端っこに一つだけ、しかも広さはたった三畳ほどしかない。せめて数を増やして欲しい。
煙草は副流煙で人様に迷惑を掛けてしまうのも分かるが、近年の喫煙者いじめは異常すぎる。煙草が必要な場面もあるというのに、煙草の持つ重要性を理解せずにただ一方的に、健康に悪い、の一言で済まして欲しくは無い。喫煙者の大半は煙草が健康に悪く、依存性もあることぐらい知っている。それでもやめないのは、煙草が要る場面も世の中には多いということだ。それを理解しない非喫煙者にはほとほと呆れてしまう。これからも、どんどん喫煙者の肩身は狭くなっていくのだろう。あぁ、想像しただけで何と生きづらい世の中だろうか。
喫茶店のドアに付けられたベルが、澄んだ音を響かせた。出入り口に目をやれば、息を切らせながら店内を見渡す女性の姿があった。女性はグローリィがいることを確認すると、早足でやって来て、グローリィの前の席に勝手に座った。
「遅い」
コーヒーを口に含みながら眼前の女性、セラ=ルノワールを見据えながら言った。
「すみません。ちょっと、想定外の事態があって」
「何だ? 言ってみろ」
セラは照れ隠しをするように、恥ずかしげに笑う。想定外の事態、などと言っておきながら、大したことではないのだろう。寝坊したとか、腹を壊して来るのが遅くなったとか、その程度の事に違いない。
「ちょっと……昨日、深夜番組見てて、その……夜更かししてたわけで――」
「もういい。皆まで言うな」
ここまで聞けば、もう何で遅れたのか、理由は明白だ。深夜番組を見ていて、寝るのが遅くなってしまったので寝坊した。何とまぁ、しょうもない理由なのだろうか。
「セラ。君は仮にもレイヴンだろう、もっと体調管理には気を使いたまえ」
「もう、そんなこと言う人嫌いです。でも、気遣っていただきありがとうございます。教官にそういうこと言われると、少し照れます」
これから一つ説教をしてやろうと思っていたのだが、微笑みながら頭を下げるセラに出鼻を挫かれてしまう。仕方なく、たまたま側を通りかかったウェイトレスに、セラの分のミルクティーとシュークリームを注文した。
「で、用というのは何だね? 私は暇じゃないんだ。用件があるのならさっさと済ませてもらいたいのだが」
「あ……いや、実は用は無いんです。ただ、教官がいるんなら挨拶しておいた方がいいかなと思って。最初はミラージュ支社の方に行こうと思ったんですけど、この辺りって特殊な状況にあるらしいって聞いて、それで怖くて……その、教官にご足労願ったわけなんです」
呆れるしかない。わざわざ二時間も掛けてロンバルディアシティの喫茶店に来て、三〇分も無駄な時間を過ごすことになって、それでいて用件は無い。相手が女性でなければ殴っているところだ。今は年明けと同時に行う任務に使用するAC《ラグーン》の慣熟運転の時間を削ってまで来たというのに、せめて何か実のある事をしなければ報われない。
「あの、もしかして……怒ってます?」
「当然だ。戦時中に加え、今は年末だぞ。ただでさえ忙しいというのに、君がどうしてもというから来たんだ。だというのに、挨拶したい、ただそれだけで呼ばれた私の身にもなってくれ」
「すみません。ちょっと、また教官に鍛えてもらいたくて」
携帯電話を取り出し、短縮ダイヤルを押す。コール音が三階も鳴らぬうちに聞きなれた軍部のオペレーターの声が聞こえる。オペレーターに頼み、作戦部教務課へと取り次いでもらった。
「どこに電話してるんですか?」
唇の前に人差し指を当てて答える。
『どうしたグローリィ。君が電話などと珍しいじゃないか』
「課長ですか。でしたら話は早い、AC用シミュレーターを二台ほど使用したいんだが、いいかな? ちなみに、使用するのは私と、馴染みのレイヴンだ」
『……グローリィ、あんただけなら問題ないが、レイヴンはちょっとな……こっちは使うやつもいないから問題ないが、そのレイヴンが他企業から狙われるぞ』
視線を窓の外から、セラに向ける。セラは本当に美味しそうな表情で、ミルクティーを啜っていた。
「セラ。君に一つ聞きたいことがある。クレストやキサラギ、インディペンデンスから命を狙われる覚悟はあるか?」
セラの目が丸くなり、時間が止まったかのように動きを止めた。ミラージュのAC用シミュレーターを使用したならば、彼女はどこの企業からもミラージュ寄りのレイヴンとして認識されてしまう。そうなったら、他企業は見せしめにと命を狙ってくる危険性は非常に高い。名は忘れてしまったが、過去にもそういった理由で惨殺されたレイヴンも数名ほどいるらしい。
「あの、何で私が命を狙われなきゃいけないんです?」
「何、君が鍛えてくれと言ったんだろう。ミラージュのAC用シミュレーターの使おうと思っているんだが、一つ問題があってね。君がそれを使うということは、他企業からしてみれば君はミラージュ専属と大して違わないように見える。そうなれば、他企業は他のレイヴンへの見せしめとして君を殺しにくるが、それでもいいかな?」
「教官。今更何言うんですか。私が新米のときにミラージュのシミュレーター使ったせいで、もう私はミラージュ専属扱いですよ。この間だって危うくクレストに殺されそうになったんですから。それに、私はもうミラージュの依頼しか受けてませんから、どっちにしたって同じですよ」
ならば、問題は無い。あるにはあるが、そっちの方はセラがどうにかすべきことで、グローリィには関係が無い。
「今聞いてみたが、全く問題無い」
『OK。じゃ、準備しておくよ。レイヴンの機体、再現しておくけど、誰だい?』
「セラ=ルノワール。機体はサークレットランスだ、多分データベースに登録されていると思うが」
『それじゃ探しておくよ。それじゃ、待ってるよ』
「あぁ、頼む」
電話を切り、セラが食べ終わっているのを確認してから伝票を持って席を立った。
登場AC一覧()内はパイロット名
ラグーン(グローリィ)&N6005b4903000HI0s3001ME50ahE5rlUq9o6u6#
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